表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/45

すべてを置いて

「死ぬかと思った」

 夕食後、前日同様三人で酒を飲みながら、リーがアーキスを睨みつけてぼやく。

「死ぬわけないって」

 すっきりしただろ、と笑うアーキスを少々恨みを込めて強めに叩く。

「普段不摂生してるから、痛みも強かったんだって」

「お前だって一緒だろうがっ」

 甘んじて受け入れながらの言葉にはそれしか返せず、リーは叩くのをやめて酒をあおった。

「仕方ないだろ。ホントに痛くしないと、リー、全然そう見えなかったんだから」

「うるせぇ」

 己の演技力は棚に上げて半眼のままグラスを置くと、宥めるようにジークが酒を注ぎ足す。

「でも、知ってても焦ったよ。本当に具合悪そうで」

「ホントに悪かったんだっつーの…」

 思い出したくもない、と内心呟き、リーは足された酒を飲んだ。



 あのあと、男ふたりの身柄は保安(セリド)協同団に引き渡された。フォードナー工房としての被害は数日泊めて食事を出した程度であるが、手慣れた様子から余罪があるだろうとの判断だった。

 現に保安員(セリド)を待つ間にメイスンが聞き出したところによると、男は以前に偶然勘違いされて歓待されたことで味を占めたらしい。

 銀細工師である男の名はアクス。工房名はアクス・オルナートにあやかろうと、オルファードとつけたそうで。連盟から発行される技師名の書かれた登録証を、わざと工房名に指を重ねることでごまかせることを知ってからは、そうした使い方をしてきたらしい。

 それまでの自身の努力を無駄にするようなことを、と呟いたメイスンに、男はうなだれ答えなかったという。

 直前に引き込んだという連れの男は何も知らないと言い張っていたそうだが、その辺りは保安(セリド)で調査がされるだろう。

 一段落したのが夕方前。メイスンには騒動に巻き込んだことを謝られたが、知らなかったこととはいえ、本来巻き込んだのはこちらであるのだ。

 被害がなくてよかったと思いながら、リーは横目で隣のアーキスを見る。

 どうするだろうかと思ったが、アーキスは自分のことを言い出さなかった。尤もあの場で言い出せばさらなる混乱を招くことになっただろうが。

 今は穏やかな顔で酒を飲むアーキス。

 気にしてないか、と。

 聞けぬまま、リーもグラスを傾けた。

 三人で一本を飲み切って。続きは部屋で飲むかと言ったリーに、アーキスは首を振る。

「やりたいことがあるから。今日はこれでやめとく」

「やりたいこと?」

 尋ねるリーに頷いてから、片付けようとしていたジークに視線を向けた。

「工房、一晩貸してもらえないかな?」



 静けさと少しの肌寒さの中、アーキスはジークの工房内に己の道具を並べ始める。

 唐突な申し出にも関わらず、ジークは嫌な顔ひとつせずに了承した上に、道具も材料も好きに使っていいと言ってくれた。

 ほんの少し感覚が変わるだけで大きな影響を与えかねないからこそ、弟子ではない者に作業場を使わせること―――使い慣れた道具を他人の手に委ねることを嫌がる技師は多い。それなのにためらう様子もなく頷いたジーク。無条件の信頼が何を所以とするのかは、今更考えるまでもない。

 客室から持ってきた荷から、作業途中の紙包みをいくつも出す。ここへ―――バドックへ行くと聞いてから、道中で材料を揃え、毎夜少しずつ進めていた。仕上げも部屋でできないことはないが、少し時間も集中も必要となるので、できればそれなりの広さがほしかったのだ。

 少しずつ作業を進めながら、昼間のことを思い出す。

 あのあと、メイスンに出身地を聞かれた。調合師だと言ったにも関わらず技師名を聞かれなかったことから『アクス・オルナート』だと勘付かれているのだと気付いた。

 もう帰ることのない故郷の名はソリング―――マリツェ地区内、赤の四番のすぐ近く、商業組合本部のあるデーリッドの隣町だ。



 留守がちな父親は、商業組合の幹部だった。扱うのは主に絵画などの芸術作品。もちろん商業組合は世襲制ではないが、幼い頃から鑑賞眼を養うためにと様々なことを学んできた。

 強制的に習わされたものもあるが、自分がやりたいと言ったものはすべて許可された。中でも調合は特に自分に向いていたらしい。僅かな誤差も許されないその緊張感が、ただただ楽しかった。

 間違いなく自分は期待されていたのだと思う。父親がこれまでに培ってきたもの、それを引き継ぐことを望まれていると幼いながら理解していた。

 だからこそその期待に応えようと努力し、それなりに結果は出してきた。忙しくなかなか会えない父親にほめてもらいたくて頑張ってきた。

 父親から、期待している、その調子で頑張るように、と声をかけてもらって喜んでいた。

 ―――しかし、ある時気付く。

 父親が見ているのは、本当に自分なのか、と。



 ランプの炎のゆらめきが収まるのを待ってから、計った薬品を混ぜていく。

 リーの兄のジークが金細工師だということは養成所時代に聞いていた。以前リーに見せてもらった就職と進級の祝いにもらったという透かし彫りは、出来云々ではなく、その丁寧さに相手を大切に思う気持ちが感じられるもので。

 それを伝えられるリーの兄への羨望と、同じ兄としての自分の不甲斐なさ。

 覚えた気持ちと思い出した過去の出来事に、何も言えなくなった。

 ふたつ下の双子の弟たちを産んですぐ母親は亡くなったというが、記憶はなく。ずっと育ててくれた乳母が母親代わりであり、母親だと思っている。

 弟たちにもそれぞれ乳母が付き、我が子と変わらぬ愛情を注ぎ育ててくれていた。

 姉妹である乳母たちの仲はよく、そのお陰もあり自分たちも幼い頃から一緒にいることが多かった。

 兄弟仲は悪くないと、少なくとも自分は思っていたのだが―――。

 おとなしい下の弟に、ある日言われた。

『兄さんに僕たちの気持ちはわからないよ』と。

 ふたりで補い合うような弟たち。自分とは違い、彼らはそれでいいと思っていたのに。

 自分の存在が彼らに負担をかけていたのだと、その時に知った。



 満遍なく混ざり、僅かながら発していた熱が収まるのを待ってから、ふたつに分けて包んでいく。

 感情に任せて家出のようなことをしてみても、本気で心配して怒ってくれたのは乳母だけで。

 調合師の技師名を取ると告げた時は、必要ないと反対された。

 父親が必要なのは自分ではない。

 父親の知識や考えを受け継いだ『代わり』なのだと気付いてからは、何をする気もなくなった。

 弟たちのことは心配だったけれど、きっと自分がいない方がいい。

 そう思い、父親を説き伏せ生家との縁を切った。

 家を出たいと言った時の父親の顔と。

 戻らないと告げた時の弟たちの顔が。

 今でも忘れられない。



 似たような作業を繰り返し、三種類、七つの紙包みを作った。

 一番小さなひとつには内容物と量、あとの六つには内容物だけ書きつけてある。

 二枚の紙に同じ内容で使い方と注意点を書き出した。

 道具を片付け、一番小さな包みだけは鞄にしまう。

 時刻は明け方。広い場所を借りられたお陰で順調に終えられたと吐息をついた。

 実家のあるソリングにはあれから一度も足を踏み入れていない。デーリッドも赤の四番もできる限り避けている。六年と少しが長いかどうかはわからないが、もしかすると弟たちとどこかですれ違ってももう気付けないかもしれない。

 すべて置いてきたつもりだった。

 この先関わることはないと思っていた。

 しかし―――。

 ふと気配に気付いて顔を上げる。

 心配性だな、と少し笑い、アーキスは立ち上がった。



 まだ薄暗い中、リーはジークの工房の前に立っていた。

 中で動いている気配はするが、もし作業を終えていなければ邪魔をしてしまうので、少し待ってみて動きがなければ戻ろうと思っていた。

 偽物の『アクス・オルナート』を捕まえて以降、何やら考え込んでいる様子だったアーキス。作業場を借りたいと言い出したことも含め、何やら思うところがあるらしい。

 調合師のほかにもいくつもの技師としての名を持つことを自分は知らなかったが、アーキスがなぜ自分に言えなかったのかはなんとなくわかるような気もしていた。

 年末に向け日の出時刻はだんだんと遅くなる。ようやくほんのりと明るんできた空を見るともなしに見上げていると、中から近付く足音に気付いた。

 工房の扉が半分ほど開いて。

「…リー。早いね」

 疲れたというよりは、どこか照れくさそうな。そんな顔をするアーキスに。

「おつかれ」

 今はただ、いつも通りの言葉をかけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  リー、すっきりしてよかったです。笑    そういうことでしたか。メイスンさんの言うとおりですよね。そこまでは自分で頑張ってきたのに……。自分から堕ちてしまうのはもったいないですよね。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ