弟王子と姉姫
宰相は軽く目を伏せました。
これから魔女が話すのは、この国が歩んだ…王となった弟王子の怨嗟が生んだ道なのです。
哀しく妬みや欲にまみれた物語なのに、魔女の口から告がれる言葉は光の粒となり、弾けて闇に舞う金の波のようでありました。
―日など昇るのだろうか。
王の心は裏切りと愛する者たちの死で冷え切っていることを知る宰相の頭にふとそんな考えがよぎりました。
「婚前に一度お会いした姉姫様と、成り代わった妹姫様の様子にはあまりにも大きな違いがあり、新王様は不信を募らせていたのです。そこで私は新王様を少し手助けしようと思いました。」
『手助け…?』
「新王様の御心に目標があった方が良いと思ったのです。
我が国の皇子を排除するためにも彼の力は必要でした。言わば投資です。」
「指輪型の呪具を一つ作りまして、”問いに対して嘘をつく者を石に変える”ということ、
”婚礼時に富んでいた精霊鳥が、新王様が求めるものをもたらすが、いずれかの一座が連れ去った”
ということをしたため、新王様がご覧になれるようにしたのです。」
魔術師も精霊鳥の行方を追っていたのだから、要は利用されたに過ぎません。
詭弁だ―と思っても、鶏の姿ではどうすることも出来ません。
これはどの重鎮も初耳だったらしく、一斉に魔王の方を見ました。
何故宴に毎回旅芸人を呼び、石に変えて来たのか、暴挙の理由が呑み込めたのでした。
魔王は右手の中指に嵌めた指輪を一瞥しました。
10年前の公務中、突然蝋燭の火が踊って魔術師の言った内容を綴り、その後炎はこの指輪へと姿を変えたのでした。
十中八九罠であろうが、どうしても確認したいことがあった魔王はその指輪を嵌め、妃に使って真偽を確かめたのでした。
以降は旅の楽団を招待して、”精霊鳥を連れた一座の情報があれば高値で買い取る”と耳打ちし、正直に”情報が無い”と言えば無事に帰れ、偽情報で儲けようとすれば石になり…を繰り返して魔王と呼ばれるようになったのです。
『なんてことを…。それだけのために多くの人を。』
「元々王の御前で報酬を騙し取ろうとしたのですから打ち首は当然ですがね。」
魔術師は涼しく言ってのけましたが、精霊鳥―姉姫は自分(と妹)が招いた惨状に心を痛めました。
『この呪いを解いて頂戴! 早く!』
すると魔術師は急に萎れて
「そうして差し上げたいのは山々ですが、私は呪いを掛ける専門家で、呪いを解くのは専門外なのです。」
と言ったのです。
『では私は…死ぬまでこのままということ?』
姉姫は鳥になったのは魔術によるものだとは思ってましたが、術を掛けた当人が解くことが出来ないとは思っても見ませんでした。
魔術師は申し訳なさそうに解熱に使う薬草を1本差し出しました。
「これを咥えて南方に向かって下さい。細い川を超えると朱塗りの壁の家があるはずです。私が幼少の頃、魔術の基本を教えて下さった先生が住んでいます。この薬草を見れば私の手に余る問題があったと分かるようになっていますから。」
魔術師は精霊鳥を窓の方へ伴いました。
『あなたは…親切なのかそうでないのか良く分からない人ですね。』
魔術師は寂しげに笑い
「私は自分の望みに正直なだけです。自分に力が及ぶ色んな人に手を差し伸べたいのです。自分の力で時が動くことを証明したいのです。」
と言って姉姫を送り出しました。
「―そして朱塗りの壁の家…灰色の魔女の元へと辿り着きました。魔女はその精霊鳥が人であることをすぐ見抜きましたが、元弟子の魔術師の技術が魔女の実力を上回ってしまっていたため、夜の間だけ人に戻すのがやっとでした。」
おもむろに魔王は立ち上がり、魔女の方へと歩み寄ります。
「あなたがその灰色の魔女なのか? 彼女はあなたの家にいるのか?」
縋るような眼差しで魔王は問い詰めます。
「いえ、私はあの魔術師の師ではありませんし、朱塗りの家にもおりません。」
意気消沈した魔王を宰相は引き上げ玉座に戻します。
「姉姫は人の姿になれる夜の間だけ、魔女から学んで人の姿を取る術、そして呪いを破る方法を身につけていきました。また薬草学と自然魔術を修め、白の魔術だけでなく灰色の魔術も体得したのです。」
魔女の周りを漂う言葉の波が彼女を包んでいき、肌の色が、髪の色が、鼻の形が変わっていきます。
「あ…ああ…。」
魔王は震える手を伸ばしました。
「本来の姿を取り戻すのに長い時間がかかりました。」
魔王の手を取ったのは灰色のローブを纏った姉姫でした。
そして魔王の中指に嵌っていた指輪が粉々に砕け散りました。
「あの魔術師に唆されたとは言え、なんてことをしたのですか。」
姉姫は再会で喜ぶ魔王―弟王子を咎めます。
「私は…軍人として育てられて、兄上やあなたに比べると遥かに政に疎いのに、兄上や父上が殺された時に何も出来ず…。心に出来た洞を埋めるてくれるのが精霊鳥なのだと思っていたのです。」
「石にした呪いは私が解けます。しかし償いはあなたがしなければいけません。」
弟王子は悲し気に微笑みました。
「ええ、そのつもりです。」
「ですがこれからは私がそばにいますから。」
一緒に国を盛り立てようとしてそこから再び出会うまで10年以上掛かってしまいましたが、ようやく巡り合うことが出来ました。
2人はよく協力し合い、問題点を改善していき、出来る範囲で森と山の国も西の国も平和で穏やかな国に築き上げていきました。
石にした人達も戻して謝罪し、時間をかけて民衆の誤解を解いていきました。
一方、妹姫は寒さの厳しい峡谷の教会へと送られました。
姉姫の暗殺を実行したとなると罪を軽くすることは出来ず、幽閉となったのです。
5年経ったある日、姉姫の書き物机の上に解熱用の薬草が置かれていました。
「これは…。」
王妃となった姉姫は顔をほころばせました。
皇国で新たな皇王となった魔術師からのささやかな贈り物でしょう。
皇国とは本日和平が結ばれます。