帰還
「ありがとうございました」
にこやかに礼を言い頭を下げるアーキス。
「リーシュと一緒じゃなくても、橙三番じゃなくてこっちに泊まってね」
「ナバルは酒飲まないから、俺も普段飲まなくて。またつきあって」
そんなアーキスへとシエラとジークが声をかける様子を、リーは和やかな顔で見守る。
家を出たというアーキスを自分の故郷へ連れてくること。よくも悪くも構いたがりの兄姉たちなので、アーキスに嫌な思いをさせないかと実は少し心配もしていたのだが。
嬉しそうに笑って、ぜひ、と返すその様子に、いらぬ心配だったかとほっとする。
ネイエフィールには既に挨拶を済ませてある。自分がされるのと同じように頭を撫でられるアーキスは、今と同じくやはりどこか嬉しそうに見えた。
龍であるネイエフィールは気付いているかもしれないが、少なくともリーからジークたちには何も話していない。そしておそらくアーキスからも、自分の故郷のことは話していないだろう。
それでも当たり前のようにふたりがアーキスへとかけたその言葉が、我が事のように嬉しかった。
自分の兄姉が頼むまでもなくそう言い出してくれたこと。アーキスがそれをためらわず受け入れてくれたこと。それが何よりも嬉しくて。
どうしたってバドックはアーキスの故郷にはなれない。しかしそれでも、いつでも迎えてくれる人がいる場所となればと、そう思った。
橙三番では、既に出勤しているナバルからもまた来るようにと言われた。
寄りついでに土産をと思うが、本部へ帰るのは明日の夕方なので、さすがに双子が気に入っていた木の実のパイは買えず。代わりに別の日持ちのする物をいくつか買っておいたので、受付か食堂に渡しておけば双子やフェイもありつけるだろう。
店を出て、中央の広場を西門へと抜けかけたその時。リーが何かに気付いたように足を止めた。
急に立ち止まったリーに気付き、アーキスが振り返る。
「リー?」
かけられた声にはっと我に返ったリーが、少し慌てた様子で周囲を見回した。
「ごめん。ちょっとここで待ってて」
「待っててって、リー?」
アーキスの疑問の声を置き去りに、リーは角にある請負人支部へと駆け込んでいった。
暫くして出てきたリーは、アーキスに声をかけないまま別の所へと走っていく。
口を挟まずにリーを見送ったアーキスはその方向に何があったかと考え、行きしなにリーから聞いたとある店があることに気付いてニンマリと笑みを浮かべた。
確かにそれならば、支部に寄った理由もわかるというもの。
リーのことだし、暫くはかかるだろうから。
もう一度ナバルの店へと行って今日食べられないならと諦めた菓子を買い、ここで食べながら待とうと決めた。
翌日の夕方前に紫三番に到着したリーとアーキス。剣が仕上がったとの連絡が来ているかもしれないと、まずは受付へと向かおうとしたのだが。
「お疲れさん。やっと来たな」
「トマルさん!」
受付棟の入口でかけられた声に、リーとアーキスは慌てて駆け寄る。もちろん龍の愛子であるリーの気配はトマルにもわかるので、戻ってきたことが気取られていたところでおかしいことではないのだが。
ここまで迎えにきているということはつまり、と思いトマルを見ると、その通りだとばかりに笑って頷かれた。
案の定連れてこられた本部地下にある百番案件の報告室で、依頼だと言われる。
「ちょっと緊急性の高そうな案件でな。帰ってきたとこで悪ぃが、今から向かってくれ」
もちろん同行はつけるからとトマルは笑うが、それが何を意味するのかは今更考えるまでもなく。
リーはひとり不服そうに眉間にシワを寄せ、一方のアーキスはリーの反応の意味がわからず首を傾げた。
宿もまだ取っていないと言うと、それなら今すぐ出発をということになった。送ってくれるのは別の龍だと聞いたので、買ってきた土産はトマルから食堂と受付に渡してもらえるように頼んでおいた。
今からのことを思うと足取りの重くなるリーとは裏腹にどこかそわそわと落ち着かないアーキスを連れて、本部裏の龍の発着場所へと向かう。
近付くにつれ聞こえてきた声に、リーはそこに誰が待っているのかを把握した。
「ほらほら、来たからもう終わり」
「ヴィズはすぐそうやってごまかすんだから!」
痴話喧嘩にしか見えないやり取りをしていた蜜柑色の髪の男がこちらへ向けて手を振ってきた。その隣では紫銀の髪の若い女が不貞腐れた顔を向けている。
「ヴィズさん、ネルさん」
「お久し振りです」
続けられたアーキスの言葉に、既に面識があると知った。
「お疲れ様。すぐにで悪いけど出発するね。ネル、お願い」
「わかってるけど。さっきの続き、あとでちゃんと教えてよね」
ネルは頬を膨らませてそう言ってから、こちらへ向けて下がっているよう手で示す。紫銀の髪と金の瞳が銀髪銀眼に変わり、ゆらりと輪郭が崩れた体が銀光を纏っていく。
少し傾きかけた陽光を受け、銀に輝く白い体躯。乗りやすいようにと風龍本来の長い姿ではなく、火龍や地龍と同じ背の広いずんぐりとした姿を取ってくれている。
その変化を惚けて見届けてから我に返ったリーがちらりと隣を盗み見ると、同じように見入るアーキスの姿。
そうなるよな、と内心笑い。
威圧感はあれどやはり龍はきれいだと、リーは改めてそう思った。
ネルの背の上で、改めて今回の案件についての説明を受ける。
目的地は黄の三番四番、白の三番四番に囲まれたアリュート。区内には同名を冠する山と川がある。
「そこの川に…って、聞いてる?」
うつむきブツブツ呟くリーに、笑いながらヴィズが尋ねた。
「俺があとで説明しておきます」
同じく笑いながらアーキスが返す。
残念ながら文句を言う余裕などないリーは、あとで覚えてろよと心中毒を吐いた。
「アーキスは余裕だね」
「楽しいです」
初めて龍に乗るというのに、全く怖がる様子もなく。銀髪をなびかせながら、アーキスは藍色の瞳を細める。
「…本当に。まだまだ知らないことがあるんだな…」
目の前、縮こまるリー越しに目線の高さに広がる空を眺めながらのアーキスの声には、隠しきれない喜びと隠す気のない感謝が含まれていた。
アリュート川は中央付近に聳えるアリュート山から東へと流れ出し、白の街道を横切って海へと流れ込んでいた。
ネルが降り立ったのは、川の上流寄り、山裾の辺り。すぐ近くに村もあり、周囲は畑に囲まれ見晴らしがよく隠れる場所がないので、視覚阻害の魔法はかけたままリーとアーキスを降ろした。
「じゃあ気をつけてね」
姿の見えないままのヴィズの声。直後僅かに風が抜けたことで、ネルが飛び立ったのだとわかった。
見えないとわかりつつも空を見上げながら、リーは降りる前にネルに言われたことを思い出す。
あんまりはっきりではないけど、と前置いて。
アリュート山は少し嫌な空気かも、と―――。




