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「なら」

 とても近くで、雷が落ちる。一瞬で、世界が、明るく、包まれる。炎が、全てを照らしていく。

「向き合わねばいけない」

 そこに、俺の空落ち様がいた。

「己が心と」











 この世界の輪郭はいつも不安定にゆらめく。

 私たちが単体で存在できないためともいえるし、空落ち様が世界をめぐるためともいえる。私たちは研究と称し、その輪郭を常に探している。どこまでが私たちが生きられて、どこから、私たちは生きられなくなるのか。実験と称した実地調査を繰り返しながら、私たちは世界の果てを観察し続ける。それが、空落ちの研究だ。

 ここ数年、世界の境界は安定していた。安定、といっても、変化がない、という意味ではない。

 少しずつ、闇が世界を狭めてきていた。落ちるように、その重い闇が、地と天をつなぎ、境界が近くなっていた。

「先生、あの場所、光っていませんか?」

 その言葉は、若き王子の言葉だ。彼はその世界を縮める境界の隙間を見ていた。たしかに、そこには、小さな光の穴があった。我々がもっと小さければ、あの先に入り、その先で生きて行けたかもしれない。そう思える、光だった。

「あの先には何があるのでしょう」

「……さあ」

「……あの先に、俺の空落ちはいるのだろうか」

 彼はずっと、それだけを待っていた。そのために空落ちを学び、そのために、この世界の境をさまよっていた。彼は、美しい瞳で、いつも、その世界の狭間を見つけていた。それは、とても素晴らしい才だった。それでも、私たちの努力は実りを得ないまま、じわじわと、世界は縮み始めていた。闇が、肥大し、迫ってきていたのだ。

「止められないのでしょうか」

「根本的に、闇を止められる術は、私たちにはない」

「何故です、先生」

「あの闇は、私たちから生まれるものだから」

「……俺たちから?」

「ええ。ですから、止められるとすれば、空落ちのみ」

「空落ち」

「世界を救うなんて、きっと、……次の王の空落ちですよ」

 彼は、私の言葉に、少しつらそうに笑った。

「……俺は、きっと、王にはなれない。その前に、この闇の一部になってしまう」

「いいえ、王子、きっと、あなたの空落ちが、私たちを救う」

 もしくは、滅ぼすか。

 どちらにしろ、その空落ちは世界の境界を、闇を、変えるものになるだろう。

「先生、俺は、……分かっているんです」

「何を?」

「俺の元に来る空落ちはきっと、……俺を愛してくれる……」

「愛、ですか?」

「だって、俺はもう、愛している」

 闇に呼応するように、彼もまた、病んでいた。それでも、彼は待っていた。


「かえってきてくれた」


 そうして、彼女は、あの人の形をした、空落ちは、落ちてきた。

 彼は砂漠で飢えてさまよっていた幽鬼のように、その甘露に縋った。そうなることは、私も分かっていた。それを、その空落ちは、ただ、受け止めた。拒絶するような素振りこそあれど、彼女は、ただ、受け入れ、その飢えた心に言葉を与えた。もしかしたら、彼女は、ただ、彼を救うために現れたのかもしれない、と期待した。

 しかし、彼女は違う。やはり、彼女は、そんなことのためには、ここにはいない。

「……王よ、殺すべきとは、分かっていますね?」

「ああ」

 馬車の中で、彼女の胸から、闇が零れ落ちた。

「生かすのですね」

「無論」

 王は、その闇を飲んだ。だから、こうなることも予測はできた。

 そうして、彼女は今、闇を生み出したのだ。目の前に、この世界の境界線がある。深く、重く、広がっていく、闇。外にあったはずのものが、内にあらわれ、そうして城を、この世界の中心を覆ってしまった。まるで、世界の穴だ。穴の中に、城はとりこまれてしまった。

「どういうことだ、これは!」

「王は何をしている!!」

 ひとつ息をはく。

「世議会は騒ぐだけが仕事ですか……」

 ヘドロのような闇は城を覆いつくしている。避難してきた世議会たちは、わあわあ、と騒ぐくせに、王を連れて逃げてはこなかったらしい。もちろん、空落ち様もいない。そもそも、この中心は彼らだろうから、まあ、仕方がないだろう。

「闇を産む空落ちと、闇を飲んだ王か」

 そんなもの、今まであったことはない。それが何を生むのかは、研究者にも分からない。何故なら、今、ここが、初めてだからだ。だったら、私こそが、見なければならない。研究者として、彼らの先生として、そうして、空落ちに所有される身として、……ここまで生きてきた、老人として。

「呪われた身の上のものが王宮に入ったためだ!」

 などと騒ぎ始めているので、世議会は無視することにする。

 この城の玉座は、全ての始まりだ。あの場所に座ることができる者は、王しかおらずそうして、今、王はこの闇の中にいる。

「手間のかかるおふたりだ」

 玉座の間に行くまでに、私の体がもつかどうかは、微妙なところだ。しかし、怖くはない。

「炎よ」

 私の美しい空落ち。死んでしまっていても、消えてしまっていても、私があの者を忘れることはない。それは、私の記憶のすべてに宿っている。だから、私の空落ちは、消えることはないのだ。私が生きている限り、いつでも、炎は私のそばにある。

 指先から火があがり、私を温めていく。

「最後まで、つき合ってくれ」

 そうして私は、騒ぐ民たちに背を向けて、闇に、足を踏み入れた。




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