他の誰かと笑わないで
物心がついた時にはもう、そばにいるのが当たり前になっていた。
振り返ればそこにいて、その視線が逸らされることは無い。
空気のように当たり前で、必要な存在。
龍司は奈美にとって奈美だけの為に存在しているものだった。
それが違うのだと気が付いたのはいつ頃だっただろうか。
奈美が成長するにつれ、元々、人一倍出来が良かった龍司は組の中で
も頭角を現していった。
単なる組長の娘の世話係が組でも一、二を争う稼ぎ頭になったのだ。
いつもそばにいてくれたはずなのに、気がつけば遠くなっていた。
それでも、龍司は忙しい中、時間を割いて奈美のそばにいてくれた。
奈美が寂しいと龍司を呼べば、何事を置いても奈美を優先した。
だからこそ、龍司は奈美にとって無くてはならない存在のままでいれたのだ。
奈美は龍司に執着していた。
父親は組の仕事が忙しく、プレゼントは山のように贈ってはくれるが
本人が手渡してくれることなど滅多になかった。
母親はそんな父親を盲目的に愛していて、娘よりも愛する父親のそばに
いることを選ぶ人だった。
勿論、愛されていないわけではないことは奈美自身が良く解っていた。
ただ両親の愛情表現の仕方が不器用なだけだったのだ。
そのことが解る歳になるまで龍司に依存し続け、成長した奈美は龍司から
離れることなど出来なくなっていた。
そして、気付いたのだ。
龍司に対する思いは単なる執着でもなく、家族愛でもないと。
奈美の胸に目覚めたのは盲目的な恋であると。
自身の思いに気付くと奈美は苦しんだ。
10も歳の離れている龍司は既に大人の男だ。
それなりの付き合いもしているし、奈美も気付いていた。
呼びつけた龍司から時折、甘い香りがしていることもあった。
思わせぶりな傷が首筋に浮かんでいることもあった。
こういう職業だ。
女がいることは当たり前だ。
中には複数の女を囲っている男だっている。
頭では解っていても、心は納得はしない。
その葛藤が尚一層、奈美を傷つけていく。
一人の夜、寂しさに耐え切れなくなって携帯を開く。
直ぐに表示するのはいつもの番号。
ボタンを押す手に躊躇いはない。
でも、内心は怖いのだ。
電話越しに誰かの声が聞こえたらと。
龍司が自分以外の誰かに微笑んでいたらと。
でも、奈美は龍司に頼ることを止められない。
「どうしました、奈美さん」
数コールすると聞こえてくる声。
いつもと変わらない龍司の声に奈美は安堵する。
「ねぇ、誰からなの?」
けれど、その安堵は呆気なく消え去ってしまった。
電話越しに聞こえてきた甘えるような声のせいで。
奈美はその声を聞いた瞬間に衝動的に電話を切っていた。
そして、携帯を部屋の床へと叩きつける。
ガシャと鈍い、壊れるような音がした。
「嫌、嫌よ、龍司・・・」
泣き崩れる奈美の足元では壊れた携帯が無残に転がっていた。
まるで今の奈美のように。
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