対向車
夜の山道を運転していた。
最終バスも行ってしまった時刻では、数十分の道程でもすれ違う車はなかった。
だがここに来て、一台だけ車のライトが見えた。
前方。山肌のカーブに沿って、ライトの方向がゆっくりとぶれながら、こちらに近づいてくる。
すれ違う時、内側を走る黒い車にちらりと視線をやった。
男が運転席、女が後部座席にいる。
同じ年頃の男女なのに、隣に座らないのを奇異に感じた。
直線に入りスピードを上げた。
あの車が気になり、もう見えないだろうがバックミラーを覗く。
別のものが映っていた。
この車の後部座席に、先程の車の女がいた。
ぞっとして、気づかないふりしてそのまま車を走らせる。
(どうしよう)
夜中でも他に人がいる場所となると、あと二十分はかかる。
助手席に置いた鞄には携帯が入っている。
(手を、伸ばさないと……)
ガチガチにハンドルを握った手に、細い指先が触れた。
息がとまるほど驚き、急ブレーキを踏んでしまった。
手を振り払うと、そこには誰もいない。
すぐにここから離れようとアクセルを踏むが、車が動かない。あの女に車が操られていると思った。
思わず外に飛び出した。
出たにしても、ここは山を切り崩した車道。崖のような山肌に、鬱蒼とした木々が張りつき、車のライトの他は、ガードレールと白線が暗闇に延びるだけだ。
強い力が頭と肩を掴んだ。
ガードレールへぶつかるように押しつけられる。
「やめろッ!」
ガードレールの先は崖。
(落とされる……!)
叫びながら必死で押し返そうとした。
だが、ふっと押してくる力が抜けた。
「え……」
なぜ、と思う前に、目に入ったものに意識を奪われた。
車道より少し下。
高い木の枝に引っかかった、人の体。
力なく折れぶら下がった姿は、生きているようには見えない。
あの女と同じ服だ。
その時、車のエンジン音とタイヤのこする音がした。
人が来たと、すがるような気持ちで振り向いた。
黒い車が、私の車の後ろに止まる。
「助け……」
先程、女が載っていた車だと気づいた。
ドアが開き、男が出てきた。
その手にはバットが握られていた。
慌てて自分の車に飛び込んだ。
ドンッとバットで車体を叩かれたが、車は発進できた。
あの男もあの女もまともじゃない――!
後ろから照らされるライト。あの男が車で追ってくる。
右側に男の車が飛び出したかと思うと、側面を叩きつけてきた。
衝撃で尻がシートから浮き上がった。
ガリガリと鈍い音と高い音が同時に鳴る異常。
この車がガードレールをこすっている。
(崖に突き落とされる――)
内側に戻ろうとするが、押し返せない。
さらにまた強い衝撃が加えられた。
右のライトが消える。壊されたのだろう。
愕然とした。
ガードレールが故意の衝撃にいつまでも耐えられるとは思えない。ガードレールの途切れている場所だってある。
(殺される……)
だが急に、車が道路の内側に戻った。切り続けていたハンドルの方向に動けたのだ。
ガリガリと鳴る音は続いているが、その音は遠く、この車に衝撃はない。
サイドミラーで後ろを見ると、男が単独でガードレールにぶつかっている。
(どうして)
まるで、ガードレールを私の車と思っているようだ。
おかしい。男の車のライトもフロントガラスも壊れていないのに。
「――……」
男の車は、ガードレールの途切れた場所に吸いこまれていった。
後方で鳴る轟音。
カーブ一つ向こうで止まり、備え付けのライトを取り出した。
谷に落ちた鉄の塊を見つけ、警察に通報した。
車の中で、崖を登ってくる人がいないか、後部座席に人が座っていないか、ひたすら目を配りながら、警官が来るのを待った。
警察には色々調べられたが、車体の傷やタイヤの跡と照らし合わせ、私の証言に問題はないと判断された。
死体の女と男の身元が分かった。
女はその日友達との約束の時間に現れず、男はその約束の場所近くで職務質問を受けたことがあるらしい。
私とは無関係だったため、すぐにこの事件から解放された。
<対抗車 終>