『親友』
種蒔きのために整えられつつある畑の間を抜けながら、ソリッドとヤトは重い足取りでリーとアーキスについていく。
「大丈夫か?」
いつも通りの顔で聞いてくるリーに頷きつつも、苦笑しか浮かばない。
昨夜、一緒に飲むかと声をかけられて。カナートの秘蔵だという酒を五人で飲んだのはいいのだが。
(…絶対俺らより飲んでたよな……)
こちらの心配をしてくれるリーとアーキスは、朝から―――否、昨夜から全く変わらぬ様子で。
一方自分たちはというと、朝になっても動けずに出発を遅らせてもらう始末。
ここまで来る道中にも何度か一緒に飲む機会はあったのにと考えてから、いつもふたりはもう少し飲むからと店に残っていたことを今更思い出す。
つまりそれまでは自分たちのペースに合わせてくれていたのだろう。
同じくケロリとしていたカナートは、龍は酒には酔わんよと笑っていた。
これで暫しの別れだというのに。最後まで締まらぬ自分たちに、皆呆れるどころか心配をしてくれた。
大丈夫かと心配そうに手を伸ばしてくれたアディーリア。ユーディラルにはちゃんと歩いていけるのかと不安気な顔で尋ねられた。
情けないことこの上ない、ある意味自分たちらしい別れ。
涙に暮れる別れよりはよかったかもしれないと、お互いに顔を見合わせて苦笑した。
歩く速さを気にしながら先頭を進むリー。時折振り返り、まだ少し具合の悪そうなふたりとの距離を確認する。
ここのところ一緒に飲んでいたのがアーキスかフェイだったということもあり、ついいつもの調子でふたりにも勧めてしまった。自分たちをよく知る同期たちなら付き合いきれないと断ってくれるのだが、こちらの普段の酒量を知らないふたりは素直に杯を受けてくれたせいで、朝になるとすっかり眉間に皺が寄っていた。アーキスが手持ちの薬草で作ってくれた酔い醒ましのお陰か、今はどうにか動けるようになっている。
悪いことをしたなと思う反面、その分予定より少しゆっくりできてよかったとも思った。
メルシナ村から離れるにつれ、己のものだけではない寂しさが胸を占める。
それでも昨日半日べったりしていたからか、今回の別れ際は素直にまたねと言ってくれたアディーリア。
成長しているということかもしれないし、アーキスとソリッドとヤトがいたからかもしれない。
本当は今回も少しゴネられるかと考えていたのに存外あっさりで。実は少し寂しく思ったことがアディーリアに伝わらなくてよかったと思う。
ユーディラルも普段通りの様子で、ここで待ってると笑っていた。
前回からそこまで時間が経ったわけでもないのに、確実に変化のあるふたり。
龍とはいえ子どもの成長は早いのだろうかと思い、置いていかれそうな自分に苦笑する。
この背の相棒との最後の旅。
使う機会はないだろうが。
精々ともに歩こうと思った。
池の底、壁面にもたれるようにして水面を見上げるユーディラル。昼時の日差しは水面ごと風で揺れ、差し込む光が薄い幕のように柔らかくなびく。
その幕をさらに揺らしながら、アディーリアが降りてきた。
「ユーディラルお兄ちゃん」
寄り添うように隣へ来たアディーリアに、ユーディラルは笑みを見せる。
「楽しかったね」
「うん」
アディーリアの表情も少しだけ寂しそうに見えるが、以前よりは落ち着いた様子だった。もたれてくるアディーリアに自分も少しだけ体重を預ける。
落ち着いているのは、自分もまた。
ひとつ増えた約束を胸に、ユーディラルはただきらめく水面を見上げていた。
自分にも身を預けてくれるユーディラルを嬉しく思いながら、アディーリアは兄と同じく水面を見上げる。
リーの気配が少しずつ離れていく。
今日は黄の六番に泊まると言っていた。おそらくその次の宿場町付近で気配もわからなくなるだろう。
リーが目の前にいる幸せを強く感じる分、同じだけリーが離れていくことも寂しく思うのだとわかっていた。
リーに伝わるその寂しさがリーを大好きだと思うからなのだということも、同じように伝わっていればいいのに、と。
きらめく光の幕の向こう側へと、そう願った。
黄の六番を馬で出て、翌日は橙六番に泊まった一行。
町中央の広場で立ち止まり、ひとりと三人が互いに向き合う。
ソリッドはここから六番街道を西へ。
リーたち三人は橙街道を北へと進む。
「ありがとうございました」
改まり頭を下げるソリッドに、やめろって、とリーが笑う。
「ジャイルさん相手は大変だろうけど。絶対に間違ったことは言わないだろうから」
肩を掴んで引き起こして。
「請負人とは連携も多いし。またそのうちにな」
「俺まだ訓練所に入るってだけなのに…」
気の早い、と苦笑すると、精々頑張れと少々強めに肩を叩かれる。
「剣筋はいいと思うから。あとは体力つけて」
顔を顰めるソリッドに、アーキスが労いつつもリーを止めてくれた。
リーの手が離れたところで、ヤトが反対の肩へと手を置く。
「…しっかりやれよ」
「お前こそな」
ソリッドもまたヤトの肩へと手を置いて。どちらからともなくぐっと力を入れ、笑い合った。
じゃあ、と手を振り互いの道を行く。
数歩行って立ち止まったソリッドが振り返った。
遠くなる背中を見ながら改めて誓う。
ここからは暫しひとりで、助けてくれた皆に恥じぬように。
守るべき家族がいるのに、自分のことまで気にかけてくれる『親友』に頼りきらずにいられるように。
また、あの池の縁に立てるように―――。
そのまま三人の背を見送ってから、踵を返した。
橙街道を北へ二日と半日。三番と四番の街道の間にある中継所に辿り着いた。
ヤトの姉サーシャの事情は聞いていたのでそのまま立ち去ろうとするリーたちを、その姉に怒られるから、と引き止めたヤト。
よくしてくれている宿のおかみに礼を言い、サーシャを呼んでもらった。
弟との再会を喜ぶサーシャはヤトからふたりのことを聞き、怯える様子もなくふたりを見てから深々と頭を下げる。
「弟を助けていただいて、本当にありがとうございます」
「俺は今回同行することになっただけで、何もしてませんから」
そう言って一歩下がるアーキス。前に残されたリーはアーキスを一瞥してから、少し困ったようにサーシャを見た。
「顔を上げてください。俺も頼まれて行っただけなので、お礼を言われるようなことは何も…」
「いえ。言わせてください」
頭を下げたまま引かないサーシャ。視線でヤトに助けを求めるが、苦笑して肩をすくめられる。
結局わかりましたと受け入れることで、ようやく頭を上げてもらった。
「じゃあ、お姉さん大事にしろよ?」
「いい働き口が見つかるといいね」
今日中にバドックへ行くつもりだからと、すぐ出立するリーとアーキス。
「ありがとうございます!」
「お気をつけて」
馬で駆け出したふたりを見送ってから、ヤトはサーシャへとこの先のことを切り出した。
「姉さんにとってはここの方が安心できるかもしれないけど…。今はできるだけ、あいつの近くにいたいんだ」
肉親もおらず、帰る故郷も家もないソリッド。だからこそ、戻れる場所を作りたかった。
罪を犯したソリッドが、最初から保安員たちに受け入れてもらえるとは思えない。それでもソリッドは逃げたりはしないだろうが、そこにしかいられないのでは息が詰まることもあるだろう。
訓練生では遠出はできない。だからこそ少しでも近くに―――。
穏やかな顔のままヤトの思いを聞き終えたサーシャは、変わらぬ眼差しでその手を取った。
「ふたりで少しずつ、返していきましょうね」
サーシャの手を握り返し、ひとつだけ頷いて。
いつかまた、ふたりであの場所に報告に行けるように。
自分も『親友』に負けぬよう、己の道を探していこうと誓った。




