だって不安が消えない
暗いままの部屋の中でジッと座りこんでいた。
暗闇に怯える子どものように震えながら。
ガチャリとドアノブが回る音が聞こえた。
そして、ゆっくりとリビングへと向かって来る足音。
その足音の主を奈美は知っていた。
「奈美さん」
リビングのドアを開け、座りこんでいる奈美を伺うように屈んでいる
のは龍司だった。
「どうしました?
こんなに暗くしたままで」
困ったように笑いながら龍司は奈美に尋ねる。
奈美は答えなかった。
それを予想していたのか、龍司は黙ったまま、リビングの明かりを
点けていった。
暗闇が取り払われても無言のまま座りこんでいる奈美を横に龍司は
慣れた手つきでキッチンで飲み物の用意を始めた。
奈美のもとに甘い香りが漂い始めた頃に、龍司は奈美のお気に入りの
マグカップにミルクティーを淹れ戻って来た。
そして、床に座りこんだままの奈美を抱き上げ、ソファに座らせると
その手にマグカップを手渡した。
奈美はフーと息を吹きかけ、コクリと一口、ミルクティーを口に含む。
その瞬間に口に広がるほんのりとした甘みに思わずホッと息を吐いた。
「美味しいわ・・・」
流石にずっと奈美を見続けていただけあった。
龍司は奈美が求めているものを何よりも良く解っていた。
それが嬉しくて、辛い。
幼い頃は、ああやって拗ねていたら抱き上げて抱き締めてくれた。
でも、今は抱き上げてくれても龍司はソファの向かい側に座っている。
その距離が辛い。
「どうして、そこに座るの?」
「奈美さん?」
「龍司には解らないの?
何故、私が龍司を呼んだか、解らないの?」
その距離を縮める為に我が儘を言うしかない。
それが怖い。
いつの日か、龍司に愛想を尽かされるのではないかと怖い。
でも、止められない。
「寂しいの、寂しくて怖かった。
だから、もっと近くに来て・・・」
恋人でもないのにこんなことを強請るなんて鬱陶しいだろう。
解っているけれど、止められない。
もっと、もっとと求める心を止められない。
「解りました、奈美さん」
龍司は奈美の言葉に驚くこともなく、立ち上がると奈美の隣のそっと
座った。
そして、奈美がギュッと握り締めたままの手に自分の手をそっと
添える。
触れた龍司の温もりに涙が零れそうだった。
「龍司、ごめんね、ありがとう」
涙交じりの声でそう告げると龍司の胸元へと抱き締められた。
「いいえ、礼なんて不要です。
当たり前のことをしているまでですから」
抱き締められて嬉しいのに、大切にされていると思えるのに、
奈美は苦しかった。
抱き締められている胸元から漂うのは嗅ぎ慣れた龍司の香り。
でも、それだけではなかった。
微かに残る甘い香り。
「俺にはお嬢さんだけが大切な人ですから」
その言葉が嬉しくて、信じたいのに信じられない。
甘い香りが邪魔をする。
「本当に?」
「えぇ、本当です」
「信じるわ。
私にも龍司だけなんだから。
だから、裏切らないで・・・」
「勿論です、この命を賭けて誓います」
囁かれる甘い言葉に心が揺らぐ。
奈美にはその腕の温かさも、その言葉の甘さも捨て去る事は出来ない。
だから、ただ甘えてしまう。
心に一点の曇りのように巣食う甘い香りの不安だけを残して。