溢れる想いは夜に溶ける
告げられた言葉が呑み込めず、リーは呆然とアーキスを見つめていた。
(…今、なんて……)
感情の読めない冷えた眼差しを向ける親友。その口からあっさりと、自分には言えない言葉が出てきたのは気のせいなのか。
名を呼ぼうとするが声にならない。
その内容も、向けられる藍色の瞳も。自分の知るアーキスのものとは思えなかった。
口内に溜まる唾を動揺ごと呑み込んで、リーは知らず握りしめていた拳を弛める。
「…なんの冗談―――」
「冗談でこんなこと言うわけないよね?」
言い切る前に遮られ、口を噤むしかなかった。
再び沈黙するリーに、アーキスの眼光が剣呑さを増す。
「黙ってるってことは、それでいいってこと?」
ぐっと息を呑み、開いた拳をまた握りしめて。何か返そうと口を開きかけたところへ、アーキスが更に被せる。
「確かに彼女はリーを見てるけど。俺だって今のリーに負けるつもりはないよ」
「…アーキス、俺は…」
「だから引いて?」
「アーキスっ!!」
声を荒らげ名を呼んで、ようやくアーキスを止める。
口を閉じたものの変わらず冷えたその眼差しに、リーは困惑よりは辛苦が見える瞳を向けた。
睨むように自分を見るアーキスは、冗談にもからかっているようにも見えなかった。
その言葉の意味をようやく受け入れ、リーはアーキスを見返したまま固く拳を握りしめる。
(…アーキスが、ラミエを…)
エルフであるラミエ。人を絆すエルフなのだから、アーキスが好意を持つのも当たり前といえば当たり前なのだが、同時にアーキスが絆された程度でこんなことを言うわけがないこともわかっていた。
それはつまり、本気だということ―――。
どうしようと思う一方で、アーキスならば、と思う。
いつまでもカレナの問いの答えが出ない自分。しかしアーキスならば、きっときちんと答えを出すのだろう。
言いようのない昏く重い影が心を覆う。
何も示せない自分よりその方がいいのかもしれない。アーキスの方がラミエにとってもいいのかもしれない。
自分が認める親友だからこそ。その隣にいれば幸せになれるとわかるから。
浮かぶ思いに視線を落としかけて。
脳裏に浮かんだラミエの姿に動きを止めた。
嬉しそうに笑い、恥ずかしそうに手を伸ばして服をつまんで。たいしたことも言えてないのに、それでも自分のかけた言葉を嬉しそうに受け取ってくれる。
自分に向けられていたそれがアーキスに―――自分以外の誰かに向けられるようになる、ということ。
それを想像したときに湧き上がったものは、いつもアーキスに対して抱く羨望ではなく。もっとどうしようもなく身勝手な気持ちであった。
目を逸らしかけたリーが、改めてアーキスを見る。
その瞳に、先程までの惑いはなかった。
「ごめんアーキス。いくら相手がアーキスでも引けない」
ラミエが自分に見せてくれるあの様子を、自分以外の男に向けられるのは嫌だと思った。
得られそうなものに対する、単なる執着なのかもしれない。
だがそれでも。
はにかみ笑うその顔は、自分に向けてほしかった。
自分が彼女を笑顔にしたかった。
その執着をなんと呼ぶのかなど、自分だってわかってはいるのだ。
「俺だってラミエが好きだから。譲れない」
もはや迷いなく言い切ったリー。
揺らぎの失せたその金茶の瞳を受け止めるアーキスには、微塵も驚く素振りはなく。
暫く無言だったその口元が、にぃ、と弧を描く。
その変化に瞠目するリーを、柔らかく瞳を細めて見返して。普段通りの穏やかな笑みにほんの少しのからかいを混ぜながら、場を緩めるようにふぅっと息を吐いた。
「やっと言ったね」
子どもでも見守るような顔付きで仕方なさそうにそう告げられて。
リーは自分が上手く乗せられていたことにようやく気付いた。
目の前で意地の悪い笑みを浮かべる親友に、リーはすぐに文句を言うことができなかった。
どうしてあんなことを言ったのか。今のこの表情が何を示しているのか。思い至ったそれに、すぐさま言葉が出ない。
反応できるまで居心地悪い視線に晒されてから、ようやくリーは大きく溜息した。
「……アーキス、お前……」
「さっさと認めればいいのに。ほんっとリーも強情だよね」
見透かされていた恥ずかしさと、こうまでされなければ言い出せぬ情けなさと、わかられている嬉しさと、それでもほんの僅かに残る不安と。
過ぎ去った嵐の後始末ができぬまま、それでも少し笑う。
本当に敵わない、なんて。悔しくて言えないから。
「…勘弁しろって……」
せめてもとぼやくと、いい笑顔を返された。
ふいっとあからさまに視線を逸らしてから、瓶に半分残る酒をふたつのグラスになみなみ注ぎ、行き場のない感情ごと呑み下すリー。
その様子に更に笑みを深くしてから、アーキスもグラスに口をつけた。
無言でグラスを空けてから、リーが深く息を吐く。
「…ホントはどうなんだ?」
隣でぼそりと問われ、アーキスは横目でちらりとリーを見た。気持ちが落ち着いてきたことで、今度は拗ねているのだろうか、未だこちらを見ないままのリー。
「何が?」
「ラミエのこと、好きだって…」
「ああ。それ?」
わかりやすく沈む様子に、やりすぎたかなと内心思う。もう少しからかえそうな気もするが、本来の目的はそれではないのでやめておくことにした。
「かわいいとは思うけど。どうこうなりたいとかは思ってないよ」
「どっ、どうこうって……」
「何焦ってるの」
見たことのないリーの慌て振りに笑ってから、それに、と続ける。
「さっきも言ったけど。お互いどんな顔して相手のこと見てるか、気付いてたらそんな気起こらないって」
お互い視線で追いながら。時折交わるそれに、わかりやすく表情を崩す。特にラミエは顕著で、以前にはなかった華やかさと艶はもはやフードでは抑えきれていない。
当てられ落ちる者が多い中、その視線の先に気付いている者もまた多く。
だからこそ、誰かが無茶な行動に出る前にはっきりさせておいた方がいい。
場に集うのは請負人ばかりとなれば、リーの実力も最近本部によく出入りしていることもある程度は知られているはずだ。思う相手ではなく思い合う相手ならば、その場にいなくともラミエの盾となれるだろう。
「……俺も?」
「そうだよ。少なくとも俺にはバレバレ」
呆れとからかいを含む声音に、リーがべしりとアーキスの腕を叩く。
「ラミエが気付いてるかはわからないけど。でも、リーははっきり伝えるべきだと俺は思うよ」
続けられた言葉に、二度目を叩こうと振りかぶった手はそのまま下ろされた。
じっと自分を見る眼差しにまだ残るためらいを感じ取り、アーキスは首を傾げる。
「どうかした?」
からかいを引っ込めて真剣に問うと、リーは困ったように眉を寄せ、そうなんだけどと呟いた。
カレナの話を聞いたアーキスは、うつむくリーを仕方なさそうに見返していた。
「悩む気持ちもわからないでもないけどさ…」
声音に混ざるのは呆れ半分、納得半分。その様子に、やはりアーキスならばすぐに答えを出せるのかと少々落ち込む気持ちにもなる。
わかりやすいリーに苦笑しながら、アーキスはあくまで自分の意見だと前置いた。
「それって、今リーがひとりで決めることじゃないと思うんだけど」
あっさり告げられた言葉は自分が考えもしなかったもので。リーはがばっと顔を跳ね上げてアーキスを見返す。
「お互いの気持ちを確かめて、そこからふたりで考えることなんじゃないの?」
よっぽど必死な顔をしていたのか、アーキスの笑みが少し緩んだことに気付き、リーも苦笑を浮かべた。
昔も、今も。自分はどこまでこの友人に助けられているのだろうか―――。
謝辞の代わりに息を吐き、リーはドサリとベッドに頭と背を預ける。
「…それでいい…のかな…」
「だって、ふたりのことなんだからラミエの意見も聞かないと」
当たり前のようにそう返し、アーキスもベッドにもたれた。
ふたりして黙り込んでいたが、不意にリーが空の酒瓶に手を伸ばす。
「……まだあるからさ、荷物になるけど、好きなの持ってって」
唐突な言葉にくすりと笑い、アーキスは肩をすくめた。
「じゃ、遠慮なく」
「…次、自炊できるとこでもいいけど」
「赤の三番にあったっけ?」
お互い顔を見ないまま、暫くそんな会話をしてから。
「…ありがとな」
「どういたしまして」
リーがようやく告げた礼に、穏やかにアーキスが応えた。




