第8章 「郷愁のキネマ体験」
絵看板を掲げた外観や、ロビーカードで飾られたエントランスは勿論、開場された劇場内に至るまで、府中キネマ館は古き良き映画文化の情緒と風情に満ちた空間だったんだ。
上映された映画その物は、どちらもテレビの映画枠やDVDで見た事があるんだけど、この古き良き映画文化の情緒と風情に満ちた空間で見ると、また格別だったよ。
「う~んっ!良い映画だったなぁ…!」
2本目の上映も無事に終わり、場内が明るくなったのを見計らった私は、目が覚めるように赤いベロア調の生地に覆われた客席の椅子で軽く伸びをしたんだ。
こうして伸びをすると、見上げる程に高い天井や、両端に設けられた桟敷席といった、場内の特徴が手に取るように分かるよ。
どちらも昔ながらの映画館には付き物だね。
「それは良かったね、里香ちゃん!それだけ喜んで貰えたら、誘った私としても発起人冥利に尽きるって物だよ。だけど、モナカアイスの食べ過ぎだよ。」
そう言う美衣子ちゃんだって、食べ終えたモナカアイスの紙包みをジュースの紙コップに片付けているじゃない。
そりゃ、最初のモナカアイスを休憩中に食べ終えちゃって、帰ろうとした売り子さんを呼び止めて2個目を買い求めたのは事実だけどさ。
「里香ったら、映画が始まる前からず~っとニヤニヤしてるんだから。まさか、『このままサウナに行きたい。』なんて言うんじゃないよな?」
呆れ顔の誉理ちゃんは、飲み干したラムネの瓶と私を交互に見比べている。
軽くウェーブしたセミロングのブロンドが電灯に照らされる様は、上映中の暗がりに慣れた目には実に鮮やかに映ったよ。
2人には苦笑されちゃったんだけど、上映前にアナウンスされる中華料理屋やサウナの宣伝も、映画の1本目と2本目の間に客席を巡回するモナカアイスの売り子さんも、元化生まれの私にとっては物珍しかったんだ。
どちらも、シネコンとしての映画館しか知らない子達が見たら、ビックリするだろうね。
モナカアイスの売り子さんでも充分に珍しいけど、もっと昔だと煎餅や餡パンも売られていたんでしょ?
所謂、「おせんにキャラメル、餡パンはいかがですか…」って売り文句が唱えられていた時代。
休憩時間を利用して、それとなく美衣子ちゃんと誉理ちゃんに聞いてみたんだけど、それは2人の親世代が尋常小学校に上がる前までの話みたい。
考えてみれば、その時は弁士が解説する無声映画が主流だから、お煎餅をバリバリッて噛み砕いても大丈夫だったのかな。
今のシネコンで同じ事をしたら、大顰蹙を買ってしまうのは確実だけど。
「それじゃ行こっか!誉理ちゃん、里香ちゃん!」
「ああ。グズグズしてたら次の部の客と紛らわしいからな。」
隣席の家族連れが腰を上げたのを確認してから、日本軍の少女将校は揃って立ち上がった。
「おおっと…!待ってよ、2人とも!」
1テンポ遅れてしまった私が、ワタワタと慌てて2人に続く。
何せ私が真ん中に座っているもんだから、私が立たないと誉理ちゃんが出にくいもん。
そうして劇場内から出る時に気付いた事だけど、客席に腰掛けた観客達にしても、元化25年とは随分と違うんだね。
自由席で入れ替え式じゃないからか、後ろの席には今の部からそのまま座っているような人がいるの。
こういう手合いは、好きな映画を何度も見たいっていう熱心な映画ファンと、仮眠室代わりにしている人の2種に大別出来るかな。
そして、くわえタバコで紫煙を燻らせているオジサンがチラホラ…
この時の映画館は禁煙じゃなかったし、私がいた時代よりも喫煙者の割合は高かったからね。
とは言え、この時代の人達は副流煙なんて気にしてないから、未来人である私がとやかく言う筋合いじゃないか。