戸惑う気持ちは夜に沈み
リーに遅れること少し、おそらくはいつもより早く起き出してきたジークに、アーキスは工房を貸してもらった礼を述べる。
役に立ったなら、と微笑むジークへと、アーキスは二枚の紙と六つの紙包みを手渡した。
「これを作って…?」
「金属用の着色剤。ジークさんが金細工師だってことは聞いてたから、前から準備してて。少しずつしかないけど、メイスンさんと分けてもらえたら」
「師匠と?」
怪訝そうなジークに頷いてアーキスはちらりとリーを見る。
「メイスンさん、俺のこと気付いてるのに黙っていてくれたんだと思う。否定的な人もいるけど、工房に着色金属があったから…」
「師匠は色々と積極的だから、表現法が増えたって喜んでたけど。着色剤って、そんな高価なもの…」
戸惑いも露わなその声に、アーキスは柔らかく笑み首を振った。
「合わせるのに手間がかかるから出回らなくて高いだけで。材料はそうでもないんだ」
「兄貴。アーキスがせっかく作ってくれたんだから、受け取ってやれって」
リーの言葉を受け、ジークはふたりを順に見やってから観念したように息をつく。
「…ありがとう。使わせてもらうよ」
和らいだ表情から伝わる感謝の気持ち。同じく眼差しに感謝を乗せ、アーキスも笑みを返した。
少し寝られればいいから予定通り今日の出立でも、と言ったアーキスに、急ぐ旅でもないのなら、ともう一泊するように勧めたジーク。まだいい酒残ってんだけどな、というリーの言葉を決定打に、出発は明日へと延ばされた。
昼まで寝てくるというアーキスを置いて、リーはジークとともにニキールスへと行った。着色剤を受け取ったメイスンは穏やかに笑うだけで、結局アーキスのことは聞いてこないまま、礼を伝えてくれとだけ言われた。
ジークは暫く残るというので、今晩に向けあれこれと買い漁ってから先に戻ったリー。ネイエフィールの下を訪れ、アーキスに余計なことを話すなと念を押しておいてから、残る時間は邪魔をされぬうちにと下拵えに費やした。
昼食後は起き出してきたアーキスとともに、再びネイエフィールを訪れた。少しでも龍に慣れるためにと思ったが、傍らに座って穏やかに話すその様子から、余計な心配だったかとほっとする。
相変わらず幼い頃の話を聞こうとするアーキスと嬉々として話そうとするネイエフィールを止めながら、夕方まで過ごした。
夕食と三人での晩酌時にリーが作った料理は食べてしまったので、部屋では酒だけ飲むことにしたふたり。ベッドを背もたれ代わりに並んで床に座って、ゆっくりグラスを傾ける。
「楽しかったなぁ」
しみじみと呟くアーキスに、何言ってんだよとリーが苦笑する。
「自分の偽物がいたってのに。呑気だな」
「アクス・オルナートは俺だけど俺じゃないから」
言い切るアーキスは考え込むようだった昨日とは違い、どこか吹っ切れたような顔で。
「リーこそ。ホントに色々あったみたいだね」
続けられた言葉にリーも笑う。
「まぁな」
本当に色々あった。
そして同時に、たくさんのものに出逢った。
胸元、押さえるように服を掴んで。
「振り回されてばっかだけどな」
「リーはお人好しだからね」
一言多いアーキスを横目で睨むと、気にした風もなく笑われる。
「俺にどれだけ手伝えるかはわからないけど。これからよろしく」
こちらを見ず、正面を向いたままのアーキスの声に。
「頼りにしてるよ」
こちらも前を向き、静かに返した。
二本目を半分ほど飲んだ頃だった。
「ねぇリー。聞いてもいい?」
ベッドに背を預けたまま、ポツリとアーキスが零す。
妙に改まった声に、ちょうど口に含んだところだった酒を飲み込もうとしたところへ。
「ラミエのこと、どう思ってるの?」
「ゲホッ」
思ってもない質問をされ、リーは吹き出しかけた酒を無理やり飲み込んで。
ゲホゲホと咽せながら、何を、と思う。
酒のせいで焼けるように痛む喉と止まらぬ咳に涙目になりながらアーキスを見ると、グラスを置いたアーキスは真剣な表情でこちらを見ていた。
「…ラミエがどんな顔してリーを見てるか、気付いてるよね?」
「…どんな…って……」
咳が治まってから、かすれた声でそう返して。まるで心中を覗くような眼差しを向けてくるアーキスを、リーは唇を引き結んで見る。
脳裏に浮かぶその姿。
嬉しそうに弾む声も、はにかんだ笑顔も、遠慮がちに伸ばされる指も、自分に向けられたもので。
ほかの男に向けられているところを見たことがないということは、そういうことなのかと思うけれど。
「……よく思ってくれてるのは…わかるけどさ……」
「それで?」
戸惑いの勝るリーの声とは真逆の、強い声で。
「リーはラミエのこと、どう思ってるの?」
アーキスは同じ問いをもう一度繰り返した。
最初はただ、美人だなというくらいの認識しかなかった。
エリアとティナ、あの双子を本部へ連れていったことから話すようになったラミエ。
何もできなかったと落ち込んでいた時には、わざわざ宿まで励ましに来てくれた。
何度も気遣われ、その優しさに救われた。
自分を見る眼差しがいつからそうだったのかはわからないし、自分がいつからそれを嬉しく思うようになっていたかもわからないが。今は間違いなく彼女のことを特別に思う自分がいる。
―――しかし。
「…俺、は……」
脳裏によぎる、カレナの言葉。
自分の思う特別にはなんの覚悟も含まない。
生きる時間が違うと言われても、何をどう考えればいいかなどわからない。
ただでさえ明日をもわからぬ職であるのだ。そんな自分が何を示せるというのか。
言葉に詰まり、一度口を噤む。
じっと自分を見据えるアーキスと目を合わせてから、逃げるように視線を落とした。
「…ラミエのことは…多分………そうだと思うんだけど…」
「そうって?」
間髪入れずに問い返され、リーは再び沈黙する。
ためらうように言葉を紡ぎかけてはやめてを繰り返してから。
「……好き、なんだと…」
長い沈黙の割に形になったのは曖昧な言葉で。
うつむいてまた黙り込んだリーを、アーキスはいつもより感情の見えない瞳で捉える。
「そっか」
アーキスの短い呟きは、どこか淡々と響いた。
再び訪れる沈黙。今まで感じたことのないその妙な居心地の悪さに耐えかねて、リーが顔を上げたその時。
「その程度の気持ちなら引いてくれない?」
動きに被せるように、アーキスが言い放った。
「…え?」
リーの口から自然と零れた疑問の声に、目の前の親友は感情の見えない顔のまま、すっと藍色の瞳を細める。
「俺もラミエが好きなんだ」




