第5章 「外出証を忘れるな!」
「ほら、里香だって喜んでるんだし!」
一番喜んでいるのは君じゃないのかな、友呂岐誉理少尉?
「全く…誉理ちゃんったら調子良いんだから…」
やれやれとばかりに溜め息をついた美衣子ちゃんは、お椀の底に残っていた味噌汁を上品に飲み干すと、手付かずだった鮭缶煮込みに箸を伸ばすのだった。
先に切り干し大根の辛子和えをサッサと片付けて、味噌汁で後味をリセットしたって寸法か。
和菓子屋さんのお嬢さんだけあって、辛子の味付けは不得手なのかな?
「でもさ、誉理ちゃん?食わず嫌いは良くないと思うんだよね。別に、茄子アレルギーって訳でも無いんでしょ?」
「ああ…まぁ、ね…」
随分と歯切れが悪いなあ、岸和田生まれの銭湯小町さんも。
それに業を煮やしたって訳じゃないけど、この一連の発言は余計だったかな。
「この茄子の早漬けも日本酒のオツマミにしたら、誉理ちゃんだってきっと気に入ると思うよ。別に大吟醸の特級酒じゃなくって良いの。安くて美味しい純米酒なら、探せば色々あるからね。」
「ちょっと、なあ…おい、里香…!」
今から思い返してみれば、この時の誉理ちゃんの声色は、少し変化していたのかもね。
「冷蔵庫でしっかり冷やした純米酒を御猪口でキュッとやりながら、時々この漬け物を摘まんでさ。」
空想上の御猪口を傾けるジェスチャーをしながら、嬉々として茄子を口に運んでいる私。
イメージを続けていると、口の中にはキリッと冷えた純米酒の風味が、鮮明に浮かんできたんだ。
「こうして軽~く飲むのも、昼酒や食前酒として悪くはないよね…って、ムグッ!?」
お箸を置いて架空の御猪口を傾けている私の独り言は、横からサッと伸びてきた掌で遮られちゃったの。
「ワワッ!ダメだよ、里香ちゃん!」
柔らかい掌で私の口を塞いだのは、ならまちの和菓子屋さんの看板娘だってすぐに分かったよ。
太平楽でノンビリとした普段の美衣子ちゃんの、どこにこんな素早さがあるのかと不思議になっちゃう。
「今のはお父さんやお母さんから聞いた感想だろ。そうなんだろ、里香?」
向かいの席から身を乗り出してきた誉理ちゃんは、押し殺した低い声で念を押してきたの。
私を見据えてくる誉理ちゃんの真顔には、あどけない少女の美貌であるだけに、有無を言わせぬ凄味があったね。
「うっ…?!ウン!ウンウン!」
美衣子ちゃんの柔らかい掌で口を塞がれている都合上、首を何度も上下に動かして肯定の意を示させて頂いたんだ。
鈍感な私だけど、漸く気付いたよ。
修文4年9月現在17歳の園里香少尉に化けている私は、大っぴらには飲酒出来ないんだ。
と言うのも、生体強化ナノマシンにアルコールで活性化する性質があると臨床実験で証明されるのは、私が今いる時代より少し後になってからなんだよね。
そのため、生体強化ナノマシンによる改造手術を受けた少女兵士への部分的成人擬制だって、まだ法整備されていない訳だし。
成人していたら話は別なんだけど、今は修文4年の9月だから、御先祖様の園里香少尉が18歳の誕生日を迎えるまで2ヶ月弱もあるんだよね。
「気を付けてよ、里香ちゃん。こんな事が憲兵隊の御偉方に知れたら、洒落にならないんだからね。」
空いた左手でソッと耳打ちすると、美衣子ちゃんは食堂の中をグルリと見回し、ホッと胸を撫で下ろしたんだ。
この分だと、どうやら憲兵さんはいらっしゃらないみたい。
もっとも、憲兵隊の将校さん達は営外にお住まいだから、今の時間帯は将校集会所にいらっしゃるはずはないんだよ。
憲兵隊の将校さん達は、今頃きっと各々の御自宅や下宿先で優雅に朝食を取られておいでなんだろうな。
「ゴメン、ゴメン!これから気をつけるよ、誉理ちゃん、美衣子ちゃん。」
「しっかりしてくれよ、里香…ああ、そうだ!しっかりついでに聞いておくけど、2人とも外出証は持ってるね?」
呆れ顔の誉理ちゃんは、指を鳴らして利き手を詰襟のポケットに入れると、四つ折りにした外出証をテーブルで広げて示したんだ。
「心配性だなぁ、誉理ちゃんは…ほらね、ちゃんと持ってるよ!」
「右に同じ…ねっ!」
美衣子ちゃんを真似した訳じゃないけど、私も人差し指と中指の間に挟んだ気障な仕草で外出証を示させて頂いたの。
兵舎住まいの軍人さんは、この外出証を発行して貰わないと、好き勝手に外出出来ないんだ。
元の時代では実家から堺県第2支局に登庁している私としては、少し煩わしい所かな。
とはいえ元化25年でも、駐屯地住まいの自衛官は外泊に許可が必要だからね。
陸自との合同演習で一緒になった三曹のお姉さん-確か、人類防衛機構には入らずに自衛官になった人だっけ-は、冗談めかして愚痴っていたなあ。
それに民間人でも、親元を離れて学生寮に下宿している子なら、今の私と似たような暮らしぶりだし。
考えてみれば、今の状況は私にとって、生涯初の女子寮生活。
多少の不自由や煩わしさも、女子寮生活の醍醐味として楽しまなくちゃね!