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瞬きをしたら、面倒くさそうなものが見えた気がして、目を閉じる。
「きみね、このタイミングで狸寝入りするつもりなら、僕としても、怒るしかないよ?」
「……先生……」
しょうがないので、目を開く。
「なんでこんなところにいるんですか」
「ほう、そういうこと言う?」
「だって、ここ……東京から何キロあると思って……どこだ、ここ」
「おめでとう、東京ですよ」
「え?」
「きみね、急性アルコール中毒、大学生ぐらいしかやらないやつね、馬鹿ね」
「……す、すいません」
「酒に謝れ」
「ごめんなさい」
先生が本気で怒っているのが分かったので、本気で謝った。
「え、……と、私は、いつから、寝ていて」
「ナースコール押すね」
「いや、ちょっと、先生」
「ちゃんとしたお医者さんから説明してもらって、怒鳴られて。僕の説教は、その後」
「え、ええ……?」
先生はナースコールを押して、先生を呼んだ後に、その不満そうな顔をこちらに向けた。それから、その手を私の額に伸ばす。ぺん、と軽く叩かれる。痛みはない。
「ばか」
「……、ご、めん、なさい」
「僕を泣かせないで」
「泣いたんですか?」
「泣きそうだった」
「泣いてないじゃないですか」
「今すぐ泣いてやろうか?還暦間際の独身男性の涙を、受け止められるの?」
「むりです、すいませんでした」
ぺん、と、もう一度私を額を殴って、先生が、少し、目を細めた。あ、笑っている。そう分かって、つい、こちらも笑ってしまった。先生が笑ってくれると、嬉しかった。それは、先生が、私の尊敬する人だからだ。だから、あの職場は楽しかった。
「……もう、帰ってこれるでしょ」
「え?」
「帰ってきなさいね」
「……でも」
「いいね?」
「……はい」
「あと、次、僕を痴話げんかに巻き込んだら、もう、ふたりして東京湾に沈めるから」
「えっ」
「へちまでぐるぐるにして沈めるから」
「浮いちゃいますね、それ、多分」
がらり、と扉が開き、見知らぬ人が入ってきた。白衣だから、お医者さんだろう。その人は私を見て、困ったように眉を下げて「ああ、もう、やっとお目覚めですね」と笑った。その言葉で、ああ、そうか、夢が終わったのか、と思った。それがひどく寂しい気がして、何の夢を見ていたかもよく思い出せないのに、途方もなく寂しくて、「あ」と声が出た。その自分の声が泣いていると気が付いて、「ああ」とこぼれた声は、もう、泣き声だった。
「空くん?」
先生の困ったような、戸惑ったような声が聞こえたけれど、もう、止めることはできなかった。




