第9章 「甘味は別腹?パーラー食べ歩き」
府中キネマ館を後にした私達は、軽く小腹を満たすべく、映画館の斜向かいに店を構えているパーラーへ雪崩れ込んだんだ。
大正中期に流行したレトロモダンな外観で、「パーラー」と言うよりは「ミルクホール」と呼んだ方がしっくり来そうな見てくれだったね。
「いらっしゃいませ。御3名様でいらっしゃいますか?」
私達を応対してくれたウエイトレスさんも、黒い制服に白いエプロンを着けた正統派で、「女給さん」と呼んでも差し支えなさそうだったの。
元化9年生まれの私としては、この可愛らしいウエイトレスさんの茶髪ボブに白いヘッドドレスをチョイ足しして、メイドさんに仕立ててみたくなる所だよ。
もっとも、この時代ではメイド喫茶なんて概念はまだないんだけど…
サブカルチャーの聖地として名高い大阪の日本橋や帝都の秋葉原も、この時代は単なる電気街だろうし。
「里香ちゃん、まだ冷たいのを食べるの?!モナカアイス、2つも食べたじゃない…」
ウエイトレスさんが私の席へ運んで来た品を見て、美衣子ちゃんが呆れたような声を上げている。
そんな美衣子ちゃんがフォークとナイフで切り分けているのは、美しい円形に焼かれたパンケーキだ。
適度な焦げ目のついた表面では、溶けたバターが蜂蜜と混ざり合って、甘い芳香を漂わせているよ。
このパンケーキを注文して食べれば、女子力アップはまず間違いなしだよ。
イギリス結びにした桜色の髪に穏和な童顔と、美衣子ちゃんは元々フェミニンなイメージが強い子だけど、まさか狙ってやった訳じゃないよね。
写真に撮ってSNSに上げれば高評価になりそうだけど、この時代にはスマホなんて無い訳だし。
「チョコレートパフェだけじゃなくて、追加にクリームソーダかよ…」
フォークでスパゲティを巻き取る動作も疎かにして、誉理ちゃんが溜め息をついている。
軽くウェーブした金髪がシャンデリアの豪奢な光に照らされて、エレガントな美しさを醸しているね。
荒っぽい言葉遣いと「銭湯の娘」という下町的な来歴を棚上げして、物静かにお澄ましさせれば、「欧州の貴族令嬢」を思わせる気品も出せるみたいだね、誉理ちゃんって。
私の元いた時代のサブカル界では、こういうのを「ギャップ萌え」って言うんだよね。
まあ、ヨーロッパの貴族令嬢がスパゲティ・ナポリタンを昼食に選ぶ機会は少なそうだけど。
この時代にスパゲティと言えば、ミートスパゲティやナポリタンと相場は決まっていて、ボンゴレとかカルボナーラみたいに種類が増えたのは、もっと後の話だから。
そして何より、ナポリタンは日本で創作されたパスタ料理で、イタリアのナポリには無いみたいだし。
元の時代に帰ったら、A組のフレイアちゃんに聞いてみようかな。
ナポリタンを食べた事があるかって。
ヘルシンキ支局から転属してきたフレイアちゃんの御実家は、フィンランドの貴族であるブリュンヒルデ公爵家だし。
「気にしなさんな、お2人さん。甘い物は別腹なのだよ!」
呆れ顔の2人を笑い飛ばした私の前に並ぶのは、見る者の郷愁を否応なしに掻き立てる、懐かしの喫茶店メニューだったの。
チョコレートのカラースプレーが振り掛けられたパフェの頂上には、適度な固さと弾力のあるプリンが据えられているし、所謂「アンゼリカ」と呼ばれている、乾燥したフキの甘露煮だって健在だ。
そして緑色が目にも鮮やかなメロンソーダの表面に浮かぶバニラアイスには、缶詰の真っ赤なサクランボが添えられているの。
奇を衒わない素朴さは、この時代の美徳だよ。
それと、不思議と甘い物を食べたくなっちゃうのは、元の時代に比べてアルコールを摂取する機会が少ないからだろうね。
アルコールが足りないから、脳が代替品として甘い物を欲しているんだ。