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『長慶の死、千熊丸の誕生』


 誰も、名前しか知らない、『 三好長慶 』


『どマイナーな、天下人』って、いかがなものでしょうか?


三好長慶みよしながよし


 有職読みにて、”ちょうけい”と云った方が皆様方には幾分通りが良いでありましょうか?

藤原定家ていか信長しんちょう公記と云うように、音読みにするのが、有職読みの一例であります。


 これからお話しをする『戦国時代』を含む明治以前は、本名の事をいみなと呼び、他人が諱で呼ぶことを避ける習慣がありました。


つまり、『忌み名』です。

親や主君などにのみに許され、他の人は代わりとして輩行名や百官名などの仮名で呼ぶ場合が多かったのであります。

織田信長を呼ぶ時に……「のぶながさま~」と、呼ぶのは、完全にアウトと云うことですね。   (潔く、切腹してください!!)


 ですが、輩行名の”三郎”とか上総の介という”仮名”は、判りづらい場合も多々ございます。

一族で何番目だなんて判りにくいですし、姓が同じなら皆が同じです。

仮名も自称が多すぎて、判りません。 どこぞで使われる 『社長さん!』 みたいなものです。



そこで名前(諱)を、あえて音読みにしたりしました。それが有職読みです。


無意識に『ちょうけい』と呼ぶのは、皆さん意外としっかりと礼儀正しく有職を守っているということです。

 (これもまあ、彼が天下人であった証拠でしょうか?)



それでは、”早過ぎた天下人、三好長慶の物語”をはじめてゆきましょう。





~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~




― 飯盛山城 ―



三好長慶は、死の床にあった。

逞しかった身体は、枯れ木のようにやせ衰えてしまっている。今や、しとねに仰臥しているだけである。

かつては人々を魅了した、その瞳にももはや力が籠もってはいなかった。

心中は、後悔の念でいっぱいであった。




ああ、儂も ”夢半ば” で死ぬのか……


思えばいくつもの失敗を重ねてしまった、あれさえなければと云うことのくり返しである。

つらかったことなど正直思い出したくもない、ああ、儂に『楽しい時代』というモノはあったであろうか……。

幼き頃は良かった……。


 これまでのことが、走馬燈のように鮮明に甦ってゆく……

自分でも呆れるぐらいに克明に過去が甦ってくる。


「ちちうえ……」


父に守られ、何者にもおびやかされなかった幼き日々……。 父の背中は、たしかに大きかった。


「あの頃に、帰りたいのう……」





永禄 七年 七月


長慶は、静かに息を引き取った。享年四十三歳

病に苦しみながらも、その死に顔は安らかであったという。




《彼の死を以て、戦国の世は さらにその熱量を増してゆくのでありました。》





~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~




『千熊丸誕生』




― 三好元長の館 ―



大永2年(1522年)2月13日 昼過ぎのことです。


阿波国三好郡芝生にある. 三好元長さまの屋敷は、慌ただしいながらも 喜びの気配が漂っていました。



「おぎゃあ~おぎゃあ~」


「お方様! 男の子ですっ」


三好元長さまに、ご長男がお生まれになりました。



―お妙の方―


産湯を済ませ、やわらかな産着を着せられた、愛おしい我が子を胸に抱きました。


「おお、よしよし」


殿方の戦が 『戦場での鎗働き』であるならば、おんなの戦は 『出産』でしょう。


壮絶な生みの苦しみを味わいお妙の方は、そう思った


「本当に、死ぬかと思うほどの苦しみでしたわ……」


 よい子を授かるようにと”吉野の川”に願をかけた甲斐があり、生まれたのは元気な男の子でした。


長男を産むというのが、正妻に科せられた最大の仕事つとめです。

ですが、ひと仕事終えた安堵感よりも 我が子への愛おしさが先に立つのは、わたくしが母親になったゆえでしょうか?



 お妙は生まれたばかりの幼子を胸に抱き、乳を含ませ母親としての幸せをかみしめていた。


 周りでは、侍女や下女達が慌ただしく産湯を片付け、部屋をしつらえ直している最中のようです。

おんなの戦場いくさばである産屋には、殿方は不要でありました。



 ならば、外でそわそわと待っているのかと云うとそうでもないようでして……。

父親である三好元長さまは今、戦働きにでているのでございました。


《今は戦国の世、生と死が密接に隣り合っている時代であります。》




 三好家は、細川家に代々仕える阿波の国人であります。

夫である『三好元長』は、武人として阿波を纏めるために戦場にいるのであります。


「早く帰ってきて下さいね」 心の内で、そっと呟くお妙の方であった……。



 妙の想いが通じたのでしょうか、それとも総領息子の誕生の知らせのおかげなのか、元長さまはずいぶんと早く帰って来られました。



「たえぇ~、男か、男の子か? おお、でかした~!」 


慌ただしく着替えを済ませ、”ドスドス”と音を立てながら、館のあるじが奥へと入って来られます。

武人とは云え、名門細川家に仕える彼らしくない慌てぶりでありましょう。


「ふふふ、殿、少し落ち着いてくださいまし」


「これが待っていられようか、ささ、早う、はよう見せい!」


「殿、ささどうぞ、若君にございます」

乳母が、元長にややこを披露いたしました。


「お~よい子じゃ!」

不器用に我が子をあやす元長


はじめて父親を見ても泣かずに微笑む我が子は、端から見ていても愛らしかった。


「利口な子じゃ、ちゃんと儂が父と判っとるようじゃ」


「ほんに左様で」


「おお、そうじゃ名前を付けねばの、うむ、そうじゃ千熊丸じゃな!」


「せんくままるですか?」


「そうじゃ、たとえ千頭の熊であっても怖れぬということで、千熊丸じゃ!」


「「ほほほ、それは末頼もしい!」」


「そうじゃろう」


阿波は三好の里に、久しぶりの笑顔が巻き起こっていました。

細川高国に破れ、阿波に逼塞して以来どこか暗かった家中でしたが、ひさしぶりに明るい光景が戻ったのでありました。




 今だ、細川高国の天下は続いています。

元長は、自らが擁立している細川澄元の遺児六郎(後の晴元)と共に逼塞しているところです。


 しかし、跡継ぎがうまれたことで、若い元長にも父親の自覚が出てきているみたいです。

跡継ぎである千熊丸を授かり、ずいぶんと人間的にも成長した様子であります。

当主としての威厳も備わってきたようでして、周りの皆も『なにかが変わるのでは』と期待しているみたいでした。




 赤児の成長は早いです。みるみるうちに、すくすくと成長してゆきます。

三好家として一応乳母を付けてはいますが、若君さまは母親であるお妙の方の手で育てられ、愛情をいっぱい受けておられました。


千熊丸さまが部屋中を這いずり回るころには、皆も赤児の扱いに慣れた様子です。

掴まり立ちをしようと懸命に頑張る若君の姿は、一本気な父親にどこか似ているのでしょう。


「やはり親子ですわね」


我が子の成長を見詰めながら、お妙は幸せをかみしめておられるようでした。




 子供の成長は、思っているいじょうに早いです。

千熊丸さまは片言を話しだしたかと思えば、もう元気に駆け回るようになっていきました。

将来の三好家を背負って立つご長男が元気に育っているということは、それだけで嬉しいお話です。



父親の元長さまも、息子の成長に負けじとばかりに精力的に活動していったのでした。



まだ、阿波の国で 羽ばたくときを待っておられる間のお話しです。





 皆さんは『天下人』と言われて、誰を思い出しますか?


古いシステムを、完膚無きまでにぶち壊した、” 魔王 ”信長さまですか?


それとも、荒くれ者さえ手懐けた、”人たらし ”の太閤秀吉でしょうか?


もしかして、ぼけっと見ていた、”ぽっちゃりさん ”の家康くんなのかな?


誰も、名前しか知らない、『三好長慶』


『どマイナーな、天下人』に、光を当てる作品です。


長慶さまのお母さまは、館の南の吉野川の瀬に立って『天下の英雄の出生』の大願をかけたといわれております。



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