龍の名
「本当にありがとうございました」
棲処であるアリュート川のワンドで、護り龍の番が揃って頭を下げる。
「これでもうなんの心配もなく、この子たちを育てることができます……」
雌の手にはふたつの卵。本来淡い水色の卵は、まだ明けきらぬ中では灰色に見えた。
「僕たちにできることがあってよかったです」
晴れやかな笑顔でシェルバルクが答える。
「それに、僕たち自身にとってもいい経験になりました」
龍でなくても伝わる、心からの気持ちに。護り龍の番はもう一度頭を下げた。
嬉しそうな二匹に、本当によかったとリーは思う。
地上も地下も、流れる水に汚れはなく。
最後に山中を確認してきてくれたチェドラームトも、土壌にも問題はないだろうと言い切った。
上流の水草や魚たちに蓄積されたものが、もしかしたら多少は残っているかもしれないが。魚に関しては護り龍の守護する範囲を通る間に癒やされ下流の人々に影響はなく、水草もそのうち生え変わる。少なくとも今後護り龍の生活を脅かすようなことはないだろう。
百番依頼から思わぬ事件になりはしたが、子どもふたりも助かって本当によかったと思う。
依頼を受けた自分たちは調べに行っただけで解決にはなんの協力もできていないが、龍たちが頑張ってくれたからこそのこの結果は、これ以上ないものだと言える。
発端が人だけに、何もできなかったことは申し訳なくも。
龍への敬意を胸に、元に戻ったことを心から喜んだ。
「三人もありがとう」
リーとアーキス、そしてヴィズを覗き込み、護り龍たちが礼を言う。
「いや、俺らは見てきただけだし」
「僕はそれすらしてないけどね」
「それに、元々人のやったことだから…」
三人それぞれ首を振るが、護り龍たちもそんなことはないと譲らない。
「原因を見つけ、取り除き、解決法を示してくれた。彼らと私たちを繋げてくれたのも君たちだよ」
「それに、ヴィズさんは私たちでは気付けない問題点を解決してくれたでしょう?」
そう言い切った護り龍たちは、番で顔見合わせ頷き合った。
「私の名はヤシューエント」
「私はサルフィエールよ」
唐突に名乗られ固まる三人に、ヤシューエントはそんなに驚かなくてもと笑う。
「お願いがあるんだ。君たちで、子どもたちの名前をつけてくれないか?」
「あなたたちにもお願いしたいの。皆で考えてくれないかしら?」
居並ぶ龍たちにもサルフィエールが声をかけた。眼をまん丸にして見返したアリアが、ほかの誰かを探すようにきょろきょろと辺りを見回す。
「アリアたちにも?」
「ええ。まだ性別はわからないから、ふたつずつ考えてくれると嬉しいのだけど」
アリアたち、そしてリーたちを見つめるサルフィエール。
凪いだ水面のように静かで、揺らぐことなく自分たちを見据える眼。もちろん冗談を言っているようになど見えるはずもなく。
リーは二匹の龍とその手の卵を順に見比べ、首を振った。
「龍にとっての名前って、大事なものなんだろ? それを…」
「だからこそ。恩人である君たちにつけてもらいたいんだ」
まだ戸惑うリーの言葉を遮り、ヤシューエントが被せる。
「子どもたちとっても、私たちにとっても。君たちとの出逢いは本当に大きな意味を持つのだから」
見据えるその眼に迷いはなく。言い含めるような声音に、リーは少し居心地悪そうに視線を泳がせてから。
「…愛子効果があったならよかったよ」
照れ隠しと丸わかりの態度に、何を言っているのだとヤシューエントが笑う。
「君が愛子であったことではなく、愛子が君であったことに感謝してるよ」
からかうつもりでないことは、十二分に伝わっていたから。
もうそれ以上は答えずに、リーは深く息をついた。
受け入れたリーを見ていたアリアが、兄たち、そしてチェドラームトを一瞥する。皆の頷きに促され、おずおずとサルフィエールたちと卵を見上げた。
「…いいの?」
「ええ。お願い」
柔らかな声に嬉しそうに顔を綻ばせたアリアは、一歩近付き背伸びをして、片手ずつ卵に触れる。
「頑張って考えるね」
暫く時間をもらい、四人と五匹は顔を突き合わせて考える。
「僕までいいのかなぁ…」
困ったように呟くヴィズだが、ここへ来てからというもの主に護り龍の守護範囲外を見回っていたという。
川のワンドという目隠しのない場所柄か、ここの護り龍の存在は下流の町村に取り立てて隠されてはいないらしいが、だからといって大っぴらに公言するものでもない。数カ所あった守護範囲外からでも目につきやすいところに、視覚阻害の魔法をかけておいたそうだ。効果はさすがに半永久的とまではいかないが、自分が生きている限りかけ直しにくることで、子龍が生まれ少し大きくなるまではなんとかなるだろうと言っていた。
「俺たちよりよっぽど働いてるじゃないですか」
今の今までヴィズがしていたことを知らなかったリーは、いつの間にと苦笑する。
「村には僕の手伝えそうなことはなかったからね」
ただそれだけ、とヴィズが笑った。
名は一生ともにあるものだから、ちゃんと考えなければならない。
一行は龍たちから龍の名について聞きながら、龍の名として違和感のないふたつずつの名を決める。
そうして贈った四つの名を、ヤシューエントとサルフィエールは嬉しそうに受け取ってくれた。
子龍たちがここに来てから既に五日目。長くなった上に今までにないほど魔力を使っていることもあり、朝まで休んだらメルシナに帰ると決めた。道中の安全とウェルトナックたちへの説明のため、チェドラームトとヴィズも同行する。
リーたちも同時にここを出て、帰路の途中で拾ってもらうことになった。馬で戻るからとのリーの提案―――もとい懇願は、報告があるよね、と言うヴィズに一蹴されて終わった。
朝までもう僅か。アリアは最後くらいとリーにべったりと甘える。
「水に入ってなくていいのか?」
「いいの。リーといるんだもん」
龍の姿の時と同じように膝の上を陣取って、膨れっ面でリーの左腕を抱え込むアリア。
思い返してみれば、今回は最初に飛びつかれて以降はこんなこともなく。アリアも己の役割に懸命だったのだと今更思う。
(…アディーリアも頑張ってたんだよな)
それならと頭を撫でると、すぐにその頬が緩んだ。振り返って見上げ、えへへと笑う。
「また行くから。帰ったらちゃんと休めよ?」
「うん!」
ぎゅうっとリーの腕を抱きしめて、アリアは満面の笑みで頷いた。
「ねぇ」
ふたりを見ていたチェドラームトは、かけられた声にはっと我に返る。
すぐ隣でカルフシャークが怪訝そうに見上げていた。
「どうした?」
「請負人組織って楽しい?」
唐突な質問に少し驚きながらも、そうだなぁ、とチェドラームトは唸る。
「まぁ、退屈はしねぇな」
「ってことは楽しいんだね」
どこかきらきらとした眼差しを向けてくるカルフシャーク。何度か会ったこともあり、元々人懐こい性格でもあるのだろうが、山中の一件ですっかり気を許してくれたらしい。
「なんだ? 気になるのか?」
「うん。だって、こうやってあちこち行けるんでしょ?」
いいなぁ、と呟きが零れる。
夢見がちなその表情に懐かしい面影を見ながら、内心微笑ましく思った。
(あの親あってのこの子たち、ってことか)
「そうだな。お前は向いてるかもな」
お世辞抜きでそう言ってやると、途端に嬉しそうな顔を向けてくるカルフシャーク。
「ホントっ?」
「ああ。今フェイも職員の研修を受けてるぞ」
「そうなんだ」
その顔に混ざる憧れに、少し安堵を覚える。
龍の世にもちゃんと、彼の居場所はあるらしい。
「ま、大きくなっても気が変わってなかったら訪ねてこい」
「うん! ありがとう!」
示された可能性を嬉しそうに受け取り、カルフシャークは今まで通りの無邪気な笑顔で頷いた。




