護られる地で
朝食後、アーキス主催の剣の指導が始まった。
拾ってきた枝を握りしめその真正面を陣取るケルト。そんな彼に引っ張ってこられたライルは、ケルトとアリアに挟まれて仕方なさそうな笑みを見せる。
保安員見習いとなったら剣の訓練もあるからと、ソリッドも参加となった。
ヤトはシルヴァとともに食材を仕入れに行っている。
基本アーキスに任せるつもりのリーであったが、結局は相手役として手伝うこととなった。
似ているとわかってはいたのだが、なんとなく先日ラミエたちの訓練の手伝いとして手合わせした壮年の栗色の瞳の請負人を思い出しながら。彼ほど容赦ない対応でなくてよかったと思う反面、己の未熟さに苦笑しか浮かばない。
色々あったが、やはり自分はこの剣に助けられてきたのだと再認する。
そのうちお役御免になり、少し離れて皆の様子を見ていたリーの下へと、同じく抜けてきたライルがやってきた。
「もういいのか?」
そう問うと、ライルは苦笑してうしろを振り返る。
「あれに混ざる気はないよ」
どう見てもケルトとアリアに追い回されているだけにしか見えないソリッドの様子に、確かになと苦笑う。
隣を示すと、ライルは笑みから苦さを消してちょこんと座った。
何を話すでもなく、ただ並んで座ってにぎやかなアリアたちの様子を眺めるライル。見る限りでは落ち着いたように見えるその様子に、リーも少し安堵する。
ラジャート村で、沈んだ様子のライルに自分は碌に励ますこともできないままだった。前回ここで再会した時には少し彼らしくない行動も見られたので、大丈夫だろうと思う反面心配もしていたのだが。
こうして人である自分の隣に来て穏やかな顔をしてくれていることが、ライルが人というものを諦めてしまっていないということに思えて嬉しかった。
リーの隣でも変わらぬ己の心情に、ライルは内心ほっとしていた。
ここへ戻ってきてから今まで、自分にとって人とはどういう存在なのかと考えていた。
まだ見知らぬ人の前に立つのは怖いのかもしれない。そう思っていたのだが、今回アーキスを見てその思いが変わった。
この人は大丈夫。そう思える人なら怖くないのだと気付いた。
もちろんリーが信頼する相手なのだからという安心感はあっただろうが、それでも自分の龍としての感覚がまだ正常に働いているのだと思えた。
そう。悪意を持つ者ばかりではない。
そして、それがわからぬ自分ではない。
信じられる人もいるとちゃんと知っている。
今はまだここから離れる勇気はなくても。ひとつずつ確認し、いつの日かまた人の世を歩くことができるように。
いつの日かまた、向き合えるように―――。
「…ねぇ、リー」
アリアたちを見たまま、ぽつりとライルが呟く。
「ん?」
「皆を連れてきてくれてありがとう」
リーはもちろん、ソリッドとヤト、そしてアーキス。
皆に会えたことで再認できた気持ち。向き合う方向を間違えていないのだと確かめられた。
自分を見ないままのライルを暫く見返したあと、リーも同じ方向へと視線を移す。
「別に俺が言い出したことじゃないし」
わざとだろう軽い口調に、ライルがくすりと笑った。
一番動揺していた時に傍にいてくれたリー。自分の戸惑いも、今得られた気持ちも、おそらく気付かれているのだろう。それでも多くを語らずただ傍にいてくれることへの感謝を感じていると。
「ユーディラル」
人の姿をしている時はライルと呼ぶリーが、わざわざ龍の名を呼んだ。
思わず顔を見たライルに、リーは少し笑って手を伸ばし、頭を撫でる。
「もしユーディラルがまた外に出たいと思うようになったら、俺を呼んで」
穏やかに告げられた声に、ライルが目を瞠った。その反応を表情を変えずに受け止め、リーは続ける。
「あんま役に立たないかもしんねぇけど。一緒にウェルトナックたちを説得するからさ」
示された共謀はおそらく説得だけではなく、その先も含めてのことで。
見返す顔にそれを悟り、ライルは見開いていた目を細める。
「…うん」
小さく頷くことしかできなかった自分にも、包み込むような優しい眼差しが向けられていた。
準備は手伝えなかったからと、昼食後の片付けまでは手伝ったソリッドであったが、手が空くなり日陰に座り込んで大きく息をつく。
剣の指導であったはずなのに。途中からケルトとアリアに追い回されて、捕まっては勝負だと言われて、そのうちにっこり笑ったアーキスにまで打ち込んできていいよと断りようのない圧力で提案されて。
保安員になると決めてから―――否、それ以前からジャイルに鍛えられ始めてはいるのだが、現役請負人と龍の体力と比べる方が間違っている。
「…ほんっと疲れた……」
「休んどけって」
お茶でも入れるよ、と笑うヤトに礼を言い、ごろりと寝転んだ。
さらりと風が抜けていく。揺れる葉を濃くなり薄くなりしながら透ける光は、時折隙間からもきらりと零れる。
ぼんやりとそれを見上げながら。
変わりに変わった己の環境を改めて感じ、なんとも言いようのない気持ちが込み上げる。
いつ堕ちてもおかしくない自分を引き留めておいてくれたヤト。引きずり込まずに済んで、本当によかったと心底思っている。
何もかも諦めていた。抗いもせず流されるままに、自分はその程度だからと決めつけていた。
もちろん今だって、何ができるかはわからないが。
それでも、何かをしようと、何かできるはずだと、足掻く気持ちが芽生えたのかもしれない。
変えてくれたふたりへの感謝を胸に。
恥じぬよういられればと、そう思う。
憧れていた請負人ではなく保安員になると決めたのも、ジャイルに押し切られたからだけではない。
自分のしたことを忘れずに、この先少しでも償うために。それには魔物相手の請負人より人相手の保安員の方がいい。
罪を犯したのは人である自分。向き合わねばならないのは、魔物の脅威ではなく人の愚かさだ。
尤も、まだ見習いになると決まっただけではあるが。
長すぎる先を思いながら。
それでもどこか清々しく、ソリッドは木漏れ日を見上げていた。
ソリッドとヤトが並んでお茶を飲んでいると、池に戻っていたユーディラルが姿を見せた。
「お茶、まだちょっと熱いかも」
子龍たち用に日陰で冷ましているお茶のポットに触れながらのヤトの声に、傍に来たユーディラルは微笑んで頷く。
「うん。あとでもらうよ」
じっと見てくる眼差しに気付いたふたりが真ん中を空けると、ユーディラルは嬉しそうにふたりの間に収まった。
ふたりと一匹が一列に並び、高く登った日差しに輝く池を眺める。池の周りではカルフシャークがにぎやかにアーキスに纏わりつき、アディーリアを抱えたまま座るリーがオートヴィリスと話していた。
いつもよりはにぎやかだが、占める空気は穏やかで。耳に届く風が葉を揺らす音に、ユーディラルはそっと息をつく。
龍がいて、人がいて。それでもいつもと変わらず和らいだこの場。父の護るこの地、外からの人が来ても変わらぬことになぜだか安堵を覚えた。
「いいところだな」
不意に届いた声に横を見ると、目線は池に向けたままのソリッドが続ける。
「そりゃ緊張はするけどさ、それとは別になんかこう、肩の力が抜けるっつーか、そのままでいられるっつーか」
「村の人もここで使うならって食材分けてくれたよ」
反対側からの声にそちらを向くと、ヤトはユーディラルを見ながら笑って頷く。
「慕われてんのな」
きょとんともう一度ふたりを見てから、ゆっくりと言葉の意味を呑み込んで。
「…そうかな」
「そうだろ」
「そうそう」
被せるような両側からの肯定。
今度こそ嬉しそうにその青い眼を細め、ユーディラルはしっかりと頷いた。




