親として
強張った顔つきで目の前のものに対峙するソリッド。隣ではヤトが緊張を顔に貼りつけて突っ立っている。
自分たちの目の前。池の中から姿を見せる、二匹の龍。
全身を覆う水色の鱗は傾きかけた日を受けてわずかに赤みを帯び、僅かな動きに呼応する水紋とともに輝いている。
向けられる二対の青い眼は深くこちらを覗き込むようで、どこかアリアたちの金の瞳を彷彿とさせた。
ピリピリと肌が粟立つ感覚。相手が見た目より大きく感じるのは、すっかりこちらの身が竦んでしまっているからだろう。
しかし、暗がりに引きずり込まれて突然人から変化した銀色の龍に片割れだと告げられた時に比べれば、まだこちらの方が話を聞いてくれる空気はある。
ぐっと拳を握りしめ、ソリッドは息を吸い込んだ。
「…本当に、すみませんでした」
たとえあの時の自分たちがどんな状況であったとしても、ふたりを拐って巻き込んだことには変わりない。
言い訳はしない。ヤトとそう決めていた。
「ふたりを拐って、危険な目に遭わせました。つらい思いもさせたと思います」
「自分たちの軽率な行動でご家族にも心配をかけてすみません」
ふたりでそう言い、頭を下げる。
「保安には酌量されましたが、それとこれとはまた別のことだと思っています」
「簡単に償えるものではないとわかっていますが、それでもできることがあればなんでもします」
言わねばと決めていたことを一気に言い切り、頭を下げたまま反応を待つが応えはなく。
のしかかる沈黙に、ふたりはただ耐えていた。
少し離れてリーとアーキスが見守る中、ウェルトナックがふたりに顔を近付けた。
「頭を上げるといい」
ここへ来てから初めてかけられた言葉にふたりはそろりと頭を上げ、思ったよりも近い龍の頭にびくりとする。
「さて。言いたいことはわかったが…」
じっとふたりを見据え、静かに告げるウェルトナック。その声に怒気はないが、ふたりは気付かぬままに息を呑んだ。
「なぜわざわざ謝罪に来た?」
続けられた言葉に、ふたりは暫く見返したあと。
「…そうするべきだと、思ったからです」
示し合わせるでもなく、ヤトが口火を切った。
「迎えに来たお兄さんのほっとした顔を見たら、自分たちが迷惑をかけたのはアリアとライルだけじゃないんだってわかって」
「もちろん最初は龍だなんて思ってなかったですけど。だからって心配をかけたことに変わりはないから。謝るべきだって…」
言葉を継いだソリッドが、もう一度頭を下げる。
「本当に、すみませんでした」
「すみませんでした」
同じ言葉を繰り返し、ヤトも深々と頭を垂れた。
落とした視線の端に、水面に反射する煌めきが映る。
再び訪れる沈黙。
おそらくそれほど時間は経っていないだろうが、ふたりにとって永遠のように長いそれ。うつむくその背に重くのしかかる沈黙に、しかしふたりは耐えるしかなく、ただそのまま時を待った。
どのくらい経った頃だろうか。
「…あなたたちにも事情があったことも、あの子たちにも非があることも、わかっているのです」
かけられた先程までとは違う声に、ふたりはゆっくり顔を上げる。乗り出していた身を引いたウェルトナックの隣、メルティリアが変わらぬ眼差しでふたりを見ていた。
「ですが、私たちも子の親。もちろん心配はします」
ぐっと返す言葉に詰まり、ただ頷くだけのふたり。僅かにその眼を細めたメルティリアが吐息を漏らす。
「そしてそれは人の親とて同じこと」
張り詰めていた場の空気が少し和らいで。見返す顔に驚きを浮かべつつも何を話すこともできずにいるふたりに、メルティリアは明らかに笑みを見せた。
「あの場にいた子どもたちが親元に帰れたのは、あなた方の協力もあってのことだと聞いています。同じ親としては、礼を言わねばなりませんね」
「いえっ、だって、そもそも俺らがっ…」
「そうですっ、そんな……」
礼、と言われて飛び上がって首を振るふたりに笑いながら、ウェルトナックが再び口を開く。
「儂らは龍なのでな。為人は見ればわかる」
かけられた声には慈愛が満ちるが重く響き。慌てていたふたりも動きを止め、真顔でウェルトナックを見返した。
「そなたらふたりはどちらも龍とともに在る者となり得る」
その変化を見届けてから続けられた言葉に目を瞠るふたり。きちんと意味が通じたことを受け、ウェルトナックは更に声音を和らげた。
「これからは心に背かずに。己で在れる強さを育むことだ」
静かに、しかし強く言い切るウェルトナック。
すぐには何も返せずに、ふたりは唇を引き結んでただその姿を見上げていた。
深い水の色の眼を、ソリッドはまっすぐ見返していた。
自分たちを見つめる二対の青は見守るものの強さと優しさを湛え、かけられた声には未来あるものへの信頼が滲む。
ただ許されただけではない。
この先惑わぬように。道の先に灯りを灯された。
一度人の道を外れた自分を、それでも認め導いてくれた。
一体何に感謝をすればいいのかと。込み上げる思いは呑み込んで。
「わかりました」
せめての決意が伝わるように、しっかりと言い切る。
「精一杯努力します」
続けられたヤトの言葉に頷いて。ありがとうございますともう一度頭を下げると、もういいからと笑われた。
「実はさっきから早くしろとせっつかれておってな。こちらこそ、ふたりが世話になったようだな」
「すっかり懐いてしまって。よくしていただいたのですね」
確実に緩んだ二匹の言葉の意味を把握する前に、池の縁の水面がきらりと光る。
直後ぱしゃんと飛び出したのは、夕日に輝く黄金色。日差しのせいかと思ったのは一瞬、すぐにその体が纏う色だと理解する。
小さな金色の龍が、そこにいた。
「ソリッド! ヤト!」
「うわっ」
惚けたところに突っ込まれ、ふたりして尻餅をつく。気にした様子もなく黄金龍はふたりをまとめるように抱きついて、興奮気味に尻尾を揺らしていた。
「来てくれてありがとう! また会えて嬉しい!」
「え? アリア??」
「ちょっ、えっと…?」
擦り寄るアディーリアにまともな言葉すら出ず固まるふたり。
今度は音もなく水面が盛り上がり、水色の龍がもう一匹姿を見せた。
「落ち着いて。ふたりとも困ってるよ?」
池から上がったその姿は、アディーリアより少し大きいものの、まだ子龍だとわかる。
ゆっくりと前へと来た水龍が、まっすぐふたりに向き合った。
「…わかる、かな…?」
ためらうようなその声に、はっと我に返って。
「当たり前だろ、ライル」
「驚いたけどな」
そう笑い、どちらからともなく手を伸ばすソリッドとヤト。
左右から優しく触れられて、ユーディラルは眼を細め、うなだれた。
落ち着いたアディーリアが離れるのを待ってから、ソリッドとヤトは二匹の龍と向き合った。
沈みかけの日にもまだ輝きを失わないその体。もちろん驚きはしたが、龍の姿であってもなぜだか違和感なく『アリア』と『ライル』なのだと思える。
じっと自分たちを見る二匹の龍に、幼い兄妹の姿が重なった。あれからさほど日は経っていないが、なんだか懐かしい。
「ふたりのご両親にも、保安にも、許してもらえた」
二匹の目の前に座り込んだまま告げたヤトに、当たり前だもんとアディーリアが鼻息を荒くする。
「アディーリアたちは自分からついていったんだって言っておいたもん」
最初からブレないアディーリア。変わらないなと笑い、ヤトの代わりにだからと返す。
「ああ。ふたりのお陰だ。…あれから、ホント色々あったんだ」
帰るふたりを見送ってからあったこと。そして、自分たちが気付いたこと。
「…話、聞いてくれるか?」
示されていた信頼に、自分たちはまだ、ありがとうと言えてないから。
「もちろん!」
「いくらでも」
目の前の龍はかつてのふたりと同じように、嬉しそうに笑って頷いてくれた。




