ふたりの調合師
翌朝、リーたち三人はニキールスへと向かった。
ジークの師匠、細工師メイスン・フォードナー。金細工師のジークとは違い、金属細工を主とするが必要に応じて宝石や木工なども手掛ける。それなりに高齢の今になっても貪欲に技術を学び続ける姿勢を、本人はただの細工馬鹿だからと笑うそうだ。
そんなメイスンを慕う者は多く。フォードナー工房は弟子たちが途切れることのない、いつもにぎやかな工房だった。
「リー。これ」
ニキールスの町に入る直前で、アーキスがリーに薬包を渡す。
「……大丈夫だよな?」
「当たり前だろ」
おそるおそる受け取るリーに満面の笑みを返し、薬を飲み切るのを見届けてからジークへと頷いた。
「じゃあ、見学させてもらいに行こうか」
少し緊張した様子で歩き出すジークに続いて町へと入る。
バドックの倍以上の広さのあるニキールスの町。通りの店舗には日用品の店も多く並んでおり、店らしい店のないバドックの住人もよく買い出しに来ていた。
町の奥の方にある二階建ての工房の前まで来た三人、顔を見合わせて頷き合ってから、ジークがゆっくりと扉を開けた。
「よく来たな。リーシュも、どれくらい振りだ?」
にこやかに話しかける小柄な初老の男。
迎えてくれたメイスンに、リーは久し振りと頭を下げる。
「請負人になってからは初めて…かな」
「全く。顔くらい出さんか」
コン、と軽く小突いてから、メイスンは一歩うしろに立つアーキスへと視線を向けた。
「同期のアーキス。ちょうど一緒にバドックに来てたんだ」
「僕も見学させていただいて構いませんか?」
視線に気付いたリーが紹介するのに合わせ、アーキスも同行を請う。
「もちろん。…まぁ少し思っていた様子とは違うが…」
歯切れの悪いメイスンの言葉に、リーたちは顔を見合わせた。
メイスンについて作業場へと来ると、何やら列ができていた。ここの弟子たちだろう男たちは、自身の作品を手に並んでいるらしい。列の先のテーブルにはふんぞり返って座る中年の男と、その横で弟子たちの作品の受け渡しをする痩せた男の姿があった。
「あの人がアクス・オルナートさん?」
どうやら作品を見て評価してもらっているらしく。人によっては返されずに何やら書きつけた紙とともに隣のテーブルに置かれていた。手ぶらで戻ってきた男に話を聞くと、もっと詳しい評を書くために預かると言われたらしい。
列が捌けるのを待ってからメイスンと一緒に近付くと、明らかにびくりと身を引かれた。
目線は完全にリーとアーキスの剣へと向けられている。
「もう独立した元弟子と、その弟と友人です」
「ジーク・フェルズです。弟の…」
「リーです」
「アーキスです」
メイスンが怪訝な顔をしていることには気付かない振りをしながら、リーは会釈して男を見上げた。
「…アクス・オルナートだ。君たちは…」
「請負人なんです」
「あ、ああ、どうりで…」
おそらく保安員でないと聞き安心したのだろう、男たちの顔に安堵の色が見えた。
やはりふたりともそうかと確認しながら、話し始めたジークを残し、リーたちは少しうしろに下がった。
ジークが自分の作品を見せて話す様子を見ながら、リーは視線はそのままに小声で呟く。
「警戒してたよな」
「そうだね」
同じく前を向いたままアーキスが返す。
「リーの剣、目立つもんね」
「んなに変わんねぇだろ。で、どう?」
「…まぁ言ってることは普通だけど、完全に素人ってわけでもないみたいだね」
ジークの作品にあれこれとそれらしくもふわっとしていて要領を得ない論評を並べる男に、表情ひとつ変えずにアーキスが答える。
「俺、オルナートなんて小っ恥ずかしくて名乗ったことないんだけど」
小声でぼそりと付け加えられた言葉に苦笑してから、リーは改めて男を見た。
中年ではあるが、体格はよく眼光も鋭い。おそらくそうして威圧感を増すことで、余計な質問をされにくくしているのだろう。
メイスンがどうして男を本物だと思い込んだのかはわからないが、どうやらそれなりに評も言えるらしく。そして何より、一度受け入れてしまえば本人かどうかなど聞けるものではない。
堂々とした様子から、おそらくこれが初めてではなく何度か使ってきた手口ではないのか、と。
そう考えていた時だった。
ぞわりと腹部に違和感を感じた直後。
「いっっ……」
突然の激痛に、リーが呻いて膝をついた。
「リー?」
腹を押さえてうずくまる。隣からアーキスの声が降ってくるが、応えることができない。
腹に焼けた鉄杭を何本も刺され掻き混ぜられているような。鋭い痛みと言いようのない気持ち悪さが襲う。
「リーシュ!」
「どうしたっ?」
ジークとメイスンの声がする。
「リー! 大丈夫??」
先程より近くで聞こえたアーキスの声になんとか視線を上げると、傍らに屈み込んだアーキスの口の端が少し上がるのが見えた。
(聞いてねぇぞっ!!!)
確信犯への悪態も痛みで口にはできず、脂汗をかきながら耐えるしかなかった。
腹を押さえてうずくまるリー。その横に膝をつき、心配そうに背に手を当てて覗き込んでいたアーキスは、ジークとメイスンが来たことに気付いて顔を上げる。
「腹痛の…」
「どうした?」
言いかけて瞠目したアーキスに、メイスンが尋ねた。そんなメイスンとリーを見比べて、アーキスは不安気に眉を寄せる。
「……リー、昨日の昼にリスタ貝食べてて…。ちゃんともらった薬も飲んでたんですが…」
寒い時期に食べられるリスタ貝は旨味も強く酒にも合うと人気の食材であるのだが、食べられるのは産卵後の暫くの間のみ。それまでは卵とともに毒を持つのか、食べると激しい腹痛を起こすことで知られている。目安としては後撒きの麦が芽を出した頃で、まだ時期的に早い。
しかし産卵前の方が格段に美味しいので、解毒薬を飲んで食す者もいる。ただ解毒薬も処方としては確立しているものの合わせ方が繊細で、失敗していれば全く効かない。もちろんその時は一日の潜伏期間の後に激痛に苦しむことになる。
「何をバカなことを…」
呆れを滲ませつつも、心配そうにメイスンが呟く。
命を奪うような毒ではないものの、それでも治まるまで数日はかかる。まだ若く健康なリーにはいらぬ心配かもしれないが、身体が弱ることで命を落とす者もいるのだ。
「薬があれば…」
リーの背をさすりながらアーキスが呟いた声に。
メイスンが弾かれたように『アクス・オルナート』を振り返った。
「アクスさんは調合師でもありましたね?」
詰め寄るように前に来たメイスンにそう聞かれ、男は僅かに動揺を見せながら頷いた。
「た、確かにそうだが…」
「解毒薬を作っていただけませんか!」
メイスンの勢いに押され、男は椅子の背もたれが軋むほど身を引きながら、しかし、と呟く。
「あ、あいにくと、今薬草を切らしてて…」
「あ、僕あります!」
アーキスが立ち上がり、鞄に手を入れながら駆け寄った。
「へ?」
「必要なものがあれば使ってください。足りなければ橙三番で買ってきますから」
男の間の抜けた声には触れずに、アーキスは男の隣のテーブルに小箱を置く。
「…な……」
「僕も調合師なんです。あと何が必要ですか?」
「な、なら君が…」
「僕には無理です。本職はあくまで請負人ですから。合わせ方が難しいの、もちろん知っておられますよね?」
小箱を開け、薬草名が書かれた薬包を取り出しながら。
「ですので。お願いします」
ずらりと薬包を並べ、アーキスが男を見据えた。
男が迷いながら選びだした四つの包みを見て、アーキスは首を傾げる。
「…これだけ、ですか?」
呟くと、明らかにびくりと動揺する男。
「ああ、あとは買いに行けばいいんですね」
独り言のように頷いてから、取り出されたうちのひとつをつまみ上げて男に見せる。
「僕、ミルフェンは飲用できないと思ってたんですけど」
「い…いや……その………」
もごもごと口の中で何やら言いながら、顔を見合わせる男たち。
一連の様子を黙ってみていたメイスンが、大きく息をついて一歩踏み出した。
「失礼を承知でお尋ねしますが。あなたは本当に『アクス・オルナート』なのでしょうか?」
静かに、しかし強い口調で尋ねたメイスン。
暫しの沈黙、そのあとに。
突然目つきを変えた男がメイスンへと手を伸ばした。
その腕を横から掴んだアーキスが、勢いよく引いて力任せに男を自分の方へと向かせる。
浮かべた笑みに男が声を上げるよりも早く。
無防備に開いた腹部に握った拳を叩き込み、掴んでいた腕を下へと払った。膝をついた男のうしろ首に手を当て、床へと勢いをつけてやる。
一言も発せないままのされた男に、もうひとりの痩せた男はその場にへたり込んだ。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。助かったよ」
アーキスの声に目の前の出来事から我に返ったメイスンが、男たちを見下ろして息をつく。
「…しかし、このままではリーシュが―――」
まるでメイスンの言葉を遮るように突然立ち上がったリーが、ものすごい勢いで作業場の外へと駆け出していった。
呆然と見送るメイスンに。
「どうやらリスタ貝の中毒じゃなかったみたいですね」
にっこり微笑んで、アーキスが告げた。




