軍師の道
この度は『松春軍師伝』をお読みくださり誠にありがとうございました。
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「お、お前、女だったのか?!! 」
(分らんかったんかい!! )
松春は藍啓の驚きを隠せていないその発言にあからさまに失礼なツッコミを心の中でした。
あまりにも予想を外したこの事態に松春は驚きと不安を隠しきれず珍しく慌てている。
「なぜ教えてくれなかったのだ蒼雷!! 」
「どう見たってこの者が女だって分かるじゃないですか!!
そうでなくても貴方の身分なら調べれば容易に分かることでしょ!! 」
慌てている藍啓にその藍啓を論破する蒼雷を松春は申し訳なさそうに見るしかなかった。
確かに上流貴族で皇帝にも覚えめでたい藍家ならば、松春のような娘一人の素性や身辺を調べるくらい容易いことなのだからそういう情報ぐらい自動的に入りそうなものだ。
(きっと気になる部分しか聞いてないのだろう……。
しかし、人間は一度そうと思ってしまえば認識はなかなか覆らないから仕方ない部分もあるしな……。
だが、詰めが甘すぎる。)
松春ですらそう思うほど今回の件は藍啓の詰めが甘すぎた。
(これが政争ならば取返しのつかないことになるはずだ。
藍啓様が藍家の中でどのような立ち位置にいるかは分からないが、藍家の格式的に嫡男でなくともそれなりの責任があるはずだ。
上級貴族の一族の人間だと考えればあまりにも人間らしすぎる。
これではいつ藍啓様が失脚してもおかしくない。
そんな中でも悪どい政治の中心に藍啓様が今もいられるのはきっと蒼雷様の手腕によるものだろう……。)
松春は藍啓について冷静に分析した。それと同時に蒼雷の手腕に尊敬の念を感じた。政治的な面で藍啓を助けているであろう蒼雷は軍略家の藍啓に仕えているため勿論、軍略にも長けているはずだ。軍略を専門としている松春にとって尊敬しないわけない相手である。
(いや、藍啓様の政治的手腕も悪くないはずだ。
先日の軍略囲碁でそういった面の問題も垣間見られなかった。
だが、藍啓様の性格上の問題でいつ上の人間の操り人形にされるか分かったもんじゃない。
だから蒼雷様は私という不安要素は取り除きたいのだろう。
平民の私が藍家の後ろ盾を得たらそのことは瞬く間に広まるだろう……。
そうなれば、政治的な悪手だ。
そこから少しずつ削られていき取り返しのつかないことになりかねない。
しかも、女であることは更に悪手だ。
女性の軍師は今だ存在していない。尚更風当たりが強い。
私だけが不当な扱いを受けるのならば構わない、でも藍啓様が不当な評価をされるなんて死んでも嫌だ。
けれど、私は既に藍啓様に買われた身、ならば下女でも侍女でもなんでもして、働いて借金を返さねば……。)
松春は蒼雷の思惑を感じ取った。下を俯き瞳の光をなくし、悔しそうに唇をきつく噛んだ。
松春は軍師になることを再び諦めることにした。軍師を知っている者から反対されたことで傷つき苦しんだ。
それに救ってくれようとしてくれる人が危険な目に遭う可能性が跳ね上がってしまうのならばそれでは目指す意味がない。世話になった人への恩返しをしたいと考えている松春からすれば本末転倒だ。
ならば諦めるしかない。それが松春が考える最善策であった。
「女であることは驚いたが、それでも春は春だ。
確かに女で軍師になった者は蓮華国にも他国にも存在しない。
ならば春が女初の軍師になればいい。」
松春が諦めようとしていたその時、藍啓はふわりと微笑みながら松春に女初の軍師になれと言った。女だと分かれば騙した思われても仕方がなかった。それなのに藍啓は女だろうが男だろうが松春であると言ってくれたことに松春は嬉しくてたまらなかった。諦めなければならないのになりたいという気持ちが強くなってしまったことに松春は複雑な思いを抱えながら藍啓にふわりと微笑み返した。
「殿!! お考え直してください!!
この女を殿が軍師として迎え入れれば殿が不当な扱いを受けかねません。
男ならまだしも、女ならば藍家に災いを呼び込む種にしかなりません。
たとえ三男であっても貴方様は藍家の人間。
貴方様の立ち位置が藍家の将来を左右しかねません。
藍家の者としてもっと家のことをお考え下さい。」
藍啓の発言に蒼雷は声を荒げ眉間に皺を寄せながら松春が軍師になることを反対した。
「蒼雷、女だからなんだ。
そのような価値観の者が多いからこの東の大陸は一向に成長を何百年もしてない。
それは、身分重視で男優先からだ。
女だろうが身分が低かろうが才覚があるのならば拾い上げねば国は栄えぬぞ。
俺は藍家の人間の前にこの蓮華国の人間だ。
蓮華国を栄えさせるためには一族の利益や繁栄は取るに足らぬ小事だ。」
藍啓ふっと不敵な笑みを見せながら従者である蒼雷に宣言した。
「春ならば必ず蓮華国に大きな利益をもたらすだろう。
蓮華国はそれぞれ特色のある四ヶ国に囲まれた平凡な国だ。
いつ他国に食われるか分かったものじゃない。
だから春を俺はどうしても軍師にしたいのだ。」
間を置いて優しい笑みを浮かべながら藍啓は蒼雷を諭した。
(綺麗だ……。)
松春も思わず魅入ってしまうほど優しい笑みと天幕の照明用の蠟燭に照らされている藍啓に神秘的な美しさを感じた。そして、静まり返ったこの空間に蒼雷のゴクリと生唾を飲み込んだ音だけが響いた。
「分かりました。
ですが、旦那様の、貴方様の御父上への説得は自身でやってください。
いいですね? 」
しばらくして蒼雷が溜息をまた一つ吐きながら仕方なしと言ったような感じで藍啓のやろうとしていることに了承した。
(これで私も軍師になるための勉強が堂々とできる……!! )
松春は柄にもなく、軍師になるための勉強が公にできることの喜びでニヤニヤと笑った。