憧れと現実
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「王手。」
青年は松春のその一言ではっと驚き両手で卓を叩きながら立ち上がった。
大きな音に松春は肩の上下がわかるほどにビクついた。
「お前、軍師にならないか?
お前には軍師の才がある。
こんなところで埋もれていて良い人材じゃない。」
しばらくして青年は松春の金色の瞳を真っ直ぐ見つめ、少し低めの声で言った。そのことから青年は本気であることが伺える。
その誘いに松春は一瞬目の輝きが増したがはっと何かに気づいたらしく瞳は虚ろになった。
「どうした? 」
黙りの松春に青年が少し怪しげに思い、顔を覗き込むようにして言った。
「ご冗談を……。
私のような者でしたら幾らだっているのでしょう……。
それに、貴方様の顔に泥を塗るようなものです……。
ですから、ご再考を……。」
松春は跪きながら両手で顔を隠して少し俯き、虚ろな金色の眼を泳がせて今にも消え入りそうなか細い声で言った。
「なっ……何を申す!?
先程も言ったであろう、お前には軍師の才があると……。
お前は百年……いや、千年の逸材だ!!
お前なら千年先も二千年先もその名は歴史に残り誰もが憧れ、尊敬する軍師になれる!!
軍師になれば今までの生活より断然に良くなる。
それでも、ならぬと言うのか……。」
青年は切羽詰まったような表情を浮かべ両手で松春の肩を揺すりながら怒鳴りつけているかのような声で言った。
「一晩、考えさせてください……。」
松春は必死に考えたが誘いに対する返事は見つからず、なんとか声にして言えたのはこの話曖昧な受け答えであった。
「……分かった。
ならば、卯の刻にこの場所で返事を聞こう。」
青年はそう言うと自身の天幕に入っていった。
(軍師か……。
なれるものならなりたいよ……。
私にとって軍師は小さい頃からの憧れだから……。)
松春は一人で橙色にパチパチと燃えている焚き火をじっと見つめながら思った。
青年から軍師に誘われたが答えが決まらず考えるために軍人たちがいるところに帰り、再び火起こしをして松春は今に至る。
(あのとき、老師たちに会っていなかったら今の私はなかったんだろうな……。)
松春は微かに笑いながら炎を見つめ続けた。
松春が老師たちに会ったのは十二年前のことだった。
いつも通り両親と呼ぶには虫唾が走るような奴らから散々怒鳴られた挙句、追い出されてしまったため城下町をブラブラと歩いていると楽しそうな声が松春の耳に入ったことが全ての始まりだった。
気になった松春は少しだけと思いその声のする民家の開いている引き戸から少しだけ顔を出すことにした。
そこにはもう四十は超えているであろう男たちが笑いながら専門用語を用いて話していた。
その中の一人が松春に気づき手招きをしたので松春は勇気を出して入っていった。
その後、松春はその男の人たちを老師と呼ぶようになり軍略と武術を中心に色々なことを教えてもらっている。
最近では教えてもらうというより一緒に疑問の解答を模索していることの方が多く、松春の老師たちは松春を良き同志として見方が変わった。
小さい頃には愛情を与えてくれ、今は絶大な信頼を寄せてくれている老師たちに松春は恩返しがしたかった。
自身が好きな軍略を用いてこの国に貢献をすることで松春は老師たちに恩返しをしようと思った。
(老師たちへの恩返しはこの知識を国のために使うことが一番なのはわかっている……。
私だって出来るのならばとっくにやっている……。
私が女であるから……。
女に生まれてこなきゃ良かった……。
そうすればあの人らだって私にもっとマシな扱いをしていたやもしれない……。
夏と比べられることなんてなかったかもしれない……。
自分の能力とちゃんと向き合えたかもしれない……。
でも現実はこうなんだから仕方がない……。
仕方がないんだ……。)
そうやって自身に言い聞かせながら松春は夜が開けるのを待った。
薄らと空が明るくなった頃、松春は嶺雲山の麓にいた。
自分では軍師になるのがふさわしくないと判断したからだ。
だから、誰にも告げず夜明けと同時に山を降りた。
「昨晩の軍略囲碁、あんな風に戦えたのは久しぶりでしたのでとても楽しかったです。
どうか、ご武運を……。」
松春は青年のいる方へ拱手礼をし、一人静かに山から去った。
卯の刻・・・時刻の数え方。現在の午前6時前後2時間頃を指す語。
拱手礼・・・拱手は中国、朝鮮、ベトナム、日本の沖縄地方に残る伝統的な礼儀作法で、もとは「揖」とも呼ばれた。まず左右の人差し指、中指、薬指、小指の4本の指をそろえ、一方の掌をもう一方の手の甲にあてたり、手を折りたたむ。手のひらを自身の身体の内側に向け、左右の親指を合わせ、両手を合わせることで敬意を表す。




