バレない嘘をついてよ
その日は朝から浮かれていた。
楽しくて、全てが輝いて見えるようだった。
先日、落ち込んで龍司を呼び出した際に、心配した龍司が食事にでも
行きませんかと誘ってくれたのだ。
そして、今日がその約束の日。
久しぶりに龍司と一緒の時間を過ごせる。
それだけで嬉しかった。
どの服を着ようかとクローゼットに作り付けの鏡の前で悩む。
床には合わせては違うと投げ捨てた服の山。
このワンピースにはこのバック、でも、合わせた靴が気に入らない。
このスカートにはこのシャツ、でも、合わせたバックが気に入らない。
そんな感じで軽く一時間以上は悩んでいて漸く、気に入った組合わせ
が見つかった。
準備が整ったのは約束の時間の少し前。
龍司からの連絡が入るはずの携帯をジッと見つめる。
その時だった、聞き慣れたメロディが奏でられたのは。
ジッと待っていたのだろうと悟られたくなくて、ワザと深呼吸を一つ
して電話に出る。
「龍司?」
「奈美さん」
携帯越しの声でさえ、愛しい。
その声を聞いただけで胸がふんわりと温かくなっていく。
「申し訳ありません。
今夜は行けなくなりました」
でも、その喜びの分だけ傷は深くなる。
「えっ・・・」
感じていた温もりの分だけグサリと棘が突き刺さる。
「こちらからお誘いしておいて申し訳ないんですが、抗争の火種に
なりそうな事態が起きまして、俺が収拾に当たらないと収まり
そうにないんです。
本当に申し訳ありません、奈美さん」
龍司の言葉はただ頭の中を通り抜けていくだけで意味を成さない。
それだけでもショックだったのに。
「ねぇ~、龍司、電話なんていいから付き合いなさいよぉ」
少しくぐもっていて、でも、はっきりと聞こえた龍司以外の声。
甘えるようにねっとりとした色気を過剰に乗せた声。
「解っていますよ、六条の姐さん。
もう少しだけ待って下さい」
咄嗟に携帯を抑えて発したのであろう龍司の声は遠かった。
しかし、抑えきれないその声があの甘い声の主を奈美に教えた。
六条の姐さん。
奈美の父親が組長として仕切る流黎会が傘下として連なる水明会の
中でも、流黎会と並ぶ1、2の力を持つ六条会。
六条の姐さんとはその六条会を仕切る組長の女だ。
そして、龍司を気に入っていると噂のある女。
その女が龍司のすぐそばにいる。
携帯を持つ手が震える。
龍司のついた嘘にも、龍司のそばにいる女の存在にも傷つく。
でも、素直に泣くことも出来なくて。
震える唇で奈美は龍司と同じ様に嘘をつく。
「いいの、気にしないで・・・。
食事は香野と行くわ」
何も気にしていない、何も傷ついていない。
何も気付いていない。
必死に平静を装う。
「香野・・・・奈美さっ」
でも、それが限界だった。
だから、携帯から聞こえてくる龍司の声を無視して切る。
それ以上、何も聞きたくなどなかった。
「馬鹿みたい・・・こんなにオシャレなんかして」
ずっと悩んで、やっと決めた服も無駄になった。
約束を楽しみにしてウキウキしていた心も無駄になった。
全てが嫌になりそうになる。
でも、この数時間をあんな嘘に、あんな女に無駄にされるのだけは
嫌だった。
だから、あの咄嗟についた嘘を真実にしよう。
「香野?お願いがあるの」
忙しい龍司に代わってお世話係になった香野。
奈美の電話の相手は彼だった。
「どうしました?奈美お嬢さん」
歳が近く、穏やかな雰囲気を持つ香野を奈美はそれなりに気に入って
いた。
それに、ある程度、大人になってからお世話係になった香野には
龍司ほどに甘えてはいないが、数少ない友人の代わりのように
時々ではあるが話し相手になって貰っていた。
だから、こんな、どうしようもない夜に同じ時間を過ごす相手として
相応しいのだ。
龍司はそんな友人のような気安い関係を築いている香野を嫌っている
ようだったが、龍司によって破られた約束を埋めるには調度いい。
「一緒に食事に行ってくれるかしら?」
「喜んで」
一人になると泣いてしまいそうで、長い夜を埋める為に奈美は新たな
約束を取り付けた。
穏やかな笑顔で、決して奈美を傷つけない男と。