願い紡がれ
積もる話はあるのだが、日も暮れてきたこともありまずは夕食をということになった。
野営に慣れたリーとアーキスが火を熾し、続けて今日の寝床を準備しておくと請け負ってくれた。ソリッドもそちらへ野営準備の勉強がてら手伝いに行ったので、ヤトはひとりで食事の準備に取り掛かる。
道中でリーが買った大鍋で湯を沸かしながら、同じく買い込んできた食材の下ごしらえを始めたものの、傍で興味津々に覗き込む二匹の龍に一旦手を止める。
「危ないから手は引っ込めといてくれよな」
「そんなんで怪我したりしないよ」
「邪魔はしないから」
笑ってそう言うカルフシャークとアディーリアに、こっちが気にするからと苦笑する。
食事の前にと家族を紹介された際、全員の名を教えられた。
呆然とする自分たちに、いいからと笑うウェルトナック。リーもアーキスも知っているからと言われたが、そんな理由で自分たちにまで教えていいものなのだろうかと未だに思う。
こちらの手元を覗き込むアディーリア。黄金龍の鱗は持つ者に幸せを与えるというが、もしかすると出会うだけでも幸運が訪れるのかもしれない。
―――あの日、アリアとライルに声をかけたこと。
人の道を踏み外した瞬間が己の転機になるなんて、と。何度思ったかわからない。
自分たちの幸運は行動を起こしたことではなく、声をかけた相手がアリアとライルであったこと。それだけは忘れないようにと心に刻む。
「なぁに?」
じっと見てしまっていたらしく、アディーリアに首を傾げて問われた。なんでもないと返してから、ヤトは手を動かしながら己の今の状況を考える。
まさか龍の棲処で食事を作ることになるなどと思うはずもなく。話すつもりはもちろんないが、姉が聞いたらどれだけ驚くだろうかと考えると、なんだかおかしくなる。
姉、サーシャは最初に保護された故郷マレッジ近くの中継所の宿で働いている。恋人に騙されたことから男性を怖がるようになっていたサーシャに接客は到底無理だが、表に出ない裏方の仕事をさせてもらっていた。
無罪放免となってからリーに会いに行く前に報告に行ったが、あの町の保安員たちにも気遣ってもらえているようで。以前ほど怯えた様子もなく会話をするのを見てほっとした。
姉のことを考えるなら、少しでも慣れたあの場の近くに住めたらいいのかもしれない。
しかしあの場はあまりにもマレッジに近く。もし自分たちのことを知る者が探しに来た場合に見つかる可能性が高い。
いっそのこと自分たちのことを誰ひとり知らないような町で再起を図ろうかとも思っていたのだが、今は少し迷っている。
いつまでも自分たちの犯した罪がつきまとう環境に身を置くことになると知りつつ、それでも保安員になることを決めたソリッド。なのに自分ひとりだけが何もなかったように生きていくのは嫌だった。
もちろん自分ひとりでは決められないが。どうすればいいのか、どうしたいのか。今度は自分が考える番だった。
ヤトの作った食事と道中買った土産とウェルトナックが蓄える嗜好品という名の酒と食料を並べ、夕食となった。
食べにくいから、と人の姿を取る龍たち。アリアは変わらず金を纏っていたが、ライルとシルヴァはヤトとソリッドの見知った様子ではなかった。
アディーリア以外の龍たちは皆、水色の髪に青い瞳で。十歳くらいの姿を取っていたライルも、今の姿は十二歳程度。記憶の中の姿より少し大きいからだろうか、驚いて見つめるふたりにそうだったねと笑う。
「こっちが普通の状態なんだ。あれはアリアに合わせてて」
「…そう、なんだ…」
なんとなく歯切れの悪い声に、あの姿の方がいいかと問うが、そうじゃないのだと首を振られた。
「見た目通りだと思って小さい子ども扱いして悪かったな、って」
「まぁ大人びちゃいたけどさ」
龍と知られた今も、自分を見る眼差しは変わらず優しく。それを嬉しいと感じる自分にもまた、少しの安堵を覚えながら。
「優しくしてもらえて嬉しかったよ」
素直にそう言うと、からかうなよと苦笑するふたり。その姿に感じる安堵を口にはせずに、ライルは少し笑みを見せて見返す。
ふたりがここへ来ると気付き、本当は少し怖かった。
自分が龍だと知ったふたりは一体どんな反応をするのだろうか、と。
名を告げた時にはまだなかった不安。自分は恐れられる存在だとわかってはいたが、それを身を以て知り。そして同時に、人の昏さとその怖さも知った。
自分にとっては信じられる人であるふたり。その彼らに怯えられたらどうすればいいのか―――。
緊張して前に出た自分に、ふたりは変わらぬ笑みを見せてくれた。
それがどれだけ嬉しくて。
どれだけ安心できたか。
自分にもまだ言葉にできそうにないけれど。
「どうした?」
かけられた声になんでもないと首を振って。
「やっぱりヤトの作るご飯は美味しいよね」
「何言ってんだよ」
本心ではあるがごまかすためのほめ言葉には、以前と変わらぬ呆れた声が返ってきた。
夕食後、ウェルトナックたちにもよければ聞いてもらえるように告げてから、前回アリアたちと別れたあとのことを話したヤトとソリッド。改めて渡された信頼に礼を言い、それに恥じぬよう生きると誓った。
やっとここへ来た目的を全部果たすことができ、肩の荷が下りたと思ったのも束の間。ふたりなら大丈夫だよと、アディーリアには何のためらいもなく言い切られる。
嬉しくもあるが、ようやく返したのにとの思いもあり。
アディーリアの頭を撫で、ふたりで礼を言うのがやっとだった。
少し話し疲れたからと言い訳をして歓談する皆から離れ座っていると、一度龍の姿に戻っていたウェルトナックがわざわざ人の姿で傍へとやってくる。
「少し話を」
そう告げる声は決して強くはなく。向こうでと言われ、ともに皆からもう少し離れた。
森に入ってすぐの場所には、木の間にロープを渡して布を吊るし、裾を固定したテントがふたつ設営されている。その前に座ったカナートが向かいに座ったふたりを一瞥ずつしてから、すっと頭を下げた。
何をと問い返す声すら失ったふたりに、カナートはゆっくりと頭を上げる。
「礼を言わねばと思っていたのだ」
静かな声音とともに視線が向けられた先には、池から頭だけ出して皆を見るユーディラルの姿があった。
「…あやつが自分と人を諦めずにいられるのは、そなたらふたりに出逢えたことも大きい」
「…ユーディラルが…って……」
「確かにちょっと考えてる風だったけど…」
顔を見合わせたソリッドとヤトは、詳しく話してほしいとカナートに願い出る。教えられた話と保安員たちから聞いていたラジャート村に現れた龍の話を照らし合わせ、ふたりは黙り込んだ。
子どもたちが拐われた先のラジャート村で龍が暴れ、建物の被害が多数と怪我人がひとり出た。怪我をしたのは子どもたちを拐う指示を自分たちにした人物。結局彼女も上から見限られ、一番事情を知る男ふたりは逃げおおせた。彼女自身はあまり知ることもなく、今回以前に拐われた子どもたちについては何もわからぬままである。
あれ以来自分たちも顔を合わせることはないままだが、癒えぬ傷を負ったという彼女。
同じようにユーディラルにも消えぬ傷を残していたのだと、初めて知った。
「…自分たちのせいで、とは思わぬようにな。遅かれ早かれあやつ自身が向き合わねばならぬことなのだから」
自分たちが拐わなければ。そう思ったことを見透かされ、先に釘を刺される。
自分たちに向けられているのは言葉通り感謝が浮かぶ眼差しだが、素直に喜ぶこともできず。それでも、とヤトが呟く。
「しっかりしてるけど、まだ子どもなのに…」
「そうだな。だから甘えられるうちでよかった」
間髪入れずに返された声にはっとして見返すふたり。頷きを返し、カナートは続ける。
「それに、この旅で得た絆がなければあやつのよく知る人はリーひとりだが。リーは少々特別ゆえ数に入れられんからな」
「特別?」
「そうだ。儂らだけではない。リーは龍という種にとっても特別でな」
ソリッドの言葉に答え、龍の愛子について話してから。
「ヤト。ソリッド。儂からふたりに頼みたいことがある」
語る口調が変わったことに気付き、ふたりの表情も自然と真剣味を帯びた。
「ユーディラルの味方でいてやってほしい。そして何かあれば、リーの力になってもらえないだろうか」
ふたりの変化を受け止めたその声は穏やかで。請うそれではなく、ただ願うように紡がれる。
深い水底のような瞳は龍のそれでありつつも、ひとりの親としてのものであり。また同時に、並び立つものを認めるそれでもあった。
「当たり前です」
「俺たちでいいならいくらでも」
即答したふたりに、相好を崩してカナートが頷く。
「ありがとう」
親として、見守るものとして。
含まれる響きは感謝とともに親愛に満ち。
自分たちが名を教えられた理由と向けられた信頼の深さを、ふたりは改めて噛みしめた。




