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ブラフマーの沈黙

作者: 山﨑 あきら

 ダイソン球というのは恒星を丸ごと居住区で覆って恒星のエネルギーをすべて利用してしまおうという究極のスペースコロニーです。科学の世界ではこのダイソン球が放射する赤外線を観測できればそこに高度な地球外文明がある証拠になるとも言われています。この作品はダイソン球そのものを宇宙船にしてしまえば便利なんじゃないかというお話です。

 なお、これはもともと「次回予告」用として書き始めたものですので、特に前半部分では枚数を減らすために正体不明の二人による会話で話を進めています。ご容赦ください。

 木星の直径は約14万キロ。太陽系最大の惑星だ。その天体は木星よりも少し大きかったが、可視光線での観測ではまったく見えないために発見が遅れてしまったのだった。しかし、見えないものの存在を確認することも不可能ではない。観測中の天体が見えなくなる領域があるなら、その天体と観測施設との間に何かがあるということなのだ。

「1年周期で地球の自転と反対方向へ移動しながら次第に大きくなっている。その中心はこと座のベガから少し外れた位置だ。わずかな赤外線以外は電波も可視光線も放射していないのとベガの明るさのせいで発見が遅れてしまった」

「ほとんど見えない何かが地球に向かって接近しつつあるということか」

「正確には太陽系に、だな。太陽系の近くを通過するが衝突することを心配するほどではない。木星が太陽を揺らす程度に揺らすくらいだろう」

「それはよかった。とりあえず名前を付ける必要があるかな」

「もう考えてある。ブラックボールというのはどうだ」

「・・・・・・悪くはないな」


 仮称ブラックボールは太陽系に接近するにつれて世界中の天文台の観測の優先順位の上位へと上りつめていった。

 探査機も次々に打ち上げられてフライバイ観測が行われ、その黒い天体の直径は約24万キロであることが分かった。これは木星の約1.7倍にあたる。同じく質量は約1.6倍。これだけ見ればどこかの恒星系から放り出された浮遊惑星としか思えないが・・・。

「木星質量の1.6倍の水素原子が集まれば、その中心で核融合が始まって赤色矮星になるはずなんだがな。それにそれだけの質量があれば自身の重力で縮んでいくはずだ。この大きさはあり得ない。表面もおかしい。磁場が観測されているから内部では電離した流体が自転か対流かしているはずなのに、この黒い表面は固体にしか見えない。少なくともガスじゃない。だからガス惑星とは言えない・・・かもしれない」

「・・・・・・これはもしかすると・・・」

「なんだ?」

「宇宙人の男の子が宇宙遊園地でもらった風船が風に飛ばされてしまったんじゃないか」

「・・・女の子じゃダメなのか?」

「ダメだ。かわいそうだろ」


 材質が分からない時は叩いてみるのがいい。金属・木材・コンクリート、それぞれ違う音が出る。天体なら飛び散る破片やガスを分析することで多くのデータが得られる。というわけでブラックボールに衝突する探査機とその瞬間を観測する探査機のペアが打ち上げられることになった。もっと慎重に行動するべきだという意見もあったのだが、何しろ相手は近くを通過するだけなのだ。通り過ぎてしまったら追いかけることもできない。

 結論から言えばその探査機は衝突できなかった。おそらくは大出力のレーザーを浴びせられ、気化して消滅したのだ。そしてその直後、ブラックボールが動き出す。膨大な量の高速プラズマを進行方向と直交する方向に断続的に放出し始めたのだ。それはどう見ても太陽系との最接近位置を遠くしようという動きだった。

「何てこった! こいつぁ宇宙船だ」

「バカな! 木星より大きいんだぞ!」

「確かにバカでかいが、不可能じゃあない。むしろ、速度は遅くてもいいから宇宙を長期間航行し続ける、という用途を考えればきわめて合理的なんだ。例えば太平洋を挟んだA地点からB地点まで移動するとしよう。乗り物は何を使う?」

「旅客機だな」

「それが普通だろうな。実用的な範囲では航空機が一番速い。しかし、豪華客船という手もあるんだ」

「・・・目的地までの移動手段ではなく、宇宙で生活するための船だと言うつもりか!」

「そうだ。こいつはおそらく最小クラスの赤色矮星を卵の殻のような居住区で覆って恒星が放射するすべてのエネルギーを無駄なく使おうという究極のスペースコロニー、ダイソン球だ。この程度の質量の赤色矮星なら核融合反応が不活発になるから表面温度は上がらないが、その代わりに寿命が10兆年以上に延びるはずだ。宇宙が終わりを迎えるのは1400億年後だという説があるから・・・」

「彼らは宇宙の終わりを見届けるために宇宙船を建造したってのか!」

「いや、それを意図したかどうかは分からんが、少なくともエネルギーだけは宇宙が終わるまで供給できるということだ」

「エンジンはどうするんだ?」

「我々の太陽は表層だけが対流してるんだが、赤色矮星は中心部まで対流する。その結果大規模なフレアを発生させる場合が多い。これがいわゆる変光星だ。ダイソン球を建造するような技術力があるならフレアが発生する場所や規模をコントロールする程度のことはできるだろう。質量の割に推力は低いから加速度は稼げないし急な軌道変更もできないだろうが、そういうものはそもそも必要としないんだろうな」

「後は居住区や生命維持システムのメンテナンスといった問題だけか」

「それも大きな問題にはならない。いいか、一人乗りの宇宙船のキャビンに直径10ミリの穴が開いたとしよう。これはすぐに塞がないと命に関わる」

「そうだな」

「では1万人が居住可能なスペースコロニーに同じ大きさの穴が開いたとしたら?」

「・・・・・・ほとんど何の問題もない、な。高感度のセンサーでもなければ空気が漏れている事にすら気付かないかもしれない」

「容積が大きいというのはそういうことだ。地球くらいの質量があれば壁なしでも重力だけで大気をつなぎ止めておけるくらいだからな。彼らが殻を造ったのは内部の恒星が放射するエネルギーをすべて利用するためと、軌道を変更するためにフレアを放出する方向をコントロールする必要があったからなんだろう」

「・・・かなわんな。地球人はこれからどうしたらいいんだ? できることがあるのか?」

「決まってるさ。コンタクトを試みるんだ」

「地球人は彼らに石を投げつけるような真似をしちまったんだぞ。彼らだって嫌がって距離を取ろうとしてるじゃないか。今さらドアを叩いても開けてくれるとは思えない」

「それでもやるしかない。小さな恒星とはいえ、ダイソン球を建設するような文明を持つ種族とコンタクトする機会なんてそうあるもんじゃない。やるしかないんだ。ドアを叩かなければ開けられることもないんだから」


 非公式にブラックボールと呼ばれていた天体は改めてヒンドゥー教の神、ブラフマーの名を与えられることになった。これはヒンドゥー教において宇宙と様々な生物を創造したとされる神の名だ。

 ブラフマー自身の軌道変更によってブラフマーに向かっていたすべての探査機は狙いを外され、宇宙の彼方へ飛び去ることになったが、ブラフマーの軌道変更が停止しても新たな探査機は打ち上げられなかった。ダイソン球を建造できるような知性体にこれ以上石を投げつけるような真似をするわけにはいかないのだ。その代わりに超長波からマイクロ波までの電波と赤外線から紫外線までのレーザー通信で素数列が送信され始めた。だが、ブラフマーは応えなかった。軌道変更を終えているのに応答がないということは、信号が届いていないのではなく、意図的に返事をしていないということだ。

「反応は?」

「ない」

「赤外線から赤色光の範囲も?」

「ない。プラズマの噴射が始まってから終わるまでの間は表面温度にムラがあったんだが、それもほとんど消えた。ブラフマーは沈黙の黒い球体に戻っちまったよ」

「そうか・・・。赤色矮星は赤外線から赤の領域の光を中心に放射するからその帯域でものを見る種族だと思ったんだが・・・」

「それなんだが・・・彼らは恒星じゃなくて惑星に殻を被せたんじゃないか」

「どういうことだ?」

「核融合を起こす寸前の、1.5木星質量くらいのガス惑星に殻を被せてからちょいと質量を追加してだな・・・」

「ちょっと待て! 0.1木星質量ってのは、ええと・・・だいたい2×10の26乗キログラムだぞ。ちょいと追加、なんてできる量じゃない」

「じゃあ1.5999999木星質量」

「・・・それなら比較的現実的かもしれん。宇宙空間で建設するのは同じだが、荒れ狂うフレアに焼かれながら工事する必要がないならその分楽だったかもしれない」

「だろ。あとは核融合を起こさせるだけなんだ」

「だけ、と言えるほど簡単じゃないだろう・・・が、すでに核融合を起こしている恒星よりはコントロールしやすいかもしれないな。いずれにせよ、地球人よりもはるかに進歩した文明なのは間違いない」

「・・・なあ、そんな進歩した文明を持つ種族とのコンタクトにあんなのを派遣していいのか」

「どうしようもなかった。『行きたい』『行かせてくれ』と言ったのはヨーコだけだったんだ。若い男女二人という条件さえなければどうにかなったんだが・・・」

「男ばかりの種族だと思われたくないってか。しかし、下手すりゃ星間戦争の引き金を引きかねないぞ、あの女は」

「保険はかけてある。チャンドラの提案で機長席のコンソールに宇宙船のすべてのシステムを焼き切ってしまうスイッチを追加した。ヨーコが地球人に対して有害な存在になったら迷わずスイッチを押すそうだ」

「それは文字通りの自殺行為じゃないか! そんなパイロット、信用できるのか」

「弟や妹たちに、除隊するまでにもらえるはずの給料にボーナスを加えて送金してくれるならやる、と言ってくれたよ」

「それは・・・信用できそうだな」


 ヨーコとチャンドラは高G加速に備えてほとんどベッドのような角度に寝かされたシートで待機していた。地球圏からの呼びかけにブラフマーが応えればミッションは中止になるということだったが、いまだにそういう連絡はない。

「ねえ、チャンドラ。ブラフマーってすごく偉い神様なのに、なぜ『偉大なる黒いものが応えてくださらないのはブラフマーなどという名前を付けたからだ』なんて言う人たちが現れてしまうわけ?」

 チャンドラが宇宙服のヘルメットの中で顔だけを向けるとヨーコが唇を尖らせていた。

(こんな表情もいいな)

 チャンドラはそう思う。

「簡単に言えば、ブラフマー神はもう必要とされていない神だからだよ」

 今度は目を丸くする。これもいい。そして、そんな表情を引き出せる応え方ができた自分自身が誇らしい。

 ブラフマー神はヒンドゥー教の3柱の主神のうちの1柱で、しばしば宇宙と様々な生物の創造主であると語られるのだが、世界を維持するヴィシュヌ神や破壊し再生させるシヴァ神ほどには人気がない。宗派によっては3柱の主神から外されて別の神に置き換えられていることもあるくらいだ。

「ぼくは熱心なヒンドゥー教徒じゃないし、研究者でもないから個人的な見解だけれど、今の世界に満足している人たちはヴィシュヌ神にこの世界がこのまま続いていきますようにと祈る。不満がある人たちはシヴァ神にこの世界を破壊して、もっとよい世界を造ってくださいと祈るんだろうと思う。でも、もう世界はできあがってしまっているからブラフマー神に祈る人はいないんだ。4つの顔にある4つの口から4つのヴェーダを紡いだとされているから感謝を捧げる人たちはいるんだろうけど」

「ブラフマー神はかわいそうだけど、それって、ヒンドゥー教徒は未来を見つめている人たちが多いっていうことなの?」

(神を哀れむなんて! いや・・・パールバティーならそれも許されるのかもしれない)

「あまり考えた事はなかったけど、そういうことかもしれないね」

「そうなんだー。でも、日本でも同じようなものね。創造神は大事にされてないわ。日本の神話ではイザナギとイザナミという男女の神様が世界を造るんだけどね」

 そう言ったヨーコはいたずらっ子の表情でチャンドラを見つめる。

(何だこれは? ドゥルガー神か?)

「イザナギとイザナミはあの夜の私たちみたいなことをして世界を造ったのよ」

「え・・・あ・・・・・・」

 のど笛をかき切られた気分だった。戦いの女神ドゥルガーは少しでも隙を見せると襲いかかってくるのだ。

 その時、管制室から通信が入った。

『チャンドラ、ヨーコ。どうやら君らの出番らしい。ブラフマーはいまだに沈黙したままだ。もう君らに直接ドアを叩いてもらうしかない』

「チャンドラ了解。いつでも行けます」

「ヨーコ了解。さっきお漏らししておむつのテストも済ませました」

『あ・・・そ、それは良かった。カ、カウントダウンを開始する。オーバー』

 ドゥルガー神は誰に対しても容赦がない。


 ブラフマーとコンタクトする試みは2段階で進められることになっていた。第1ステージは月面や地球の衛星軌道上から考えられる限りの通信手段を使っての素数列の送信。第2ステージは男女二人を乗せた宇宙船を接近させて、ごく近くから呼びかけるというドアノックミッションだ。

 第2ステージの準備は第1ステージと並行して進められていたのだが、このドアノックミッションに志願するアストロノートは少なかった。そしていったん志願しても詳細を聞いてから辞退する者も続出した。原因は生還できる可能性の不確かさだ。ブラフマーはその気になれば地球を丸ごと焼き払うくらいのことはできるだろうと予想されていた。また、素数列をうるさく送信し続けながら接近してくる宇宙船をつきまとう蚊のようにぴしゃりと叩き潰すこともありうると。そのため宇宙船によるコンタクトの試みは、太陽系とブラフマーが交差するタイミングで月の周回軌道から発進してブラフマーと地球を結ぶ線線上から素早く離脱し、地球を背にしない迂回軌道から接近することになった。探査機を蒸発させた攻撃を受けるとしたら接近する過程だろうから、その場合でも地球が流れ弾を受けることがないようにという軌道だ。

 ブラフマーに後方から接近しながらコンタクトした後は、推進剤をほとんど使い果たした状態でブラフマー自身の重力を使って軌道を180度近く変更して地球に向かう。それを地球圏から発進した救難船が出迎えることになる。宇宙船だと思っていなかったとはいえ、一度は石を投げつけるような行為をした相手の家の周りを大騒ぎしながらグルッとまわるようなカミカゼコンタクトだ。ショットガンで撃たれても文句は言えないし、それ以前に軌道を変更されたら接近することもできずに宇宙の迷子になるしかない。何の成果も得られない可能性が高い上に、相手が気まぐれを起こしただけで生還できなくなるミッションなどよほどの変わり者でなければ引き受けない。そのよほどの変わり者がミッションスペシャリストのヨーコだった。何しろ志願の動機が「地球人の縄張りに侵入しておいて挨拶もなしに出て行くなんて許せないから」だ。

 パイロットのチャンドラは一歩下がってコマンダーをサポートする時に真価を発揮するという性向を買われてヨーコの攻撃的な性格の抑え役として選ばれた。パイロットに志願すれば、それだけで一階級、さらに生還できなくても支払われる特別ボーナスは弟や妹たちに教育を受けさせなくてならないチャンドラにとって大きな魅力だったのだ。そういうわけでミッションスペシャリストが実質的なコマンダーというとんでもない編成になってしまったのだった。もっとも、関係者以外は色黒だが知性を感じさせる若者がコマンダーだと信じていたし、事情を知っているスタッフたちも口をつぐんでいたが。


「チャンドラぁ・・・生きてるぅ?・・・」

 ほとんどベッドのような角度にされたシートに半分沈み込んでいるヨーコが苦しげな呼吸をしながら聞いてくる。柔らかいとはいえ重いものが2つ肺にのしかかっているのだ。ヘルメットには純酸素が供給されているが、肺を動かせなければ呼吸そのものができない。それは苦しいだろう。

「ああ、死んだ方がマシだってくらいには、な」

 チャンドラの方は胸の肉が少ない分ヨーコよりは楽だった。

 計画では初日は人間が、というかヨーコがギリギリ耐えられる範囲の高G加速が16時間時間続くのだ。2日目以降は12時間。これで宇宙船が攻撃されても地球が流れ弾を食らう危険を回避しながら接近できるということになっている。ブラフマーが地球そのものに向けてプラズマを噴射したら地球圏の電子機器のほとんどが焼き切れてしまうことになりかねないが、対策しようがないことは考えないようにするしかない。

『こちら管制室。チャンドラ、ヨーコ。無駄話はよせ。体力の消耗はできるだけ避けるんだ』

(やめろ! 刺激するな)

「うるさい、黙れぇっ」

 ヨーコが吠える。そして荒い呼吸音が続く。

 ブラフマーの陰に入るまでの交信は世界中に生中継されることも計画されてはいたのだが、ヨーコがクルーになった時点でキャンセルされた。賢明な判断だ。

「ヨーコ、ゆっくり深く呼吸するんだ。呼吸が落ち着いたら少しおしゃべりしよう。それから管制室。我々は今、腕も持ち上げられないような加速Gでシートに押しつけられている。トイレに行くこともできないから小便もおむつに垂れ流しだ。というよりも、膀胱が圧迫されているので我慢することもできない。苦しみから目を背けるためのおしゃべりくらいは許して欲しい。オーバー」

『管制室了解。悪かった。オーバー』

「チャンドラ、あなたには悪いけど、あなたがブッダに、見えるわ」

 少しは楽になったらしいヨーコが話かけてくる。

「心配いらない。ヒンドゥー教ではブッダも神様になってる。ヴィシュヌ神の9番目の化身とされてるんだ」

「そう・・・よかった。ありがとう」

(おやおや、ドゥルガーがパールバティーに戻ってしまったぞ)

 パールバティーはシヴァ神の神妃。穏やかで心優しいヒマラヤ神の娘だ。ドゥルガーはパールバティーの化身の1つで美しい戦いの女神。獅子にまたがり、多数の腕に神々から授けられた武器を持って魔物どもを滅ぼす恐ろしい女戦士だ。


 ブースターを次々に分離しながらの加速を終え、ブラフマーに接近する軌道に入っても反応はなかった。すでに地球圏からの送信は停止されて、素数列を発信しているのはヨーコとチャンドラの乗っている宇宙船だけになっている。地球人と同等以上の知性があるならその意図は分かるはずだ。それでもブラフマーは沈黙している。返信はもちろん、照準用のレーダー波やレーザーの類も受信できていない。無視されているとしか思えない。このままではただブラフマーをフライバイして地球に戻るだけということになってしまう。

「応えなさいよ!」

 ヨーコは赤外線画像に切り替えられたモニターの大部分を占めているブラフマーに向かって毒づいている。

「いつまでもシカトしてると目玉焼きにするわよ!」

 この宇宙船に搭載されたレーザー通信装置は元は軍用のレーザー砲だ。遠距離から送信するのには出力が大きい方がいいだろうということでパルス信号を送信できるように、またブラフマーに接近するにつれて出力を自動的に下げていくように改造されているのだが、マニュアルで最大出力に戻すこともできなくはない。ブラフマーがレーザー通信用の受信設備を持っているならそれを焼き切ることもできるかもしれない。

 チャンドラはヨーコの方に顔を向けたまま手探りでコンソールの隅のカバー付きスイッチの位置を確認した。もしもヨーコが完全にドゥルガーに化身するようならこれを押さなければならない。弟や妹たちを守るためなら宇宙の迷子になることも覚悟の上だ。

『ハロー』

 どこかのアナウンサーのような落ち着いたバリトンが聞こえた。

「え?」

 チャンドラではないし、聞き慣れた何人かの管制官の声でもない。

『私はブラフマーだ。君たちが使っている言語の中からもっとも一般的であるらしいものを選んでみたのだが、理解できているかね?』

「FM波だ! 応えろ、ヨーコ!」

 チャンドラが素早く不要な帯域の発信を止める。

「あ・・・ハ、ハロー。私はヨーコ。この宇宙船にはもう一人チャンドラが乗っています。私たちはあなた方が通過しつつある恒星系の第3惑星から来ました」

『知っているよ。太陽系の地球だね。私はしばらくの間、地球の周辺から放射されている電磁波を傍受していたからある程度の知識は持っている』

「それならなぜ呼びかけに応えてくれなかったんですか」

『君たちは君たちのやり方で宇宙へ進出するべきだからだ。しかし、君たちの積極性と化学ロケットの加速力を読み違えたというのは私のミスだ。君たち二人も手ぶらでは帰れないだろうから君たちが帰る時間までおしゃべりをしよう。ただし、私たちがダイソン球型宇宙船を造ったからといって自分たちも、とは思わないでほしい。私たちの恒星系と太陽系は違う。私たちと同じやり方をするのは無理があるだろうから』

「分かりました。でも、すべての地球人がそういう考え方をできるとは保証できませんけど」

『承知している。これは『使用上の注意』みたいなものだよ。従うかどうかは地球人の問題だ』

 会話を続けようとしていたヨーコの左腕をチャンドラが押さえた。

「ブラフマーというのは私たちが勝手に付けた呼び名です。あなたの本当の名前を教えてください」

 チャンドラの問いかけに対する返答は明らかに遅れた。

『・・・・・・今の私には名前がないんだ』

「ええっ?」

『昔、私が私たちだった頃は私たちも名前を持っていたよ。今は一人なんだ。呼びかけることも呼びかけられることもないのなら名前はいらない。だから名前はもうない。それでは話がしにくいというのならブラフマーと呼んでくれればいい』

「他の方たちはどうしたんです? お亡くなりになったんですか?」

『いや・・・困ったな・・・』

「亡くなったんですか」

『・・・これは地球人には言わないでおこうと思っていたんだがね・・・。最初から話をしよう。はるかな昔の私たちの祖先も君たちと同じように肉体を持つ知性体の集団だったんだ。性も2つあった』

「あの・・・その頃のブラフマーさんたちの画像を送ってもらえませんか。声だけだといまいちイメージし難いんです」

『それはお断りだ』

「どうして? 不公平じゃないですか!」

『私が君たちの姿形を知っているのは君たちが地球圏の外へ情報を垂れ流しにしているからだ。私は私の個人情報を大事にしたいと思う』

「うー・・・」

『話を戻すよ。肉体を持っていた頃の私たちの祖先は地球人と違って戦争をしなかったんだ』

「戦争を? どうして! なぜそんな平和な生き方ができたんですか!」

『分からんよ。私の方こそ聞きたい。地球人はなぜ同族同士で殺し合うようなことを何度も繰り返すことができたのか、と。私たちの祖先は協力して共通の敵である捕食者や病原体などを滅ぼしていったんだ。やがて有害な生物はすべて駆逐され、私たちの祖先は肉体が限界を迎えるまで生き続けることが可能になった』

「すごいですね」

『いいことばかりではないよ』

「え?」

『地球人も同じ方向へ向かっているようだが、個体数が惑星の許容限界を超えて増加することが予想されたんだ。出生率が低下して人口増加のペースは落ちていたが、いずれ限界が来ることは明らかだった』

「それでダイソン球を?」

『そうだ。だが、これは君たちが考えたダイソン球とは少し違う。この宇宙船には居住区がないんだ』

「それじゃブラフマーさんはどうやって暮らしているんですか」

『私は信号の集合なんだよ。情報体とか仮想空間内の仮想キャラクターとか言った方が分かりやすいかな。姿形を構築することもできなくはなかったんだが、時間がかかるので呼びかけに応えることを優先したんだ。君たちには時間の制限がありそうだったのでね』

「それは・・・ありがとうございます」

 チャンドラが礼を言う。宇宙船はすでにブラフマーをフライバイする軌道回廊に進入しつつある。コンタクトのための時間は限られているのだ。

『私たちの祖先はダイソン球を建造してもいずれは個体数の増加に耐えられなくなると予想した。そこで私たちの祖先は脳の情報を信号化ししてダイソン球に構築した仮想空間の中で暮らしていけるようにしたんだ。これなら居住区はいらないし、空気もいらない。ただ、惑星に残った肉体派たちがエネルギーを求めて侵攻してくる可能性があったので宇宙へ旅立つことになったがね。私たちの祖先が同族と戦ったことはなかったんだが、肉体派が私たちの祖先を同族ではないと判断する可能性もあったんだ。なにしろ彼らの肉眼で見ることができる存在ではなくなってしまったからね』

「それはどれくらい前のことだったんですか」

『ノーコメント。ヨーコやチャンドラが生まれるずっと前だ、とだけ言っておくよ』

「もう・・・」

『星の海を旅するのは楽しかったようだ。君たちも知っていると思うが、大きな星が死ぬときには大爆発を起こすんだ。その衝撃波によって星間ガスが圧縮されるとそこで恒星が生まれることもある。生物が生まれたらしい惑星も数多く観測されたし、次に観測した時にはそれが死の星になっていたという記録もある』

(何てこった! こりゃあ数千年、数万年の単位で航海してるぞ)

『だが、問題が発生した。人口が減り始めたんだ』

「え? だって仮想空間なんでしょう?」

『仮想空間でも収容人数に限界はあるよ。メモリーの容量による制限とかね。だが、そういうハード面の限界にはまだ余裕がある段階で人口が減り始めた』

「原因は?」

『原因は・・・地球人も子どもを作るよね』

「ええ」

 ヨーコは答を求めるようにチャンドラに目を向けたが、チャンドラに分かるはずもない。

『私たちも容量に余裕があるうちは繁殖してもいいということにしていた。方法は二人分の情報をミックスして新たな情報体を作るというものだ。これだと最初から成体の情報にできるから子育ての手間もかからない。これで人口を増やしていけるはずだった。しかし、人口は減っていった』

「原因は? 対策はできなかったんですか」

「ヨーコ、落ち着け」

 チャンドラがヨーコの左腕を押さえる。

『原因はもとの二人の情報が消去されていたことだった。これは人口が増えすぎた場合に個体の情報の一部を保存しながら人口を減らすための技術だ。容量に余裕がある段階で使うべき技術ではない。地球人で言えば自殺に当たるのかな。この行為はあっという間に流行し、ついには集団で一人の成体を作ってから自分たちの情報を消去することまで行われるようになったんだ。そうして残ったのが私だ。私にはもう一緒に消えてくれるパートナーがいないので消えることができないんだ』

「ブラフマーさんは間違ってます!」

(いかん!)

「落ち着けって」

 だが、ヨーコはチャンドラの手を振り払った。

「ブラフマーさんだけじゃなくって、祖先のみなさんもみんな、最初っから、間違ってます!」

 チャンドラはもう一度ヨーコの腕を捕らえた。

(ドゥルガー神よ、静まりたまえ)

「ヨーコもブラフマーさんも聞いてください。私が育った村はインドの北部の・・・インドは分かりますか?」

『知っているよ。ヒマラヤ山脈の南側の地域だね』

「ええ。インド北部の森の中の小さな村で、家には水牛と犬がいました。いや、犬は飼っていたわけじゃないんだ」

 やっとおとなしくなったヨーコに向かって言う。

「ただ近くに居着いていて、物欲しそうに寄ってきた時だけ食べ物を分けてやるだけで名前も付けてなかった。それくらいの関係だった」

「だった? 今はいないの?」

「虎に食われた」

「え・・・」

「かわいそうだなんて思わないでくれよ。祖母は・・・あ、虎は分かりますか」

『知っているよ。大型のネコ科動物だね』

「ええ。祖母は言ってました。『虎に食べられた者はよりよい者に生まれ変われるのだから悲しんではいけない。それは生まれ変わりを妨げるから』と」

「・・・私は悲しむよ。いいよね。私はチャンドラの家族じゃないんだから」

(怒ったり悲しんだり、忙しい女だな)

「ありがとう。いいよ。犬ももう生まれ変わっていると思うから」

『チャンドラ。私には理解できない部分があるのだが、いくつか質問してもいいだろうか』

「はい、何でしょうか」

(釣れた、かな?)

『地球人の一部は虎を保護しようと言っているよね。それは何故だ? 地球人にも危害を加えるような危険な生物を守ろうとするのは有害で無益ではないのかね?』

「ブラフマーさんの祖先なら虎を滅ぼすでしょうね」

『当然だ。私たちの祖先には知能と団結力があった。まず大型の捕食獣を滅ぼし、病原体を媒介する小型獣を駆逐し、科学の進歩によって単細胞の病原体なども押さえ込んだ』 

「地球人には生態系という考え方があって、多くの生物がいることでバランスが取れていると考えるんです。ですから殺さなくてもいいものたちや殺さない方がいいだろうと思われるものたちは殺さないように努力するんです。最近ではそういう考え方も薄れてきていますけど」

『・・・そうか。もうひとつ、ヨーコの言葉も理解できない。犬は地球人よりも下等な生物だろう?』

「犬は下等じゃありません!」

「抑えろ、ヨーコ」

 チャンドラはヨーコの腕をつかんだ手にもう一度力を入れた。

「ブラフマーさんには地球人の考え方は通用しないんだ」

『気を悪くしたのなら謝るよ。君たちは私とは異なる心を持っているようだから。それでもあえて質問させてもらう。なぜ同族以外の生物の死を悲しむことができるんだ?』

「・・・犬の命も人の命も同じ価値があるから・・・でしょうか。地球人は多かれ少なかれそういう思想を持っているんだと思います。ヨーコは多い目の方ですけど」

「そうかも。子どもの頃は犬や猫と一緒だったし」

「古い時代のインドの修行者は蟻・・・小さな生物たちを踏みつぶさないように下を向いて歩いていたとも言いますから」

『修行時代のブッダの話だね。ブッダについても分からないことがある。ブッダが飢えた虎の親子のために我が身を捧げたという話だ。この行動がなぜ賞賛されるのだろうか?』

「それは・・・」

 チャンドラはヨーコに目を向けたが、ヨーコは視線を外した。

(仏教はおまえの方が詳しいはずだろが!)

「・・・ええと・・・命の価値は人も他の生き物も同じだという思想が根底にあるとすると、1つの命を投げ出すことで複数の命・・・」

『母虎と7匹の子どもたちだ』

「8つの命が救われるのならそれは良いことだ、ということなんだと思います」

『そうか・・・』

「ブラフマーさん、私はあなた方に死にたがる傾向があるのは肉体を捨てたからではないかと思います」

『それはどういうことかな?』

「生まれて、生きて、衰えて死んでいく。これが生き物です。だから生き物は死ぬ前に子孫を残そうとする。死ぬことのない仮想空間内の情報体では生きることはできないんじゃないでしょうか」

『彼らが子孫を残したのは死ぬためだったのか!』

「肉体を持つ生物である私はそう考えます。そこで、私はブラフマーさんに女性を作ることを提案します。ブラフマーさんの情報の中には女性の情報の一部も含まれているはずですから不可能ではないでしょう。それが無理なようなら故郷の星に戻って肉体を持っている人たちの協力を仰ぐこともできるでしょう」

「肉体派の人たちがいなくなってたら地球人のデータを使ってもいいよね」

「えっ。それは・・・肖像権とか著作権とかの侵害になるんじゃ・・・」

「いいじゃない。減るもんじゃないし、ブラフマーさんには二度と会えないかもしれないんだから」

「そうかあ? ええと、女性ができたら次は赤ちゃんを作るんです。子孫を、最初から一人前じゃなくて一人では生きられない弱い生物として作ってそれを育てるんです。何人かの子どもたちが一人前になったら意識的に仮想的肉体の機能を衰えさせて死んでいけば、仮想空間内でも本当の生き物らしく生きることができるようになると思うんです」

『・・・それは面白そうだ』

「猫を飼ったりするのもいいですよ」

『猫? それは地球人に寄生することもある小型の虎のような動物のことかね?』

「猫は寄生しません!」

「地球人は猫が側にいることで精神的な利益を得るんです。これは共生と言っていい状態だと思います。他にも犬や植物を好む人たちもいます」

『他の生物が側にいた方がいい、ということかね?』

「そうですそうです」

『私たちの祖先ならばそういうものは無駄だと考えて切り捨てると思うんだが・・・』

「猫が膝の上に乗ってきて丸くなってくれたりするとそれだけで幸せな気持ちになれますよ」

『ほう・・・』

 ヨーコは猫の魅力について熱く語り始めた。呼んでも来ないことも、レポートをまとめている時にキーボードの上で横になるのも「いい」のだと。猫の次は犬で、その次はハムスター、ウサギ・・・・・・。どうもたくさんの愛玩動物と暮らしてきたらしい。ブラフマーは時折質問を挟みながらそれを聞いている。

 チャンドラは二人の会話を聞きながらタイマーを気にしていた。すでにブラフマーとの最接近ポイントを過ぎてブラフマーの表面との距離はだいぶ開いてきている。地球への帰還軌道に乗る時も近いのだ。それなのにペットの話などしていていいのか、とは思うのだが、二人の会話に割って入るタイミングがつかめない。

『そろそろ君たちは地球へ帰る時間だね』

 ブラフマーの方から会話を打ち切ってくれた。

『私は仮想空間をもう一度作り直してみよう。何千万年か後、君たちの子孫と出会うこともあるかもしれない。その時はお互いの家族やペットについて語り合おう。ボンボヤージュ。オーバー』

 前方モニターにはすでに太陽が映し出されていた。その周辺にある小さな光点の1つが地球のはずだ。

 

「----最後にブラフマーはこう言ってくれました」

 額に汗を浮かべたチャンドラはカメラに向かってスピーチしていた。すべての地球人に向けたスピーチとなるとさすがにコマンダーの役目だ。隣のシートのヨーコは面白そうにチャンドラを見ているだけである。

「何千万年か後、君たちの子孫と出会うこともあるかもしれない、と。これは何を意味するのでしょうか?・・・実は地球が太陽の周りを公転しているように、太陽系もまた銀河系の中で楕円軌道を描いているのです。その周期は2億2500万年から2億5000万年と言われています。ブラフマーもまた公転しているとすればいつかまた出会うこともあるでしょう。みなさん、私たち地球人には新たな目標ができました。再びブラフマーに出会う時までに地球人はよりよいものになっていなければなりません。それ以前に滅びることもできません。もう地球人同士で争うことはやめましょう。お互いに手を取って、よりよいものを目指して歩き出しましょう。・・・第一報はここまでにさせていただきます。この後、二人で宇宙食の食べ放題パーティをする予定ですので。ではまた」

 スイッチを切り替えたチャンドラが大きく息を吐くと、隣のヨーコがパチパチと手を叩いた。

「カッコ良かったわよ、チャンドラ」

「ほんとかい?」

「もちろん。好感度1ランク、ううん、2ランクアップ」

「そうかあ・・・。じゃあランクが下がらないうちにもう一歩踏み出しちまおうかなあ」

 チャンドラはシートベルトを緩めると宇宙服ごとヨーコの方に向いた。

「ヨーコ、結婚してくれないか。何千万年か後の地球人類のために」

 目を見開いたヨーコは頬を真っ赤にすると視線を外した。

「はい・・・・・・」 

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