兄として
保安員たちが下山した日の夜が決行日となり、ヴィズに視覚阻害をかけてもらったシェルバルクとカルフシャークは、チェドラームトの案内で山中の小屋までやってきていた。
「手順はわかってるね?」
小屋よりも幾分山頂よりに佇み尋ねるシェルバルクに、わかってると頷くカルフシャーク。
「たくさん水を作って、端からゆっくり流せばいいんだよね」
ここに流されていた薬液が地中で水に混ざり広がったことで、単純にこの周辺を癒やせばいいという問題でもなくなっていた。
山全体を癒やすことは範囲も広く難しい。なので水の流れに乗せて汚染を川へと流し、麓で癒やすことにした。
麓で待つのはオートヴィリスとユーディラルとアディーリア。初めの計画ではユーディラルは地下水に混ざってしまった分を浄化する役割を担う予定であった。しかし地下水の噴出口のひとつが護り龍の守護範囲内にあることと、護り龍本人の申し出により、そちらは任せることにした。確かな回復を示すようにその体の鮮やかさも増した護り龍は、休ませてもらったから大丈夫だと言い切った。
山中でも、水が地下水に大量に混ざる前にきちんと川へと流れ込むように、そして何より緩んだ土地が崩れないように、地龍であるチェドラームトが手伝うこととなっている。彼の魔力ではあまり広範囲を一度にはできないので、川から離れた場所から順に少しずつ川へと近付きながら流す行為を麓へ向けて繰り返していくことになった。
必要となるのは大量のきれいな水。しかし水を操る水龍といえど、何もないところから生成できるわけではない。
地中、そして川の水が使えない以上、空気中の水を集めてくるしかなかった。しかし目に見えぬ欠片を多量に集めるこの方法は、見える水を引っ張ってくるより難しく、同量の水を用意するのに使う魔力も多い。
閉鎖された空間ではないので枯渇することはないだろうが、間違いなく時間はかかるだろう。
そして汚染を残さぬよう少しずつ流していく作業もまた、時間のかかるもので。
体には視覚阻害をかけているとはいえ、流れる水量はごまかすこともできない。ゆっくりとはいいつつも、どうにか朝までには済ませてしまいたかった。
空気中に漂う僅かな水の欠片を集めるため、大きな受け皿のように魔力を広げていく。ゆらゆらと今にも解けそうに揺らぐ魔力を、カルフシャークはぎゅうっと押し込めた。
ここ数日練習していた、空気中からの水の集め方。生まれてからずっと池で暮らしていたカルフシャークにとっては初めてのことだった。
自分がこちらに来ることになったのは、シェルバルクとの相性がいいことと、失敗してもやり直せるから。
麓で浄化する立場なら、できなければ汚染水はそのまま流れていくので失敗はできない。
兄たち、そしてユーディラルのように魔力の扱いが上手いわけでもなく。黄金龍であるアディーリアのように独特の魔力を持つこともない。
そんな自分ができることなどたかが知れている。
この数日、シェルバルクは本当にたくさんほめてくれた。自分が適任なのだと言い、大丈夫だからと励ましてくれた。
言われたのはただ、ちゃんと自分を見るようにとだけ。
今までだって、今だって、ちゃんと考えているつもりなのに―――。
崩れかけた器を支えるように、シェルバルクの魔力が優しく添う。隣を見ると、いつも通りの穏やかな笑みを向けられた。
(頑張らないと…)
ただでさえ自分は魔力の使い方が下手だなのだから。シェルバルクへの負担を減らせればと思うのに、結局は余計に手間をかけている。
自分にどこまでできるだろうか。
惑う気持ちを表すように、またゆらりと魔力が揺れた。
ここそこと形を崩すカルフシャークの魔力を、シェルバルクは寄り添うように支える。
ただ水を集めるためのそれであるはずなのに。力んで無駄な魔力を込めすぎ、そのせいで生まれた揺らぎを立て直すために更なる魔力を使っていることに、カルフシャークは気付いていない。
幼さゆえであるかもしれないし、確かに魔力の操作に関しては苦手ではあるのだろうが。カルフシャークの場合は何よりも本人の気持ちに大きな原因がある。
己の力量を把握しているために効率よく使える自分とオートヴィリス。器用なユーディラル。アディーリアは魔力の扱いはまだ未熟だが、黄金龍であるがゆえのそれを持つ。
カルフシャークは自分たちよりも魔力が多いが、本人はそれに気付いておらず。技量の拙さにばかり目をやって、力んで魔力を込めすぎては揺らぎを生んで。それを抑えるためにまた魔力を使い、それだけ使っても上がらぬ効率に、己が足りぬからだと過小評価していく。
それを口頭で伝えたところで、自分からだと慰めとしか取られない。本人が本気で受け取らねば何も変わりはしないからこそ、まずはその気持ちを変えたくて。
カルフシャークに足りぬところなどないのだと。カルフシャークだからこそこの役目を果たせるのだと。そう伝えてきたつもりではあるが―――。
どこへと水を流すのかを指示しながら、シェルバルクは練習の時と同じようにカルフシャークの魔力の崩れを己の魔力で整える。
いつも以上に力んでいるのだろう、込められた魔力が多く、押さえる魔力も押さえられた魔力も無駄となるが。
ここで自分の魔力が尽きても、カルフシャークが気付いてくれればなんとかなる。
大丈夫だからと伝えるように。
自分のそれを必死さの表れである押し込められた魔力に優しく寄り添わせ、包み込むように支えながら。
「カルフシャーク」
その懸命さを表に出さない弟に、声をかける。
「大丈夫。自分を信じてね」
戸惑うように揺れる魔力。
カルフシャークは何も応えなかった。
やはり兄に心配をかけてしまっている。
あれだけ練習したのにと、沈みそうになる気持ちから目を逸らすカルフシャーク。
どんなに魔力を注いでも安定しない己の力。頑張れば頑張るほど上手く使えなくなるように思えて、もはやどうすればいいのかわからない。
やっぱり自分には荷が重いのかと思いながらも。
練習につきあってくれた兄ふたりと、麓で頑張っているだろう弟妹と。協力してくれた皆と。そして生まれてくる新たな命のために。任された役割りくらいは全うしたかった。
なんとか集めた水をシェルバルクの言う通りゆっくりと流していく。その調子と兄は相変わらずほめてくれるが、水を集める魔力を保っていられるのは、兄が崩れぬように支えていてくれるからだ。
兄はこうして弟である自分を助けてくれるのに。
兄である自分は弟妹たちに何もしてやれない。
焦りが力みに変わり、ますます込められる力は歪みを生む。
それに気付かぬカルフシャークが立て直そうとまた魔力を込めていると。
「何そんなに力んでんだ」
間近でぼそりと呟かれ、驚いて魔力を込めそこねたカルフシャーク。
自分の目の前、地面からチェドラームトが顔を出していた。
「お前には頼りになる兄たちも。信じて待ってる弟たちもいるだろう?」
呆れたようにというよりは、ただ確認するように。兄と同じ見守るものの眼差しを向け、チェドラームトは続ける。
「多少崩れてもシェルバルクがなんとかしてくれる。水量が多くなっても麓にだってオートヴィリスたちがいるし、俺だって山を崩させたりはしない。俺たちだってお前を頼って任せてるんだ。お前だって頼ればいい」
さも当然と言わんばかりのチェドラームト。その言葉を反芻し、ようやく気付く。
自分がここを割り当てられたのは、シェルバルクと相性がよく、失敗しても取り返しがつくからかもしれない。
しかしそれでも、任されたことには違いない。
自分だって頼られている。だから任されているのだと―――。
チェドラームトと目が合うと、向けられているのは優しい眼差し。
隣の兄を見上げると、眼を細めて頷かれる。
自分にどれだけできるのかは、やっぱりわからないけれど。
「助けてね」
そう呟き、己が組み上げた魔力を意識する。
押し潰されて縮こまり悲鳴を上げるように軋み揺らぐ己の力に対して、寄り添う兄のそれは柔らかく。
下へと意識を向けると、地を守る地龍のそれは力強く。
ふたりらしいと思える魔力。包容力があり、優しくも力強いそれは、安心して頼れるものだと感じられる。
今一度、いつも以上に苦しそうに啼く己の魔力を見つめ、これを弟妹に見られるのは恥ずかしいなと内心苦笑した。
自分だって兄なのだから。シェルバルクたちのようにはなれなくても、それでも何かをしたい。
カルフシャークは一度大きく息をつき、張り詰めた気持ちを少し逃がす。頑張らないと、応えないと、とうしろから急き立てるようなそれが、誰のため、なんのためのものなのかを考える。
そう。自分の頑張りを見てもらうためではない。何ができると示すためでもない。
ただ生まれくる命のために。場を整えるだけのこと―――。
魔力が啼きやみ穏やかになるにつれ感じる今までとの違い。
その変化に戸惑いシェルバルクを見ると、ただ微笑みを返された。
今まで兄たちにかけられた言葉を思い出し、そうなのかと理解する。
なら自分は。
兄として、弟妹たちに。そして生まれる命に。
一体何ができるのだろうか―――。




