朝
——白い。ただ白いというのではなく乳白色。乳鉢のような陶器質なものでもなく、柔らかな質感と温かさのある。そして、色としての白というものの定義に符号するのではなく、白という言葉の持つ概念が彼女に符合する。
そんな女を見ていた。
彼女が白い息をはく。ふわりと広がり、空へ消えてゆく。雲はなく、やや紫がかっている空。それは気も遠くなるほど巨大な容れ物なのだ。その容れ物を窒素や酸素、二酸化炭素やアルゴンその他の分子が満たしている。
フル・イマージョン——そんな単語が浮かんで涙腺がじわりとなった。
冬朝の空気は冷たい。コートを抜け、セーターを抜け、体の末端から侵食する寒さは、むしろすがすがしい。
気づけば深く息を吸い込み、肺に透明な空気を通していた。朝と私が肺で繋がる。それは肺胞の一つ一つにまで染み込み、浄化するのだ。肺をすっかり満たしてしまうと、赤血球にでも掴まれ毛細血管に乗って身体中を巡るのだろう。
血流は、やや早い。
彼女は手をすり合わせる。
その手は赤みを帯びている。
彼女の手は冷え切っているのかもしれない。冷たさとは畢竟、痛覚だ。白い手。たおやかな手。そこでは痛覚神経がパチパチと発火しているのだろうか。だとしたら、それは線香花火みたいなのだろう。
血管が収縮し、血流は鈍化し、血色は紫変するはずだ。
それでも、その人の手は鮮紅、あるいは淡桃色。
鳥が鳴き始めた。小鳥だ。
歯切れの良い短い声でチュンチュンと何かを連呼している。
別の声。もう一羽の小鳥が少しだけ長く、何か返事する。少しだけ高い声で。
彼女がふとその声の小鳥を探して視線を揺らす。つややかな黒の髪も揺れる。
だが、声の主は見つからないようだ。
私も、小鳥を見つけることができない。確かに聞こえた。しかし、声がした方を見ても無機質なアスファルトが有るだけなのだ。
小鳥はもう、喋ってはくれないようだ。
私が二人の語らいを邪魔したというのだろうか?
いつしか、日の光は赤く、黄色く、白く移り変わっていった。空気はぬるんできた。一日が始まる。
不意に彼女と目が合った。
「小鳥、いたと思ったのにいませんね」
「ええ」
初めて彼女の声を聞いた。
思った通り、透き通るような真っ白い声だった。