『三好元長の最期』
さあ、ある意味、プロロ~グはこれで終わりです。
儂、三好長慶は、今さらながらに思う、細川晴元は最悪の主君だったと。
管領細川晴元は、家臣を犬だと思っているようである。
従うのが当然の存在だと……
自分自身が将軍という主の存在を蔑ろにしているくせに、馬鹿な奴である。
享禄4年(1531年)
『大物崩れ』とも呼ばれる、天王寺合戦を細川晴元側が制した。
天王寺から尼崎に敗走した細川高国は、町屋に潜んでいたところを密告され、広徳寺で自害させられた。
細川晴元が実権を握った為、政局は安定すると皆が期待した。
束の間の平和が訪れるかに思われた。
まあ、滅亡の危機を救ってもらった細川晴元であったが、のど元過ぎれば何とやら……。
赤松の寝返りが一番の要因ではあるが、戦いを主導したのは三好元長であった。
そのために、晴元は面白くないのであろう。
父の功績を疎んでしまうところが、人の上に立つ器では無いことを露呈させる。
代わりに河内の守護代、木沢長政をひきだす始末である。
京の都を警備していたのに、味方の敗戦の報告に驚き、あっさり逃げ去ってしまった。
あの、木沢長政である。
「類は友を呼ぶと云うべきか、バカは馬鹿とつるむのであろうか?」
儂が嘆息をするまでもなく、父.元長も怒っていた。
と云うわけで……、只今、三好元長と木沢長政とが絶賛対立中というわけである。
負け犬の木沢長政が、必死に晴元に取りいっているらしい。
千熊丸に言わせると、「馬鹿と阿保」だそうだ。
漢字で答えるとは、偉いぞ!
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飯盛城の戦い
束の間の平和は、脆くも崩れさるさだめであった。
細川高国を討滅させたという大きな軍功を挙げていた三好元長と、”華麗なる負け犬”木沢長政の対立が、さらに新たな戦乱を引き起こそうとしていた。
対立の発端は、河内を巡る主権争いというか、守護代の木沢長政が守護の畠山義堯(義宣)から守護職を奪い獲ろうとした企てが発覚したことにある。
享禄4年(1531年)8月、事の真相を知り怒りをあらわにした義堯は兵を挙げた。
三好元長の一族、三好勝宗(三好一秀)に援軍を頼んで木沢長政の飯盛山城を攻めた。
が、長政からの援軍要請を受けた細川晴元によって撤兵命令を下されたのである。
三好勝宗は、しかたなく一旦兵を収めている。
”ふつう、体制側が下克上を認めるか?”
なぜか、わけの判らない騒動は、管領細川家がらみである。
”晴元は馬鹿だ、見限ろう” 皆がそう思うのも当然であった。
翌、享禄5年(1532年)5月、ふたたび態勢を整えた畠山義堯と勝宗は飯盛山城を攻めた。
畠山は三好元長にも増援を要請し、”義の武将”の元長はそれに応じている。
一方の長政も、再び晴元に援軍を要請した。
ところが、今回は畠山・三好連合軍の攻囲を解かせるには至らなかった。
非が、木沢側にあるのだ、当然である。
そこで、自身での対応を諦めた晴元は、あろうことか山科本願寺の法主証如光教に『一揆軍の蜂起』を要請したのであった。
三好元長が肩入れする法華宗への本願寺のライバル意識を巧みに利用したのである。
”農民の一向宗”と”町人の法華宗”は、もともと仲が大変悪いのである。
もしかすると、『法華宗を推す三好元長が、”一向宗を迫害する”』とでも吹き込んだのかも知れない。
17歳になった証如は、祖父の実如の遺言であった「諸国の武士を敵とせず」という禁を破って、同年6月5日に山科本願寺から大坂に移動、摂津・河内・和泉の本願寺門徒に動員をかけた。
これに応じた門徒は、総勢3万人に及ぶ大軍だったと言われている。
6月15日
飯盛山城の攻囲軍を背後から襲った一揆軍は、畠山・三好勢を粉砕した。
畠山義堯・三好元長・三好勝宗という大物を討ち漏らしたものの、200余人も討ち取り、退却する畠山・三好勢を執拗に追撃した。
一揆勢は、なおもその勢いは止まらなかった。
6月20日
三好元長・足利義維・畠山義堯・三好勝宗達が逃げ込んだ『堺』における三好の拠点、法華宗本門流.和泉顕本寺を取り囲んだ。
和泉顕本寺秦荘防御を強化されていたが、数万の兵には無力であった。
元長達は最期まで抵抗し、和泉顕本寺は炎に包まれ灰燼に帰した。
大規模火災で、周辺の民家までもが炎上した。
辛くも脱出した、寺の僧の話によれば……。
元長の手勢100人余りが、主君を守り討ち死にしたという事である。
敗北を悟った三好元長が自害した時、足利義維も後を追い自害したらしい。
自害した足利義維付きの侍8人もまた主に殉じた。
猛烈な炎で骨の欠片が残るのみであった。
堺の町衆は、一向宗の圧力に恐怖した。
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一揆の軍勢を巧みに利用した細川晴元が元長に勝利し、木沢長政も命を拾った。
とは云え、全ての手柄は本願寺にあった。
勝利に酔いしれる門徒衆は、法主証如光教の命令にすら従わない暴徒と化してゆく。
一揆軍には各地より続々と新たな門徒が集結したため、10万人にまで膨れ上がったとも伝わっている。
摂津、河内、和泉、大和の一向一揆衆10万余は、光教の制止を振り切り、細川晴元、木沢長政に鉾先を向けるのであった。
『本願寺が天下を取る 本願寺が将軍や朝廷に成り代わる 極楽浄土をこの世にもたらそう!』
「「「なむあみだぶつ」」」
本願寺の一揆衆は、畿内一円に拡がった。
細川勝元の危ない火遊びは、大火となってしまった。
蜂起を収束させない、本願寺一向一揆軍の暴走が、『本願寺の天下』を求め暴走する……。
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― 淡路、洲本 ―
儂は、淡路にて久秀の報告を受けていた。
顕本寺には、予め秘密の抜け穴を作らせておいた。
別に長いものは要らない。
抜け穴の出口の場所に一向宗に紛れさせた味方を予め配置しておいただけである。
10万の軍勢だ、身なりさえそれらしくしておけば、誰が敵かなんか判るもんか。
「とりあえず、無事脱出できたことだけは確認しておりますが、なにぶん一揆勢が多すぎて身動きがとれないようです」
そう久秀が報告する。
有り難い、もしかすると親父は逃げないかも、と儂はやきもきしていた。
「無事ならばそれで良い、ご苦労だった。 してあちらの方は?」
「ははっ予定通りかと思われます」
「そうか、ありがとう」
さあ、これからは儂の出番だ。
晴元め、思い知るが良いわ……。
次回から、長慶が暗躍いたします。
自重なき戦いが始まります。




