知らなければ良かった
切られた電話を畳むとジャケットを手にドアに向かう。
「なっ、何処に行くの?」
女が肌も露わな姿で追いかけてくるが返事をする気にもならない。
伸ばされようとしている手が鬱陶しくて振り払う。
「きゃっ、待って、待ってよ、龍司」
女は溜まったものを吐き出すだけの道具だ。
正直、名前さえ覚えていない。
けれど、何度か繰り返された欲望処理が勘違いさせたらしい。
「いつ、名前を呼んでいいと言った?」
「ひっ」
女の細い、少し力を込めれば砕けてしまいそうな頤を掴みあげる。
さっきまでの甘えるような媚を含んだ表情が恐怖に歪む。
「勘違いするな、馬鹿が。
もう二度とその面を俺の前に見せるな」
自分の立場をわきまえずに欲張る者は目障りだ。
ガタガタを震えだした女を残して俺はホテルの部屋を出た。
去り際にすすり泣く声が聞こえたが気にもならない。
もともとあの女は欲望の捌け口ともう一つの役目があっただけだ。
でも、それも果たされた。
既に用済みだ。
ジャケットを羽織ると甘い香水の香りが鼻につく。
女という性を前面に意識させる香り。
そう、これがあの捨て去った女のもう一つの役目。
ククッと笑みが零れる。
突然切られた携帯電話。
あの娘はどんなに傷ついたのだろうか?
泣いているだろうか?
それでも、誰も頼る者が無く部屋で一人、蹲っているのだろうか?
ゾクゾクと興奮が駆け抜けていく。
先程まで味わっていたあの女を相手の処理など目に無いぐらいの興奮。
あの娘が俺だけを思い、俺だけを欲しがって流している涙。
それだけであの娘は俺に最高の快感を味わせてくれる。
最初はホンの小さな好意だった。
何にも持たない、誰もいない俺に一心に向けられた幼い瞳。
その瞳に答えてやろうと気まぐれに構う内に囚われた。
次第に頼られることが喜びになっていく。
多分、その時はまだ親愛の情だった。
それがいつ頃だったか、欲望を伴った愛情に変わった。
組の人間に彼女の姿を見せるのも面白くない。
楽しげに話すクラスメイトも気に入らない。
たまに顔を見せる父親に甘える姿も気に入らない。
彼女の世界には俺だけが入ればいい。
気付いた時には俺は彼女を堕とす為だけに動いていた。
自分の心が沈んだ暗い深淵に彼女を堕としてしまいたかった。
俺だけを信じるように、俺だけを見るように、俺だけを愛するように。
彼女を囲みこんで逃げられないようにする。
もう、準備は整った。
彼女はもうすぐ堕ちて来る。
この感情に気付かなければ、この感情が恋情だと知らなければ彼女は
苦しまずに、他の男と相応の恋に落ちていたのかも知れない。
でも、俺は気付いてしまった。
この思いに。
だから、俺は彼女を捕らえる。
罠を仕掛け、逃がさない。
「今、行きますよ、奈美さん」
その呟く名前さえ甘い。
一瞬で甘く狂おしい官能の世界に落とされるほどに。