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「ん?」
「これよ、これ」
「ばかだなっははっ」
「あははっひどい」
「んー、ああ、でも、そうか」
「ね?」
「あははっくっだらねえ」
「でしょ?あははっ」
全てが闇に包まれれば、壁も床も、天井も何もなくなった。
自分の手もなく、足もない。ただ、歩いていかねばいけない、という意識だけが、俺を、俺と認識させてくれる。それでも、本当に俺がここいにるのか、という不安が付きまとう。これが、闇。それでも、あの方がこの中を迷っているならば、俺が、見つけなくてはいけない。
その、想いだけで、闇の中を、ただ、歩く。
「そらおちさま」
口から落ちた自分の声で、そうだ、と気が付く。
「空落ち様」
ひとつ、また言葉を紡げば、そうだ、と分かる。
「俺の、あなた様」
言葉にすれば、他には何もない、と分かる。
「どこにいらっしゃるのですか」
それでも、この中では、自分の手も足もない。先もなく、後ろもない。これは、ただの闇だ。化物の胃の中を歩いているような錯覚さえ覚える。歩いているという感覚だけはある。しかし、踏んでいるものは、闇。前に進んでいるのか、後ろに進んでいるのか、のぼっているのか、沈んでいるのか、それさえ、曖昧になっていく。
「……燃えている?」
どこからか、煙の臭いがする。
ただの煙の匂いではない。それは、死の、匂いだ。どこかで、何かが、燃えている。肉が焼けるような匂いではない。様々なものが、ゆっくりと燃えていく、悪臭。鼻をおさえても、目や、喉が、焼けていく。闇の中に、煙が充満している。
「くさい……」
気持ちが、悪い。
「分からないのか、何が燃えているのか」
背後から、声が、した。その声を、忘れるはずはない。それは俺の前に、この世界の中心に座っていたものだ。常に冷静で、常に正しく、常に王であった男。昨日、死んだはずの男だ。
「新しき王よ」
父の声だ。
「お前が殺した者が燃えている」
「……俺が、誰を殺した、と言うのだ」
闇を切り裂くような、高い、鳥の声が背後から、頭上に流れていく。それを見上げると、そこに、月があった。今まで、底に月があることになんて気が付かなかった。闇の中に、ぽっかりと、それは浮かんでいる。触れば剥がれそうなぐらい、偽物のように、大きな月が、俺を見降ろしている。
そこに、影が見える。
「再来を、あなたが殺した」
遠く、雷が、落ちる、音。
「ふざけるな!」
あの方が、首を吊っている、その、影が、見える。
「俺が、空落ち様を殺すわけがない!よくもっそんなことが言える!!」
「それはお前の願いだ」
「願いではない!事実だ!」
「お前が見るものこそが事実だ」
音がする。これは、足音だ。何かが、近づいてくる。
「お前は見なければならない」
「俺が見るのは空落ち様だけだ!」
「ならば、お前は、痛みを負わねばならない」
「構わない!あの方につながるものならば!」
もう、この胸は、切り裂かれたように、痛んでいる。あの方を失うなど、耐えらえない。分かっている。『俺はそのことをよく分かっている』。なのに、どうして、あの方が、今、俺のそばにいないのか。
「それが、死でもか」
雷が、遠くで鳴り響いている。
「……雨だ」
ふと、頬に当たっている水が、雨だと、気が付く。追って、雨音が響く。ざあ、ずあうあああ、だあええおん。雨が降っている。その雨が、ひどく気持ちがいい。見上げれば、月が、ただ、冷え冷えと、そこにある。俺を見降ろしている。あの方を探す俺を、ただ、遠くから、見つめている。
「お前の死は、世界の死を意味する、王よ」
仕方がない、と思った。ならば、『世界が終わるのは仕方がない』と、ただ、思った。
「何故、そこまで、思う」
父の声がする。それは、父の声をとっているだけで、父が話しているわけではない、と分かる。これは、俺の声だ。
「これは、俺の愛だ」
言葉にすれば、そうだと、分かる。もう、どうしようもない。
「俺が狂っているなら、それでいい。仕方ない。俺はあの方を愛している」
あの方が俺を望まなくとも、俺を拒もうと、俺を憎もうと、関係がない。俺はあの方についていくと決めた。決めてしまった。だからもう、どうしようもない
「その思いが相手を追い詰めて、死に至らせても?」
「愛とは、いくら振り払っても、腹の底から沸き立つ、終わりもない。どうしようもないものだ」
雨が降っている。これは、俺の涙だ。
「ならば、あの方が俺から逃れられぬように、追い詰めよう。優しくしているだけでは、あの方は死んでしまうのだろう?」
遠く雷が聞こえる。これは、俺の怒りだ。
「必ず、この手で生かしてみせる。俺の、空落ち様だ。俺は、あの方の向日葵だ」
月が、俺を見下ろしている。それは、俺の、願いだ。
「それが、俺のすべて。世界が俺のものだというなら、それが世界だ!」




