技師たるもの
急ぎ山を下りたアーキスは、ひとまず護り龍たちの下へ戻った。
汚染の原因と上の状況を伝え、今から請負人組織本部へ向かうと告げると、ここで休んでいてと言われる。
「私が行った方が早い。往復するくらいの間なら妻に任せられるから」
妻からも大丈夫だと言われ、アーキスはその言葉に甘えることにした。
視覚阻害をかけられた護り龍が戻ってきたのは存外早く。組織の対応の早さに感謝しつつ、魔法が解かれたあと現れた姿に驚きを隠せなかった。
護り龍のほかに、もう一匹。白銀の龍から降り立つのは、紫銀の髪のエルフ。
「ミゼットさん」
「私が残るから、あなたは本部で報告を」
そう言い、ネルとアーキス、そして自分に改めて視覚阻害をかける。
「行くわよ」
残ると言いつつネルに乗るミゼットを怪訝に思いつつ、アーキスも続いた。
ふたりを乗せ舞い上がったネルはさほど高度を上げないまま、アリュート山の上空をくるりと旋回する。
「この辺の…そこのちょっと茶色くなってるところかな」
その言葉にわかったわと返し、ミゼットはアーキスににこりと微笑んだ。
「あと、よろしくねぇ」
「あと…って、ミゼットさん??」
突然立ち上がったミゼットに、アーキスの疑問の声がうろたえたそれに変わる。
「気をつけてね」
「大丈夫よぉ。でもヴィズには黙っててねぇ」
ネルの言葉に怒られるからと笑い、数言呟いたミゼットはそのまま背を飛び降りた。
「ミゼットさん!!」
慌ててネルから身を乗り出して下を見るアーキス。しかしミゼットの姿を見る間もなく、直後吹き上げた突風にすぐに身を引いた。
「ミゼット、慣れてるから平気だって」
止まることなくアリュート山を離れながら、ネルが笑う。
「こっちも飛ばすよ!」
ぐん、と飛行速度が増す中を。
ミゼットが何をしたのか察したアーキスは、その無茶への心配と感謝を胸に、落ちないように座りなおす。
魔法の使えぬ自分。落ちればミゼットのようにはいかないから、と苦笑した。
到着後はすぐ本部内の部屋に通され、そこでマルクを含めた数名に状況を報告した。護り龍からある程度の話は聞いて、ひとまず保安協同団に人員派遣は要請してあるらしい。
なにやら書きつけながら聞いていたマルクは、話し終えたアーキスをご苦労だったと労った。
「保安と技師連盟にはこちらから詳細を連絡しておく。今人員を用意しているから、ともにアリュートに戻ってくれ。保安員が現着次第指揮権を渡し、要請がない限り、お前たちは水質汚染に関してのみ動くように」
「わかりました」
「アルミラージの移動は落ち着いてからこちらが受け持つので、今は気にしなくていい」
何気なく続けられた言葉にアーキスが目を瞠った。報告はしたが、子の保護についてはまだ言い出しておらず。思わずマルクの銀の瞳を見てから、そうだったなとひとり納得する。
龍であるマルク。報告時のこちらの揺れなどお見通しだったのだろう。
「ありがとうございます」
素直に礼を言うものの、マルクには面会室で待機するようにとだけ返された。
受付棟の面会室で準備が整うのを待ちながら、アーキスはようやく少しだけ気を緩める。
時刻は昼もとうに過ぎた頃。食事もまだだろうと軽食を出されたので、ありがたくいただくことにした。
腹にたまるようにだろうか、野菜と肉と卵が同じくらいの割合ずつ挟み込まれたサンドイッチを食べつつ、向こうはどうしているかと考える。
四つめの小屋で行われていたことは調合、五つめの小屋で行われていた金属の溶解は、知識としては鋳造に含まれる。本来ならば師について学ぶ知識を、どうしてあんな場所、あんな形で、年端もいかない子どもが扱っているのか。
窓もない小屋を思い出し、アーキスは苦々しげに視線を落とす。
自分たち調合師も、ほかの技師も、まず教わるのは『危険』について。自分たちの行うことがどれだけの危険を孕むのか、それを理解せねば技師にはなれない。
足りぬ知識は命を危険に晒すだけ。しかしおそらくあの子どもたちにはその意識すらない。
自分たちの命が削られていることに、気付いてさえいないのだ。
どうしてあんな子どもがと、握る拳に力が入る。
技師としても、ただの一個人としても、憤りを感じずにはいられなかった。
一方のアリュート山、子どもたちが寝ている間に到着したミゼットは、穏やかに眠るふたりに僅かに瞳を翳らせてから奥の部屋を出た。
「保安は白の四番から来るでしょうから、夜になるかしらねぇ」
「下山は明日ですね」
いくら身体能力に長けた保安員でも、夜の山道を子どもや連行者を連れて下りるのは厳しいだろう。でしょうねと頷いて、今のうちに調べられるだけ調べてくるとミゼットは出ていった。
長きを生きるエルフだけあり、ミゼットも様々な知識を持つようで。ここで行われていたことに対してはアーキスと同じ見解を述べた上で、子どもたちの容体に関しては技師連盟にも相談に乗ってもらえるよう要請しておくと言ってくれた。
今日のうちにこれだけの対応がされたことに、まだ早いとはわかりつつ、それでもよかったと胸をなでおろす。
普通だと馬で片道四日の距離、どんなに急いだ上に戻るのは龍に頼れたとしても、三日はかかる。実際リーも数日は自分ひとりで子どもたちの世話と男たちへの対応をする覚悟をしていた。
しかし今晩には保安員が到着するなら、あとは彼らに任せればいい。
自分たちがすべきことは川の水質汚染について。
原因はわかり、取り除いた。しかしだからといって明日から元通りというわけにはいかないだろう。
少しでも早く汚染を取り除くにはどうすればいいのか、一度護り龍たちの下へ戻って相談してみようと思っていた。
暫くして起き出してきた子どもたちは、いつの間にか現れたミゼットを不思議そうに見る。
「私はミゼット。あのお兄ちゃんのお友達よ」
ふたりの前にしゃがみこんでのミゼットの言葉に思わず吹き出しかけてから、確かに細かに説明することではないかと一応納得する。
じいっとミゼットを見つめていたニックが、少し首を傾げた。
「お姉ちゃんのお耳…」
「ええ、私はエルフなの。エルフを見るのは初めて?」
頷きながら不思議そうに見つめるふたりに、ミゼットはでも、と続ける。
「ただエルフってだけよ。あなたたちと何も変わらないわ」
見返すミゼットの眼差しは、今までに見たことがないほど優しく慈愛に満ちて。
子どもが好きなのか、と思ってから、そう言えばとリーは気付く。
ミゼットが初代組織長の妻であるとは聞いていた。しかし、子どもの話は聞いたことがない。
エルフであるミゼットと、人である初代組織長―――。
リリックとコルン、そしてラミエから聞いた話が脳裏をよぎった。
夕方、保安員が到着する前にアーキスが戻ってきた。同行者はネルとクフト、そして―――。
「トマルさん!」
「おう。保安員が来る前にとりあえず見てくるわ」
龍の姿のトマル―――チェドラームトが、溶け込むかのように地に消える。地中の汚染を確認するために来てくれたのだろう。
ネルはミゼットのいる小屋へと駆けていき、アーキスとクフトは何やら話していた。
近付くリーに労いの言葉をかけたクフトは、奥の小屋を見てくると場を離れる。
「クフトさん、詳しいみたい」
その背を見送りながら告げるアーキス。強行軍ではあっただろうが、疲れた様子のないその顔に安堵した。
「おつかれ」
そうアーキスに声をかけると、アーキスもふっと表情を和らげた。
「リーこそおつかれさま。子どもたち、様子はどう?」
何よりもまず子どもたちのことを尋ねてくるアーキスに、らしいなと思う。
「自分で確かめればいいだろ?」
「それはやめとくよ」
即答するアーキスの笑みに苦さが混ざった。
怖がられているから近寄らないようにと思っていることは明白で。それがアーキスの気遣いであることはわかっているのだが。
「連れてきてって言われてんだよ」
子どもたちにもまた、子どもたちの思いがあるのだ。
瞠目したアーキスに、珍しい顔だと笑って。
「もう怖くないから、ちゃんと説明して謝りたいんだってさ」
促すように肩を叩くと、一瞬ためらうような眼差しを見せたあと。ふうっと力が抜けたように微笑んだアーキスが、わかったと呟いた。




