アクス・オルナート
夕食後、自宅に戻ったリーたち。飲むだろ、といつものように酒を出してきたジークと三人でテーブルに着く。
自分がネイエフィールの下へと話しに行っている間にアーキスとジークはすっかり打ち解けており、どちらも普段と変わりない口調で話すようになっていた。
「リーシュとアーキスはいつまでいられるんだ?」
そう問われ、リーはアーキスと顔を見合わせる。
「そういえば決めてなかったね」
「一応用事は済んだけど…どうかした?」
自宅なのだから好きに過ごせばいいと言って、いつもあまりこういうことは聞いてこないジーク。珍しいなと思い問い返すと、実はと告げられる。
「明日、師匠のところに呼ばれてるんだけど。師匠、ずっとリーシュのことも気にしてくれてるから、顔出したら喜んでくれるだろうなって思って」
「メイスンさんが?」
ジークの師匠である細工師メイスン・フォードナーは、バドックから徒歩で半時間ほど離れた隣町、ニキールスに工房を構えている。両親のことも知っているメイスンは、ジークが弟子入りする前から自分たちのことを気にかけてくれていた。
メイスンとは請負人の養成所に入る前に会ったきり。それなのにまだ気にしてくれているのかと嬉しくなる。
「行くよね」
緩んだ顔に気付かれたのだろう。何も言わぬうちからアーキスに断言され、リーは苦笑した。
「いいか?」
「もちろん。ほかの工房って興味あるし」
即答にありがとうと返しかけ、違和感に気付く。
「…ほかの工房?」
呟いた声に首を傾げてから、そっか、とアーキスが笑った。
「リーは知らなかったよね。俺、細工師の弟子名も持ってるから」
「はぁ???」
頭のてっぺんから出たようなリーの声を気にも留めず、ジークが興味深そうに身を乗り出す。
「アーキスも細工師なんだ? 誰に師事を?」
「俺はミルコ・ツァーリ師匠に」
「ツァーリ工房! また大きなところに…」
「待てって! 何呑気に話進めてんだよ??」
我に返って割って入ったリーに、ふたりはきょとんと首を傾げた。
このふたりなんか似てんだよな、と心中ぼやきつつ。リーは盛大に溜息をついてからアーキスを見やる。
「お前は請負人だよな?」
「もちろんそうだけど」
「調合師じゃなかったのか?」
「調合師だよ」
「で、細工師だと」
「弟子名だけどね」
師匠に独立を認められれば、工房名を申請することで新たな技師名として名乗り独立できる。
一方で、独立するには足りないが販売できるだけの作品を作れる者、独立を望まぬ者は、師匠の工房名のままで技師として登録はできる。しかしこの場合、技師にしか販売されない素材を買うことはできるが、師匠の許可なく作成品の販売はできない。
おそらく依頼品を作るだけで生活ができるメイスンが橙三番に弟子たちと共同の店舗を持つのは、独立した者だけではなくそうした弟子の作品を置くことで、独立に向けての顧客を増やすという目的もあるのだろう。
間髪入れずに返してくるアーキスに、リーは半ば諦めたような気持ちでもう一度深い溜息をつく。
「…まぁアーキスは器用だし、あとひとつやふたつくらいあったって驚かねぇけど…」
「二十くらいあるけど驚かない?」
「にっっ????」
「技師名取ったのは調合師だけだけど。弟子名ならいっぱいあるよ」
あっけらかんと言い切ってから、開いた口が塞がらないリーを見て。
「驚いてる」
楽しそうにそう笑うアーキス。
暫し呆然とその顔を見つめてから、リーはがくりと肩を落として息をついた。
「…驚くに決まってんだろ……」
苦虫を噛み潰したような呟きを洩らし、全く、と独りごちる。
技師は個人の技量を職とする者。二十もの技師としての名を持つということは、同じ数の技を持つということになる。
普通であれば冗談にしか聞こえないが、アーキスなら有り得る話と納得してしまう自分がいた。
「関連のあることをいくつか取る人はいるけど…これじゃまるで……」
同じように瞠目して驚いていたジークが、ポツリとそう呟いてから動きを止める。
「兄貴?」
明らかに様子のおかしいジークに、怪訝そうにリーが声をかけた瞬間。
ガタンッと椅子を鳴らしてジークが勢いよく立ち上がった。
「アクス・オルナート?」
わけがわからず兄を見上げるリーの隣。
ジークを見返したアーキスがにっこり微笑んだ。
「まさかアーキスがあのアクス・オルナートだなんて……」
興奮冷めやらぬ様子でアーキスを見つめるジークを半眼で見ながら、ひとり何がなんだかわからないままのリーは口を挟めず黙り込む。
「好きに色々やってたら勝手にそんな名がついてて。さっき話した通り、弟子名ばっかりで、実際に何をしてるわけでもないんだけど…」
半眼のままテーブルに頬杖をつき、隣のアーキスを見る。
「どれも技師名取れる実力だって」
「その時はってだけだよ。全部それっきりだし、今はもう無理」
空になったグラスに手酌で酒を注ぎ、ひとり飲みながら盛り上がるふたりを眺める。
「なぁ」
暫し後。酒瓶が空になりできることがなくなったリーが、ようやくふたりに声をかけた。
「なんの話?」
「何って…アーキスがアクス・オルナートだって…」
「だからそのアクス・オルナートがなんなんだって聞いてんだよ」
ひとり置いてけぼりの苛立ちを滲ませるリーに、ジークとアーキスが顔を見合わせて笑う。
その様子に更に不服そうな顔をするものの、何を言ったところでからかいの種にされるだけだとわかっているので、口には出さずに言葉を待った。
「俺は技師としてはアーキスじゃなくてアクスって名乗ってるから、調合師としての技師名はアクス・レーヴェっていうんだけど。弟子名が多いからっていつの間にか統括名がついてて」
「それがアクス・オルナート。実力はどれも技師名相当だって言われてる」
ジークにつけ足され、そんなことないんだけどと苦笑するアーキス。
「養成所に入ってからは使う分だけ薬を作るくらいで。表に出ないから余計珍しがられてるんだよ」
「確かにあまり……」
何か言いかけたジークが、はたとアーキスを見やる。
「…ニキールスに行った?」
「え?」
「なんの話だよ?」
尋ね返すふたりと同じくらい怪訝な眼差しを向けるジーク。
「いや、俺、今アクス・オルナートが来てるから勉強しに来るかって、師匠に声かけてもらってて…」
「俺はここにいるし、どこに行く予定もないんだけど…」
顔を見合わせて首を傾げるジークとアーキス。
「俺ら今朝橙四番出てきたのに。寄る間なんかねぇって」
呆れたように息をついて、リーはアーキスを睨む。
「要するに。ここにいる有名な技師サマが全然表に出てこねぇもんだから。馬鹿な気ぃ起こした奴がいるってことなんじゃねぇのか?」
リーの言葉にジークははっと瞠目し。
「俺なんかになりすまして、なんの得があるの?」
アーキスは相変わらずきょとんとしたまま問い返した。
 




