怯え震える
身を屈め、木のうしろに隠れながら近付く。
川向こうから見えていた一軒の奥にも、意図的に重なるように建てられたのだろう小屋が続いていた。目立たぬよう屋根まで暗めの茶色に塗られた小屋は五軒。手前のひとつが一番大きく、あとの四つはその半分、見る限り窓もなく、大人ひとりが寝られる程度の広さだろう。
まだ少し距離があるので物音は聞こえず、どこに何人いるのかはわからない。
アルミラージを倒している以上侵入はすぐにバレる。あまり時間もかけられないが、ふたりでは一度にすべての小屋を押さえることはできない。
せめてもう少し絞るべきだと、近付いて様子を窺うことにした。
まずは一番人のいそうな大きい小屋から。手分けしようかとも思ったが、どちらにしてもこの一軒はふたりで行った方がいいと判断した。
物置きのような他の四つに比べ、ここだけは広さも窓もあり、簡単にではあるが排煙用の煙突もある。つまり、生活感があるのだ。
頷き合い、辺りを見回してから。
窓からの視界に入らないよう気をつけながら距離を詰めた。
壁に張り付くように身を寄せる。窓から中を覗ければ手っ取り早いが、もちろんできるわけがない。
とはいえ、長期を予定していないのか、小屋の作り自体はごくごく簡素なもので。中を見ることはできなくても、声は漏れ聞こえていた。リーが扉の前を指差すと、アーキスは指でくるりと円を示す。リーはここで、アーキスは周囲の状況を見てくることに決まった。
足音を忍ばせ小屋の裏側へと回るアーキス。リーは扉の蝶番側に屈み込み暫く耳をそばだてる。
ボソボソと聞こえてくるのは男の声。どうやらふたりで会話をしているようだ。
「―――ちょっと様子を―――」
拾えた単語に急いで立ち上がり、アーキスの行った方向と逆から小屋の側面に回った。奥から来たアーキスを止め、そのまま小屋の裏側に隠れる。
ギィっと軋み音が聞こえ、小屋と小屋との間から鼻と口を隠すように布を巻いた若い男が歩く姿が見えた。多分ふたりと指で示すと、アーキスは自分が追うと返して隣の小屋の裏側へと移る。
三つめの小屋の裏側で、アーキスが四つめの小屋を指差した。扉が開く音は聞こえなかった。暫くすると、出た、と手で示したあと、五つめの小屋を指し示す。男が小屋へ入るのを待っていたのだろう、少しそのまま様子を見てから戻ってきた。
行こう。
それだけ示すアーキスに、リーも頷いた。
戻ってきた若い男が小屋の間を通り過ぎるのを待ってから、小屋の裏から側面へと移る。ギィィ、と扉が軋んだその瞬間、リーが飛び出した。
取っ手に手をかけたままの男が声を上げるよりも早く、小屋の中へ向けて殴り飛ばす。
「なんっっ」
ドガッと重鈍い音をたててテーブルにぶつかった若い男と追いかけるように踏み込んだリーに、室内にいた中年の男が椅子から立ち上がった。今見える範囲にはこのふたりしかいないことを瞬時に確認し、リーはまだ状況を呑み込めていない中年の男にそのまま突進する。狭い小屋の中、男の背後はすぐ壁だった。
「ガハッ」
壁とリーとに挟まれた男が息の塊を吐き出すような呻きをあげる。吐き出した分の空気を吸おうとしたところを更にもう一押しすると、男の顔が青ざめた。身を引き、崩れるように膝をついて咳き込む男のうしろ首を手刀で狩ると、そのままばたりと前のめりに倒れた。
振り返ると、テーブルにぶつかった男は既にアーキスに落とされている。
部屋の奥には扉がひとつ。荷からロープを出して男を後ろ手に縛り始めたアーキスにあとを任せて見に行くが、誰もいなかった。
元の部屋へ戻ったリーは、ふたりだけだと言いかけて口を噤む。アーキスも険しい眼差しのまま表への扉を見据えていた。
ザッザッと慌ただしい足音が近付いて、バンっと勢いよく表への扉が開く。
「お前らっ! ウサギどもが殺されて―――」
小屋の中、にっこり笑うアーキスとリー。
男の言葉が続けられることはなかった。
気絶させた三人は手と足を縛ってそこへ残し、残る小屋を見に行く。
隣の小屋は資材置き場のようで、左右の壁に棚があり、床にも布袋が置かれていた。ぎゅうぎゅうに置かれた左の棚とは対象的に、右の棚には何もない。真ん中の小屋には布が引かれ、片隅に毛布が畳まれていた。
男が様子を見に来ていた四つめの小屋の前。中からは僅かな物音と、時折くぐもった咳が聞こえていた。
まだ仲間がいたのかと思う一方、ならなぜあの騒動で出てきもしないのだろうかという疑問が浮かぶ。警戒しながらゆっくりと扉を開けたリーは、小屋の中を見て固まった。
奥の壁を向いて座る痩せこけた小さな身体。背を丸めてうつむいて、何かをしている。
「……子ども…?」
思わず零れたリーの呟きに、その背を揺らして振り返ったのは十歳を過ぎたくらいの黒髪の男の子だった。
男と同じように布を鼻と口を隠すように巻き付けたその子は、見知らぬふたりに怯えるように後ずさる。途端、ガシャンと何やら倒れる音がした。
「秤?」
男の子と壁の間には、秤といくつもの粉末の入った器が置かれていた。秤を倒した拍子に粉を溢してしまった男の子は、見るからに青ざめる。
「ごっ、ごめんなさい、ごめんなさい……」
慌てて粉を集めようとする男の子の腕をリーが掴んだ。
ひっ、と怯えた声を出し、またごめんなさいと呟き始めた男の子を、リーは優しく引っ張って反対の手で抱きしめる。
掴んだ腕も、抱きしめる身体も。今まで出会ったどの子どもより細く頼りない。
「もうそんなことしなくていいから」
矛先のない怒りを呑み込み、謝り続ける男の子にゆっくりとそう言う。掴んでいた腕を放して背を撫でていると、次第に謝る声が小さくなり、そのうち嗚咽に変わった。
あの子も助けて、と言う男の子に連れられて五つめの小屋に向かう。小屋の横の地面はぬかるみ、茶色く枯れた下草が埋もれていた。
こちらの中からも物音と咳が聞こえてくる。男の子に待つよう言って扉を開けると、先程と同じように背を向けうつむく子どもの姿があった。
窓がないせいで中の空気が淀んでいるのか、少し喉と鼻に痛みを覚える。
「早く出て」
入るなりのアーキスの声に、驚いてこちらを見る金髪の男の子。その前には何やら液体の入った器がいくつも並べられていた。
骨と皮だけかと思うほど軽い男の子を抱え上げ、リーは外へと連れ出す。
「なんの薬液かわからないけど、あんな刺激臭のするようなものを換気もしないで扱わせるなんて…」
忌々しげに小屋を見てのアーキスの声音に、小屋内の環境の悪さを悟った。
リーの片腕に抱えられたその男の子も同じように顔半分に布を巻いてはいたが、こんな布切れ一枚ではなんの効果もないのだろう。
ゆっくりと地面に下ろすと、金髪の男の子は何がなんだかわからないといった様子で立ち尽くしていた。黒髪の男の子が近付いてその手をぎゅっと握る。
「助けてくれるって」
金髪の男の子は髪よりも鮮やかな金の瞳を見開いてその子を見返し、それからリーを見上げる。目を合わせたリーが頷くと、その瞳から涙が零れ始めた。
子どもたちが落ち着くのを待ってから、自分たちは請負人だと説明する。
「すぐ保護してもらうけど。よければちょっと診せてもらえる?」
手持ちの薬草でできることがあるかもしれないからと、アーキスがふたりの前に膝をついた。
じっとアーキスの顔を見た子どもたちの顔が、何かに気付いたように強張る。
ふたりの変化を怪訝に思ったアーキスが手を伸ばそうとすると、ふたりの子どもはびくりと身を竦め、お互いに抱きついてその場にへたり込み、震え始めた。
「…どうか―――」
向けられたあからさまに怯えた眼差しに、アーキスの問いかけが途切れる。
「どうしたんだ?」
慌ててリーが尋ねるが、子どもたちはお互いにしがみついたまま震えているだけだった。




