第一話
某所にある小さな喫茶店、午後の10時を過ぎた後のお店の扉には『CLOSE』と書かれた看板がかけられていた。
そんな店の中にいるのはオーナーである男性と学生制服姿の女性だ。
「今回は顔にケガ、したのかい」
「ああ、鼻を折られた。 油断したよ」
荒っぽく言葉を吐く女子高生の鼻は確かに腫れ上がってしまっている。 テーブルの横に置かれた鏡を見ながら、鼻に手を添えた。
するとオーナーの男は鏡の横に何か注がれたコップを置いた。 彼女は鼻に刺さる強烈なアルコール臭でこの透明な液体が酒類だと一瞬で判断できた。
「テキーラ? まだ未成年よ」
「麻酔代わりだ」
ならば、と彼女は一気に飲み干して鼻を元に戻す。 ゴキと嫌な音がなるが一切動揺する事なく息を吐いた。
「今度は何が原因だ?」
「賭けに負けた腹いせ、多分負ける前提で人間を雇ってたわ。 全員のしてやってけど」
「相変わらず過激だな、お前さんが闘っている所は」
「でも金払いは良いわ」
無理やり直した鼻は腫れ上がる様子は無い強引な方法だが雑な処理ではないようだ。
麻酔の代用として飲んだアルコールがきついのか、口直しに水を数杯一気に飲んだ。
「明日から学校だろ? 両立できるのか?」
「まあ、なんとかなるわ。 試合は夜中だし進学は考えて無いから最低卒業できればいいわ」
「大学に行けるなら行った方が特じゃないのか?」
「よく聞く話ね……」
夕飯の代わりに出された軽食を食べながら高校を卒業してからの事を考えている。 彼女の職業的に学歴やそういう専門的な知識が必須というわけではない。さらに彼女には授業料の問題もあるので簡単に決断を出すわけにはいかなかった。
「ま、今すぐ出す結論でもねぇさ。 お前さんならちょっと頑張れば合格なんて簡単だろうさ。 俺はそろそろ上がるぜ、食器は水に突っ込んでおくだけで良いぞ」
「ありがと……」
「明日から頑張りな雪乃」
彼女の名前は『雪乃 戦香』、前途多難な悩める高校生である。
日差しが強い……。 もう朝か。
強烈な日差しを全身に浴びて意識が覚醒する。 昨日はあの後シャワーを浴びて制服を脱いだ後直ぐに寝てしまったので、登校に必要な道具などがまだカバンに入ってなかった。 なので準備をしつつ朝食をとることにした。
「残ってるのは……バナナと缶詰があるわね。 これで十分」
バナナを頬張りつつ書類やらルーズリーフやら教科書を入れる。 私自身こうやって学校に登校するのは久しぶりな感覚だ。 中学校はどうしたのかって? 家庭の事情というものだ。
準備ができたので鯖の缶詰を流し込んで口直しに水を入れる。 水筒は購買があるらしいので持っていく事は無いだろう。
「よし、いってきますか」
高校は近所なので今から歩いて向かえば余裕を持って到着できる。
私がこれから通う予定の高校は施設が綺麗であるという事以外は特に特徴は無い、全校生徒の人数は多いがそれくらいだ。
20分程歩けばもう高校だ。 昨日入学式だったので既に校舎の構造は把握している、私は3組だから『1-3』と書かれた教室に入れば良い、並べられた机と椅子と黒板には席順が書かれたプリントが掲示されている。
「私は……後ろだったわよね」
名前順なので席は窓側の後ろから3番目の席だ。 自分の名前の書かれたプレートが置かれた座席に座ると隣の女子生徒が話しかけてきた。
長い髪を纏めずに流している落ち着いた雰囲気のある子だ。
少し垂れ目なところを見ると人懐っこい性格なのかもしれない。
しかし初対面の子に声をかけるというのは珍しい気がする。まあ、こちらとしても都合が良いので普通に対応する事にしよう。
そういえば自己紹介がまだだったな。
お互い名前を名乗ろうじゃないか。
彼女は私の顔を見て首を傾げた。
何か変なものが付いているだろうか? そんなはずは無いのだが。
「すみません。 私、一度あなたをどこかで見た記憶があります……」
「気のせいよ」
「気のせいでしょうか……?」
記憶を掘り起こそうと頭を捻る彼女を無視して私は鞄の中から小説を取り出す。この時間暇つぶしはこれに限る。
彼女はしばらくうんうんうなっていたが諦めたのかすぐに会話を再開した。
「人違いでしょうか?申し訳ございません、そういえば自己紹介がありませんでした。私の名前は『寒河江 ひより(さがえ ひより)』といいます」
「えぇ、よろしく。私は『雪乃 戦香』よ」
「それで、私の勘違いかもしれませんが、もしかして雪乃さんは『武闘家』ですか?」
「……そう思った理由を聞いても?」
「いえ、ただの勘です」
「まあ、当たらずとも遠からずって感じかしら」
この子は見た目の割に随分鋭い。
確かに私は格闘技を嗜んでいる、それもかなり実戦的な格闘術だ。
ただし、一目でわからないように身の振り方には気をつけているはずだ。
少なくとも一般人に見えるような動きをしているつもりだが……。
「……まあいいわ。 一応言っておくけどあんまり言いふらさないで」
「はい、もちろんです」
「ならいいわ」
とりあえず信用する事にした。
この子がどこで私の情報を手に入れたかは知らないが、余計なトラブルに巻き込まれたくない。
「それにしてもすごいですね、雪乃さんは」
「何?」
「あっ、私の家が道場をやっているんです。 家の道場でもそこまで完成されている肉体、見たことありません」
なるほど、彼女の鋭い観察眼は家が道場を経営しているからなのか、普段から格闘技をしている人間が近くにいれば自然と見分けられるというのは納得がいく。
実際彼女の予想通りそこそこ強い自信はある。 同年代相手なら負けることは無いだろう。
「なるほどね……」
彼女の家はおそらく結構有名な流派の所だろう。
もし、彼女が私に弟子入りしたいと言ってきたらどうしたものか。
私自身人に教えられるほどの実力があるわけでもない。まぁ、その時は適当に誤魔化せば良いだけだが。
「ごめんなさい、急にこんなこと言われても困りますよね」
私が何も言わなかったので、反応に困ったのか謝ってきた。
別に怒っているわけではないどころか、むしろ話しかけてくれた事がうれしいくらいだ。
「大丈夫よ気にしないで、それよりもうすぐ先生が来ると思うから前を向いておきましょう」
「はい、ありがとうございます」
これから仲良くやっていけそうな人がいるので、これからの生活に希望を持ち始めた。
ガララッと扉を開ける音がして、担任の先生らしき人が入ってきた体格が良く、スポーツマンと言った印象を受ける人だ。入学式自体はもう終わっているので、あとは各クラスごとにオリエンテーションをするだけで今日は終わりだ。
どうせやるなら明日にまとめてくれればいいのにとは思うが、こういうのは伝統行事らしい。
「それじゃあ、これから皆さんには自己紹介をしてもらいたいと思います」
まずは出席番号一番の人から自己紹介を始めた。
みんな中学ではどんなことをしていたとか、部活は何に入る予定だとかを簡単に話していく。
私の番が来た。
「えーっと、雪乃……下はせんかでいいのか?」
「はい、問題はありません」
「それじゃあ、次は雪乃の自己紹介だな」
あまり目立ちたくはないが自己紹介くらいはさすがに普通にこなしておくべきだろう。
「初めまして、私は雪乃 戦香と言います。 体を動かすのがある程度得意なので運動部に入りたいと思います。 よろしくお願いいたします」
当たり障りのない言葉と内容で自己紹介を終わらせた。
特に問題なく拍手が起きて自分の番が終わった。そして次々とクラスメイトたちの自己紹介が進んでいく。
この学校は基本的に部活動への入部が義務付けられている。
帰宅部の人はおそらくいないと思われるので、どの部にするか決めなければいけない。
まあ、自己紹介で言ったように運動部に入って幽霊部員になればいい。そうすれば、放課後はゆっくりできるし一石二鳥だ。
その後は特に何事もなく、ホームルームが終了して解散となった。
「雪乃さん、この後時間ありますか?」
帰り支度をしていたら、ひよりが声をかけてきた。
「何かしら?悪いけれど私は用事があるから、また今度にしてくれる?」
「いえ、いっしょに帰りましょう? そのご様子だとお話できる人はいなさそうですし」
「そう、わかったわ」
図星だ、もし隣の人間と話せているならそれを理由に断っていた。 それもできないので苦虫を噛み潰したような顔で了承した。
「それで、あなたどの交通手段で通学してるの?」
「高校が近いので歩きです、雪乃さんは自転車ですか?」
「いいえ、あなたと同じ徒歩よ」
「なら問題ないですね、一緒に行きましょう」
そんなこんなで私たちは校門を出て帰路に着いた。
道中はお互いの事について話し合った。ひよりは家が道場を営んでいること、私は父が武闘家であること。
ひよりの家はかなり大きいらしくそれなりに有名らしい。
しかしそれは昔の話らしく今は細々と経営しているとかなんとか。
「あ、私の家ここだから。じゃ」
「はい、私の家もすぐそこなので。また明日お会いしましょう」
意外と彼女の家も近かったようだ。
ひよりも家の前まで送ってくれたのですぐに別れた。
こうして、私の高校生としての生活が始まった。