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 馬車に乗り込んだところで、俺の腕の中、空落ち様はまた眠りにつかれた。その顔色はあまりよろしくない……つまり、悪い。その細い体を寝かせ、膝の上にその頭を置く。その額に手を当てると、熱はない。けれど、その浅い息、少し速い心拍、体調が悪くなる兆候だ。

「王よ、空落ち様は睡眠が足りていらっしゃらないのでは?」

「……子どもの頃に」

「あなたは今も子どもでしょう」

「空落ち様と添い寝しているという同級生の言葉が羨ましかった」

「……、あなたという子は……」

「やっと、手に入れたんだ。俺の空落ち様だ。片時も離れずに、そばにいたいのは、当然だろう」

 俺の言葉に、先生は目を伏せた。

「……あなた様の空落ち様に対する思いは、少し、憧憬が強過ぎるようにも」

「この方は俺の理想などつまらぬと、遥か上をいかれる」

 人の形をした空落ちが来るなど考えたこともない。俺の執着に似た、蛇のようなものが落ちてくると考えたことはあったけれど。王になることなど考えたこともない。さけ、などというもののことなど、無論、考えたこともない。この方は、俺の想像におさまらない。

 俺の全く知らないもの。俺の空落ち様。俺を広げ、育て、生かしてくれる、異界を旅してきた俺の片割れだ。

「やっと、何にも噛みつかずに生きていける……それも、俺の神様が、俺を赦してくれたからだ。俺の今まで抱え込んできた傷も、鎧も、痛みも、すべて、あのとき、報われた。もういいんだ。だから、やっと、心から、ただ、愛せる相手がいるんだ。こんなに幸福なことはない」

 その白い頬を指先で撫でてから、その黒い髪を手で梳く。指から逃げていく髪の感触が、ただただ、愉快だ。こんなに美しい形のものを、今まで見たことがない。これから先も見ることはない。この方が唯一で、絶対だ。

「あなたのその思いは、空落ちに向けるべきもの、ではない。自覚はあるでしょう?」

 見れば、予想を裏切り、先生は咎めるような顔はしていなかった。どこか困ったように、笑っている。

「あなたは、まだ、空落ちに隠し事をしている」

「……この方の、この白い指が触れるものは、幸せだけでいい。他の全ては俺の腹で飼う」

「……王よ、民はそれでもあなたについていくのです」 

「好きに担がれよう。所詮、ただの若造だ。骨の髄まで使い果たせばいい。魂だけ、この方のものであれば、どんな扱いをされても構わない」

「ならば、あなたは、学者になった方がよかった。科学はあなたを使い果たしただろう。あなたの才を、他にはない、才を」

 先生を見ると、優しい、いつもの笑顔だった。

「ありがたい、言葉ですね、先生……俺が一番欲しかった言葉だ」

「今更ですね、……もっと早く言っておけばよかった」

「いや、……いや、本当に、嬉しいですよ、先生……ありがとうございます」

 俺の膝の上で眠る空落ち様の髪を梳いて、それでもやはり今更だ、と思ったが、口には出さなかった。この方が来る前と後では、こんなにも世界が違ってしまった。それまでの俺の夢など、すべて、死んだのだ。





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