養分
365人目の先生が登壇を終えたとき、わたしたちは一年ぶりにまた涙することになったのだった。
白髪の紳士然としたその先生は、壇上で拳を大きくかざし、つばを吐き散らして何事かを訴えている。だが、わたしたちに先生の言葉は届かない。わたしたちは皆、昨年、一昨年、さらに何年も何十年も繰り返してきたように、ただただ泣いているだけだ。何の進展もないまま、また一年を終えてしまうのだと。
名前も知らない(私たちは覚えるのをやめてしまった)、一日限りの先生が私たちに教えてくれたのは、先生がとある権威ある賞を受賞するきっかけになった物理学の斬新な発明だった。
一日限りの勤めを終え、この人は明日からは先生ではなく、今日までの記憶をなくし、支払いで暮らしていくのにやっとの一市民になる定めなのだ。それでも、壇上に立てるのは名誉あることで、故に持てる全てをわたしたちに注ぎ込もうと、必死で何かを訴えているのだ。だがもう、わたしたちは誰も、先生の言葉を受け入れられない。講義の時間は終わったのだから。
やがて、監視係がやってきて、壇上から先生を降ろしにかかる。騒がしくなった教場で、わたしたちの間をせわしなく行き交うのは、世話係だ。頭から足元まで、すっぽり白衣で包み込んだ世話係は、白衣の間から突き出した、その折れそうな細い手で、わたしたちの頭の、残された赤と黒のチューブを一本一本、丁寧に外していく。わたしたちは、一人、またひとりとガクッと頭を前に垂れて眠りにつく。
監視係が五人がかりで先生を取り押さえ、わめき散らす先生を丸太のように抱え込み、教場の後ろにある出入口へと運んでゆく。
丸太となった先生が、縦横幾列にも並んだわたしたちの間を運ばれてゆく。まだチューブにつながれているわたしたちは、先生と目が遭っても、嗚咽をもらし、そっと目を逸らすことしかできない。
世話人は機械のように、音もなくわたしたちの横にやって来ると、慎重にチューブを外してゆく。
ガクッ、ガクッと頭を垂らしてゆくわたしたち。むせび泣く声は減っていき、教場を占め始めるのは、明日を心待ちにする安らかな寝息だ。
明日は、また振り出しに戻って一人目の先生を迎えるのだ。そのときには、きっと、教場は希望に満ち溢れているだろう。なぜなら、地球の命運を一心に背負った、わたしたち、知の集合体はますます多くの先生を必要としているのだから。
「疲れたから今日はもう寝たい」思いと「何か書きたい」という思いの狭間で、半ば無意識に書いたものを手直ししたのが、この『養分』です。
床に投げ出していたノートに、インクがほとんどで出なくなったボールペンでゴリゴリと頭の中に浮かんだイメージを書き出しました。中盤からは、インクが出なくなり、ノートに力強く文字を書きつけたときのことが印象深いです
荒削りな印象は否めませんが、僕の中では想像に想像を重ねて、手直ししていきたい小説です。