番の護り龍
降ろされた近くにレジアという村があった。依頼があったのは少し前にこの村と契約をした護り龍からだという。
レジアの村で請負人の所属証を見せると、護り龍から聞いていると言って案内してくれた。
地区の中部にあるアリュート山はそれほど険しい山でもない。そこから流れ出すアリュート川はほとんど氾濫もしない穏やかな川で、流域の町村には川魚を取るほか、農業用の水としても利用されている。
連れてこられたのは、川の本流の横、堆積した石と砂で隔離されて流れが停滞するワンド部分。本流もまだ山から流れ出してきたばかりの位置なので川幅はそう広くもなく、深さも精々膝程度のものだろう。
ワンドから姿を現した水龍は、案内してくれた村人に礼を言い、あとはこちらから話すと告げた。リーたちもまたここで野営をするので気遣いは無用と伝えると、村人はどうかお願いしますと深々と頭を下げて帰っていった。
護り龍として契約してからまださほど経っていないと聞いていたが、慕われているその様子に安堵する。
ここに起こっている異変。まだ原因はわからないが、少なくともレジア村が関わるものではないと確信できた。
川岸から頭を出したままの護り龍は、リーとアーキスへ近付くように頭を下げた。
「君が愛子の…」
「リーシュです。リーと名乗ってるので、そう呼んでください」
ウェルトナックよりは小柄で少し色が薄いその護り龍に、リーも礼をする。続けてアーキスを紹介すると、護り龍は普通に話してと言ってから、ほうっと息をついた。
「…君に会えたことで、いい方向に向かうといいのだけど…」
出逢うと幸運とされる愛子。そうであればと思いはするが、自分にはどうすることもできないので。
「それはわからないけど、最善は尽くすよ」
せめてとそう言うと、ありがとうと返された。
そうして改めて、護り龍から話を聞いた。
異変は徐々にだったという。
護り龍となった頃には気にならなかったのだが、次第に上流から汚れた水が流れてくるようになった。初めは微量で、守る範囲内に到達した時点で自然に浄化されていたのだが、そのうち意識して浄化しないと追いつかなくなってきたそうだ。
「妻も殻を作ったばかりで余力もなく…。この上私が浄化にかかりきりになると、この先の子どもたちの成長にも影響が…」
「殻?」
おそらくその余裕もないのだろう、リーの疑問の声には気付かずに、護り龍は頷く。
「お願いします。妻には長時間の負担をかけられないので、私が直接赴くわけには行かず。かといってこのままで状況がよくなるとは思えない」
どこかしょんぼりとして呟く護り龍。
話を聞いても状況は今ひとつ把握できないが、とにかく事前に聞いていた通り、上流から汚染された水が流れてきている、ということらしい。レジアより上流に町村はないので、どこかの排水が流れ込んでいるというわけでもなさそうだ。
何らかの原因があるのか、それとも意図されたものか、それはまだわからないが。今はこの護り龍が汚染をここで喰い止めてくれている―――つまり、アリュート川流域すべての町村を護ってくれているということになる。
緊急性の意味を改めて刻み、リーは護り龍を見上げた。
「今からは無理だから、明日朝から上流を見てくるよ」
「急いで見てくるから。待っててね」
さすがに夜に山には入れない。気は急くが、身の安全は第一だ。
それはもちろん護り龍もわかってくれているのだろう。気をつけてとこちらのことまで気遣ってくれる姿は、どこか見知ったそれを彷彿とさせる。
ウェルトナックやネイエフィールよりは随分と若い龍なのだろうが。それでもこちらを見る眼はやはり護り龍らしく、人への慈愛に満ちたものだった。
(…ホントに。どの龍も変わんねぇな)
今一番大変なのは目の前にいるこの龍であるのに。そんなことを思いながら、せめてと続ける。
「朝までに行けるとこまで行っとくつもりだけど。その前に俺たちにできることって何かあるか?」
護り龍はじっとリーを見たあと、ためらいがちにそれならと呟いた。
「妻と子どもたちにも会ってやってくれないかな…」
会ってほしい理由は聞くまでもなく。
自分にそんなご利益があるかは正直微妙だが、きっと藁にも縋る思いなのだろうと思い、リーはもちろんと頷いた。
ワンドの一番奥まったところから、もう一匹の水龍が頭を出した。先の水龍よりも幾分小柄で、少しくすんだ水色をしている。その両手には大切そうに淡い水色の卵をふたつ抱えていた。
「妻と子どもたちです」
「はじめまして。こんなみっともない姿でごめんなさい」
ゆるりと頭を下げる水龍から出た言葉を怪訝に思っていると、知らなかったのね、と水龍が柔らかく笑む。
「今少し弱っていて、こんな色を…」
「弱ってるって……大丈夫なのか?」
心配の滲むその声に、見返す笑みに一瞬の驚きと感謝が混ざった。
「ええ。水のせいではなく、殻を作ったばかりだから。次第に今の力に身体が慣れて、元の色に戻るのよ」
言葉を受け、リーとアーキスの視線が龍の手元の卵に向けられる。龍の片腕で抱えられる大きさなので、自分たちでは両腕でやっと持てるくらいの大きさだろう。
「…殻を作ると弱るの?」
「殻は子どもが成長して生まれてくるための魔力でできているから。私から子どもたちに分け与える分の魔力だから戻らないのよ」
アーキスの疑問に答えてから、水龍はそうねと笑う。
「龍の子どもの生まれ方なんて、聞いたことないわよね」
「だから何がなんだか…」
リーの言葉に頷くアーキス。水龍は更に笑い、そこに座るように告げた。
―――龍の卵は魔力で作られる。
番となった二匹のうち、殻を作るのは大抵は雌となる。というのも、雌の方が生まれ持つ魔力が多い傾向があり、魔力の質的にも向いているからである。
そうしてできた魔力の殻に更に魔力を注いでいく。子どもの核ともいうべきこの魔力は番がともに分け与え、殻を作らなかった方が定着のための魔力も注ぐ。この魔力には雄の方が向くこともあり、殆どの番は殻を雌、定着を雄が担うこととなるのだ。
ここまでに使った魔力は子どもを形成し引き継がれる分なので、本人たちからは削がれる。また、殻の魔力は子どもの形成とこの先の成長の両方に使われるので、失われる魔力が定着を担う側より大きい。よっていくつ卵を作るかは本人たち―――殻を作る側の魔力量により決まり、大抵はふたつか三つとなる。
これ以降は魔力を注ぎながら育てていくが、ここからの魔力は成長を促す分であり、削がれることはない。
子どもは殻の魔力と注がれる魔力、そして周りの環境から得られる糧を取り込みながら成長していく。取り込む量も卵により異なり、それにより生まれる順番が自然と決まるという―――。
「番の子どもはこんな感じね」
卵の半分まで水に浸かるように身を下げた水龍が続ける。
「護り龍でも、そうでなくても変わらないわ」
「番の…ってことは、番でない場合もあるの?」
ふと洩れたようなアーキスの呟きに頷いた水龍。抱える卵を慈しむように一瞥ずつし、再びふたりへと向いた。
「番を得なかった龍は、寿命の最期にひとつだけ卵を残していくのよ。すべての魔力を殻に込めて、ね」
それが何を意味するのか。
それをふたりが問うことはなかった。
もうここでできることはないので山の麓まで移動しておくことにしたリーたち。護り龍たちに見送られながら、アリュート山の麓へと向かう。
既に辺りは薄暗いが、行けるところまで行ってから野営しようと決めていた。
未だ被害が出ていないのは護り龍たちのお陰。下流域の人々は気付いてもいないのに、当たり前のようにすべての水を浄化しているのだ。
その負担を少しでも早く軽くするために。
相談などするまでもなく。同じ思いの下、ふたりはアリュート山を目指した。




