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2.パンと牛乳と相談

 ユーグは新・ご主人様探しに出た。騎士の恰好で──濃紺のマントに磨き上げられた銀色の甲冑、腰に差した亡き父の形見でもある剣──行く当てもないまま生ける屍のごとくふらふらと屋敷を出発し、気が付けば屋敷からほど近い王都に来ていた。


 王都・セントジャッジ。人口10万人程の王国最大都市である。

 政治・経済・文化の中心地であり、この国の王が座する城がそびえ立つ王国の心臓だ。そしてその国王が今やユーグの仇に近い存在になってしまった。


 なぜ、どうして、リュカ様の家を取り潰したのか。そのことによって路頭に迷う人たちもいることを国王様は知らないのか。現に今、このユーグ・ダルシアクは就職先を探しているんだぞ!と国王に文句でも言ってやりたいところだが、それは夢のまた夢だ。


 昼下がりに綺麗な石畳で舗装された賑やかな商店街を鬱々と歩いていると、店の窓に映る自分がふと目に入った。唯一自慢できる金色の髪はボサボサで、碧眼はくすんでいる。目の下のクマもひどい。まるで不審者だ。救いなのは恰好で自分の身分を証明出来ていることぐらいだろうか。


 ここでユーグははたと足を止めた。


 確かに今セントジャッジの商店街の一角にいる。しかし、どうやってここまで来たのかをよく覚えていない。恐らく無意識のうちに馬車を拾い、行き先をセントジャッジと告げ、言われるがままに馬車代を払い、とぼとぼと歩いたのだろう。

 頭の片隅でセントジャッジへ行けば新しい仕え先の情報を手に入れられるかもしれないと判断し、動いたはずである。藁にもすがる思いである現状では正しい判断と言えるが、ユーグはショックのあまり思考回路がふにゃふにゃでぼーっと脳みそでこの判断を下したことを後悔していた。

 馬車代は決して安くはない。所持金がすっからかんになり、ほぼ布切れ1枚と化した財布を取り出すと、ユーグは深いため息をついた。


 ユーグは財産という財産を持ち合わせていなかった。生家である一軒家は父が亡くなった時に兄が勝手に売り払ってしまったし、父の遺産は兄が夜逃げした時にほとんど持ち出してしまった。結果としてユーグはマルラン家の一室を借りて居候するはめになり、手元にあるのは甲冑と形見の剣とわずかばかりの金貨だった。

 兄に頼って当分の間生活をすることも考えたが如何いかんせん、ユーグは兄の行方を知らない。


 そもそも兄がなぜ反旗を翻すように家を売ったり、夜逃げをしたのかすらわからなかった。絵に描いたような優等生で騎士の素質も抜群であった兄は先代当主であるセザールのお気に入りで、騎士としては順風満帆な生活を送っていたのだ。ユーグの父が病死した直後に兄が姿を消したことを知ったセザールの悲しみは深いものだった。


 ユーグはもちろん兄のことが好きであったし、自分とは違い剣術に秀でていた兄を尊敬していた。とても弟を1人にして置いていく兄とは思えなかったが、ユーグは兄の本当の姿を知らなかっただけかもしれない。


 父はいなくなり、兄も消え、主人も仕事もお金もないユーグはまさに今どん底である。


 だからこそなるべくお金をかけずに事を進めたかったのだが、使ったお金は戻らない。とはいえうじうじしていても仕方がないので、馬車を使っただけ体力が温存されたとポジティブに捉えることにした。正確に言うとそう捉えないとやっていられなかった。


 期待せずに財布を逆さに振ると、銀貨が1枚手のひらに落ちてきた。この銀貨1枚で生活をしなければいけないわけだが、到底無理があった。


「銀貨1枚かあ……。今日のご飯代で消えるなあ」


 ぽつりとこぼれたつぶやきは街の喧騒に消えていく。


 とりあえず食事を摂らねば力が出ない。なにをする前にもとにかく、食べ物を胃に入れることにした。今夜の寝床は野宿で確定だ。食べ物を手にしたら職業案内所に行って騎士を探している人がいないか尋ねることにした。


 王都は物価が高いとよく聞いていたが、その通りだった。マルラン家が治めていたローランという小都市と比べると1.5倍ほど違う。パン屋や八百屋の軒先に並べられているものをのぞいてみても、安くてローランの1.2倍はするものばかりだった。


 計算が狂うなあ、とユーグは頭を掻いた。セントジャッジで銀貨一枚で買えるものはといえば、堅パン1個に廃棄寸前で特別価格になっている小さな牛乳1瓶ぐらいしかない。廃棄寸前のパンも探してみたが、残念ながら見当たらなかった。セール品になっているものもない。


 パンなんて自分で作ったほうが美味しいけど、とパン屋の横の路地裏でしゃがみこみながら堅パンをかじった。


 騎士として必要かどうかと問われれば必要のないスキルではあるが、ユーグの特技はパン作りだった。貴族であるセザールやリュカにも太鼓判を押されるほどであったので、そんじょそこらのパン屋よりは美味しいものが作れる自信はある。なにが悲しくて高い割には美味しくないパンを頬張らなければいけないのか、とユーグはむしゃくしゃした。


 もくもくと堅パンを咀嚼し、牛乳で流し込む。空になった牛乳瓶をパン屋の瓶返却箱に入れ、その足で職業案内所へ向かった。


「──えーっと、お名前はユーグ・ダルシアクさん。前職業は新人騎士、と……。今回も騎士としてのお仕事を探しているということでお間違いないですか?」

「はい。お願いします」


 初めて足を踏み入れた職業案内所はパンと牛乳を買った商店街から徒歩で15分ほどのところにある、木造2階建ての素朴な施設だった。中には受付と用件毎のカウンターがあり、壁には求人広告で埋め尽くされている掲示板が備え付けられていた。カウンターに座って対応している職員は20人だったが、20人では対応しきれないほどの人々が仕事を求めて施設内で溢れ返っている。


 とはいえほとんどの人が掲示板に用事があるようで、ごった返しているのは掲示板の前が主だった。掲示板には無い専門職や高難易度の仕事を紹介するのがカウンター職員の役目らしい。


 ユーグの騎士職探しを担当してくれることになったのは眼鏡をかけた賢そうな若い女性で、名前をマチルダ・グラネといった。一期一会かもしれないが、話を聞いてくれるだけありがたい。


 マチルダは手元にある求人票をパラパラとめくっていったが、その表情は芳しくなかった。ユーグは不安になりながらも結果を待つしかない。


 しばらくしてマチルダは顔を上げた。


「残念ですが、今はダルシアクさんの条件に合う求人が無いようです。念のためセントジャッジ近郊の都市でも調べてみましたが、ございませんでした」


 申し訳なさそうにマチルダの口から放たれた言葉にユーグは大ダメージを受けた。


 騎士を求めている人が、いない。


「ひとつも、ない……ですか……?」

「ダルシアクさんの職歴を考慮するとございません。騎士の求人そのものは2件ありますが、どちらも中堅以上の騎士が条件なのでご紹介できかねます。お力になれず申し訳ございません」

「はあ……。そう、ですか……」


 新人騎士に用はない。


 それがユーグに突きつけられた現実だった。


 酷な結果を受け入れざるを得ないユーグは見るからに意気消沈し、頭を垂れた。本格的に魂が抜けたような顔になったユーグにマチルダはつい、慌てて言葉を付け足した。


「ローランからいらっしゃったということでしたので、金銭的な問題ですとか宿に困っているのであれば日雇いのお仕事や住み込みでのお仕事でしたらご紹介できますが、いかがですか?」

「……んですよ」

「えっ?」

「それじゃ意味が無いんですよ。僕は忠誠を誓わせてくれる方を探しているんです。騎士として僕を必要としてくれる方を」


 力なくもはっきりと理想を語るユーグにマチルダはなにも言えなかった。というよりは今の状態ではなにを言っても無駄だと感じた。どんな助言をしたところで上滑りするだけだ。


「わかりました。また気が向いたらこちらへいらしてください。お待ちしていますので」


 ユーグはのろのろと立ち上がると、「ありがとうございました」と辛うじて聞き取れる声量で言った。このままだと後ろにぶっ倒れそうに力がないユーグを見てマチルダは純粋に心配になった。その時、マチルダの脳裏に近頃セントジャッジを賑やかしている嫌な出来事が思い浮かんだ。


「最後に忠告してもよろしいでしょうか」


 まさに出口へ向かおうとしていたユーグは歩みを止めると、ゆっくり振り返った。


「最近セントジャッジでは詐欺や人攫いが横行しています。夜間の外出時にはお気を付けくださいね」

「わかりました。ありがとうございます」


 ぺこりと弱々しくお辞儀をしたユーグを見て本当にわかっているのか不安しか残らなかったマチルダだったが、すぐに次の相談者が来てしまい、ユーグのことは頭から消えていった。

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