途切れる言葉は夜に呑まれ
メイスンの下を訪れているという『アクス・オルナート』を放っておくわけにもいかず。リーたちは明日予定通りジークとともにニキールスへ行くことを決めた。
ジークが用意した酒はほとんどリーがひとりで飲んでしまったため、まだ飲み足りないだろうアーキスには手持ちの分を出してやることにする。もちろん日頃の礼も兼ねて、とっておきのものを出してくるつもりだ。
アーキスとジークが話している間につまめるものを二品ほどつくり、それらとともに自室へとやってきた。
自室の机は壁向き、椅子も一脚しかないので、ふたりで床に座る。
「で、どうすんだよ」
隣のベッドの下から酒瓶を引っ張り出しながら尋ねると、視線は酒瓶を追いながら大丈夫と答えるアーキス。
「ジークさんと相談して大体決めといた」
「早ぇな」
「もちろん協力してくれるよね、リーシュ?」
やっぱり少し気にしてはいたかと苦笑しながら、ハイハイと返事をする。栓を抜き酒瓶の口を向けると、アーキスはにっこり微笑み返してからグラスを持ち上げた。
なみなみ注いでやってから、自分のグラスにも同じくらい注いで。
「んじゃ、明日の成功を願って」
「リーの活躍を期待して」
なんだよそれ、と笑いながらグラスを合わせた。
「リーって料理上手いよね」
食べながらぼそりと呟くアーキスに、リーは苦い笑みを浮かべる。
自分が作ったのはありあわせの材料をただ炒めたり和えたりしただけのもの。口に合ったのは嬉しいが、続く言葉の予想がつくだけに喜んでばかりもいられない。
「子どもの頃から作ってたからだって言ってるだろ」
物心ついた頃には両親はおらず。兄姉に世話をされながらも、手伝えることはやってきたつもりだった。少しばかり料理ができることも単にその結果であり特別なことではないと、アーキスには何度も言ってはいるのだが。
「一緒に旅してるうちに、どっかで自炊できる宿とか泊まれないかな」
「作るの俺だろ、どうせ」
ぼやくと珍しく拗ねた顔で見返してくる。
「だってリー、手伝わせてくれないだろ」
内心やっぱりと独りごちて。
「お前とやると暇かかってこっちまでわけわかんなくなんだよ」
「俺だってわかんないから聞いてんのに」
「細かすぎんだよ」
調合師だと聞いてなんとなく―――あくまでなんとなく納得はいったが、何をどれだけいつ入れるのか、はっきりさせないと気が済まないアーキス。下拵えから任せると一日仕事になってしまい、そうこうしているうちに食材は傷み鍋は煮詰まりと調理自体が行き詰まってしまい失敗するのが常で。今までひとりでまともに仕上げられたことがない。
それでも本人は料理に興味があるらしく、人が作っているところを見れば質問攻めにするのだ。
「適当に切って適当に味付けて、ってできねぇ限りはやめといた方がいいって」
「適当にしたら二度と同じの作れないのに」
「わかるほどの違いは出ねぇんだから、それでいいっつってんだろ」
「気持ち悪いから無理」
「だからやめとけっつってんだよ」
自分も高所の克服を根気よく手伝ってもらった過去があるからこそ、アーキスにもと思ったこともあったのだが。事前に調味料を量って準備しておいたとしても、きっちり寸分違わず切ろうとする限りは無理だと諦めた。ちなみに切らずに済ませようと野菜を丸茹でさせようとしたら、ひとつひとつ大きさが違うのに茹で時間は同じでいいのかと聞かれたので面倒になってやめた。ひとつずつなら茹でられるかもしれないが、豆を一粒ずつ茹でるほど自分たちも暇ではない。
申し訳ないとは思いつつも、向いていないのは明らかで。それならもう諦めさせる方がいいのではと思っている。
飲み食いしながら明日の作戦を聞き、色々とあったものの詳細も決まった。
準備があるからこれだけにしとくと言うアーキスに、瓶に残る酒をすべて注いで。刺さる視線に何かと問うと、アーキスはギリギリ上まで注がれた酒を少し飲んで呟いた。
「…リーの名前、ほかは誰が知ってるの?」
一瞬どうしてそんなことをと思ったが、知らぬ相手に話さないように用心するためかと納得する。
「組織には養成所に入る面接の時に説明してる。龍にも隠し事はバレるから。あとは成り行きで赤いのと黄色いのが…」
あのふたりにバレてしまったのはしくじったと今でも思うが、こればかりは今更仕方ない。
じっとリーを見たまま、アーキスがまた口を開いた。
「ラミエは?」
「ラッ…ミエは職員だし調べられるとは思うけど……話しては…」
上擦る声にも尻すぼみの言葉にも触れぬまま、そっか、とアーキスが一言呟き口を噤む。
何となくそれ以上続けられず、リーはグラスに残る僅かな酒を飲み干した。
「そういやほかには何の弟子名持ってるんだ?」
あまりに聞かれてばかりなので今度はこちらからと思いそう尋ねると、グラスに半分残る酒をちびちび飲んでいたアーキスが少し笑みを見せる。
「絵師、彫師、陶芸師、あと染めとか織りとか。そんな感じのが多いかな」
「職っつーか、芸術系だな?」
思ったことをそのまま口にすると、頷くアーキスの笑みが少し翳った。
「基準の曖昧なものの価値を理解するには自分で作るのが一番だから、だって」
普段より少し沈む声音に、リーははっとする。
養成所時代に少しだけ聞いた、アーキスの家のこと。
父親が芸術分野を主とする商業組合員で。アーキスも幼い頃からその価値観を学ばされてきたらしい。
しかしそれに耐えられず、縁を切ることを条件に家を出たと話していた。
淡々と事実だけを話すその様子に、自分は何も言えなかった。
ただアーキスがつらそうでも悲しそうでもなかったことだけは、まだよかったのかなと思ったことを覚えている。
何も言えなくなってしまったリーに、アーキスはふっと息をついて穏やかな笑みを向ける。
「今は全然使わないけど。全く無駄ってわけじゃなかったとは思ってるよ」
取り繕っての言葉ではないことはわかったが、それでも何も返せず。
リーはまたグラスを傾けるアーキスをただ見返していた。
空になった食器を片付けついでに、アーキスを客室へと連れていく。
「ごちそうさま。明日、よろしくね」
いつも通り穏やかな表情のアーキス。
今日一日も色々あったはずなのに、もうすべてを受け入れたように見えて。
アーキスらしいと思う一方で、少しだけ心配にもなる。
「なぁ」
何が、というわけではない。
ただ穏やかすぎるその様子が気になっただけなのだ。
「それだけ技師名持ってんのに、なんでわざわざ請負人になったんだ?」
声をかけたものの、特に問いたいこともなく。なんとなく気になっていたことを口にするが。
アーキスは全く動じた風もなく、変わらぬ眼差しでリーを見返すだけだった。




