白茶と点心と服選び
この度も『松春軍師伝』をお読み下さり誠にありがとうございます。
今回は早めに更新をできるので作者もとてもうれしく思っています。
今後とも『松春軍師伝』をよろしくお願いします。
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「こちらの赤色の衣はどうかしら?」
「それよりも淡い色の方が春様には似合うと思うわ。」
「ええ、春様にはこちらの藤色の衣が似合いますわ。」
場所が湯殿から変わり再び松春の自室。湯殿を出た松春は涼麗の指示で袖を通した白く滑らかで着心地の良い衣を纏い、自室にある長椅子の真ん中に自身だけちょこんと座らされた。
松春の座っている長椅子の前にある卓と向かいあっているもう一つの長椅子の向こう側で涼麗と桃琳とは別の三人の年若い少女たちが松春に着させる服について討論をしている。
タレ目でおっとりとした性格でゆったりと一本の三つ編みに纏め、薄い青緑色の服を着ている子は扇詩雨、ツリ目気味でぱっちりとした目をしていて元気な印象のある耳下で二つの御団子結った髪形をしており、薄い橙色の服を着ている子は李夏雲、二人よりも大人びた顔立ちをしているがまだ成人の儀が終わっていないため耳下で二つの輪っかのような髪形をしており、大人と子供の間のようなちぐはぐとした容姿をしている薄紅色の服を着ているの子は文氷雪である。それぞれ性格や好みも違うであろう三人だが数少ない動機だからなのだろうか、それとも互いに違うものが在るからこそ惹かれあったのだろうか、とても仲が良い印象が見受けられる。
しかし、こうも長時間自身の着せる服のためだけに討論が繰り広げられるのはあまり良く思わない松春であった。松春の生きていた環境的にお洒落をできる状態でなかったのもあるが、松春の性格的な問題も非常に強い。自信を卑下する性格であるため、着飾っても見るに堪えないだろうと思っている節が松春にある。また、松春は研究者や武術の老師から知識を与えられて育った。そのため松春もその気質が強く、よく研究のために山や川辺に行ったり武術を学ぶために老師との手合わせがあったりする。結果としてそういった要因が重なり、松春は実用的な恰好や動きやすい恰好を好むようになった。着飾ることを無駄に思うようになった。御洒落をするのは自身の妹である松夏のような可憐な女の子や女性がするものだと思っている。
「春様、こちらをどうぞ。」
松春の顔を覗き込むようにしながら涼麗は卓に蓋碗を置いた。蓋碗には大きな蓮の花が描かれている。松春はそれを両手で持ち、ゆっくりと丁寧に蓋碗の蓋を開けるとそこには白茶が淹れられていた。口に入れると自然な甘さが口いっぱいに広がった。変に甘ったるくなく、かといって渋みを感じるわけでもない。本当に自然な甘みと旨味のある茶であることから相当上等な茶であることが窺える。だんだんと物の価値について感覚が麻痺してきた松春は現実逃避をすることにした。
「とてもおいしいよ、涼麗。やっぱりお茶を淹れるのには何かコツがいるの?」
松春は三人娘の服決め会議を見て苦笑いを浮かべながら涼麗に当たり障りのない話を振った。
「ええ、茶を淹れる際にはやはり少し冷ました湯を使うことで茶本来の味を引き出すことが出来ますよ。
また、茶壷には熱湯を入れて温めると茶葉が開きやすくなります。
そして今回は白茶なので湯はもう少し低めの温度で長めに蒸しています。
それからどの茶葉にも言えたことですが、茶葉に湯を注ぐ際はゆっくり湯を回しながら注ぐとおいしく仕上がりますよ。」
涼麗は朗らかな笑みを浮かべながら松春の質問に丁寧に答えた。松春も知らなかった知識なので感心しながら聞いた。松春は茶を淹れるのは苦手である。苦手というより茶をおいしく入れるための知識を知らなかったのである。家では茶を飲むことが出来ず、淹れることしかさせてもらえなかったので当然の結果として上達することはなかったのだ。
家では茶を飲む機会がなかったが、老師たちの家に行ったときは茶をよく飲んでいた。それならば上達しても良いものだが、一つ決定的な問題があった。それは松春の老師たちは茶に無頓着なのであった。老師たちの間で淹れている茶は市場で買った粗悪品の茶葉でどうやって淹れても渋みと苦みが強く、熱湯で入れて熱々のまま飲めば多少は緩和されるためそうやって飲む者もいれば諦めて自身が飲める温度で淹れて飲む者もいた。おいしいお茶を平民でも簡単に脳ことができるが、松春の老師たちは茶に金を使うぐらいならと研究者は研究費用に、武術の老師は酒や肉にお金を使うことが主である。そのため、松春は今まで粗悪品の茶葉で淹れたお茶の味しか知らなく工夫の施しようのない茶を熱湯を淹れて熱々のまま飲んでいたため茶は渋みと苦みが強いものだという認識で育った。そのため、松春はおいしく淹れるための技術を磨こうともしなかったしそれが粗悪品であるのだということを今まで知らなかったのだ。初めてその事実を知った松春は今後は茶の淹れ方を勉強しようと心に誓ったのであった。
松春は涼麗の方から再び三人娘の方に視線を向けた。かなり時間がたっているはずなのに服決め会議はいまだ終わらず意見が平行している。
「春様、こちらの点心もお食べになってください。」
そう言って桃琳が松春の前の卓に深めの皿に五つほど盛られている包子を置いた。ふんわりと香る小麦の匂いと米酒の匂いを感じた。松春は食べやすいように包子を二つに割り、左に持っている方を取り分けるようにと桃琳が用意してくれた小皿に置いて右手で持っている包子を口に入れた。仄かな小麦と米の甘みを感じることのできる生地に、ゴロゴロと入っている豚肉と韮と筍の濃い味付けの餡は非常に相性が良く、そこに優しい甘さと強い旨味が特徴の白茶を合わせるのも大変良い組み合わせとなった。少量の大蒜と生姜の食欲をそそる香りも相まっていくらでも食べれそうなほど、包子と白茶は完璧な組み合わせであった。
普通の女人ならば砂糖や蜂蜜をふんだんに使った甘い点心を好むが松春は育った環境が環境なため甘味を食す機会がほとんどなく、老師たちからもらう食べ物は塩辛いものや癖のある食べ物が多かった。そういった食生活を長いことやっているため、松春は甘すぎる食べ物はあまり好まない辛党で癖の強い食べ物が好きな女人へと成長したのであった。
松春は五つの包子すべてを完食した。もともと包子の大きさはそこまで大きくなく少し小さいという大きさであったからであろう。
松春が包子を食べ終えても続く三人娘の討論に松春は早く終わらないかとボーッと眺めていると、涼麗が春様と松春のことを呼んだ。松春は振り返ると涼麗は困ったような笑みを浮かべていた。
「春様、すみません。
あの子たちが春様の着る服にいつまでも悩んでしまっていて……。
しかしこの藍家本家は奥方様、つまり啓様の御母上以外は男性しかいな いのでこうやって女主人の服を選ぶ楽しみは我々この屋敷の侍女や侍女見習いは久々なのです。
奥方様の服選びを含む奥方様の身の回りの御世話は私どもよりも位の高い侍女の仕事ですし、分家の女性方の服選びはめったに出来ませんから……。」
涼麗の説明に松春はなぜ自身の世話を積極的に楽しくしていたのかようやく理解できた。
それからの松春は三人娘の服選びをしている姿をほほえましく思いながら見ることが出来た。松春は小さな笑みを一つ溢しながらおかわりしたばかりの温かい白茶を一口飲んだ。
蓋碗…中国茶独特のスタイルの、フタ付き碗のこと。 茶葉を入れ、湯を注ぎ、蓋をして蒸らします。 茶葉が口に入らないように蓋を少しむこうにずらして飲んだり急須の代わりにも使う便利な茶器。
白茶…甘く透明感のある韻を持つ茶。 ハーブや花のような軽やかな香りは香水のようで、女性に特に 好まれる香り。 中国では多くの方が普段飲みとして飲んでいる茶である。
包子…中国の点心の一種。小麦粉の生地を蒸して作る伝統的食品で、通常、中に具を包んでいるものを 「包子」といい、中に具のないものを「饅頭」と称して区別する。日本では中華まんという名称で 普及している。