七十三、あなたも誰かに似ている
誰もが誰かに似ている。
だから分かる事ができるだろう。
誰もが自分以外になれはしない。
それを孤独と呼ぶのだろう。
「力は渡せない。私は日南とは違う…!」
木立が苦しげに言った。
「まぁどっちだっていいさ。今のままで十分戦えるしな」
華夜は、木立の拒絶に何の不満もなさそうにそう答える。手に入らなくても何の問題もないという素振りで。
「今のままじゃ死ぬぞ…華夜…」
「木立、俺はこれ以上無駄話をする気はないよ。お前と俺の利害は一致しない」
その言葉とともに、今まで木立だけに注がれていた華夜の視線がふいにフユを掠めた。
何かを含んだその視線に、フユの心臓がどきりと跳ねる。一秒に満たないその視線はすぐに木立へ戻り、華夜は言葉を続ける。
「お前もたぶん彼岸の使いには向かないな。詩月や桜と同じだ」
フユの脳裏に詩月の顔がよぎる。砂都とのテトリスに嫌気がさして部屋を出た時、すれ違い様に目に入った表情。頼んでもいないのに、自分のために心を痛めたような眼差しを感じた。あの目は確かに、彼岸の使いに向かなさそうな感傷を湛えていた。だからこそ余計にやりきれなくなったのだ。詩月だけじゃない。乱火も、朝凪も。同情や共感や憐憫が、あのときあの部屋にあって、それがフユにとってどうしようもなく息苦しかったのだ。
逃げ出したいほどに。
華夜は詩月や桜と言った。フユがまだ知らない桜という彼岸の使いにも、華夜は同じ何かを感じているのだろう。そして木立にも。
華夜は木立の肩をひと撫でして、そのまま木立に背を向けた。そしてもう話は終わったという風にフユを目で促す。華夜の背中を簡単に取れるこの状況で、木立は何も言わず顔を伏せていた。立ち去ろうとする華夜とフユを止めようとはしない。
木立に取っての絶望がそこにあるのだろうとフユは思う。
日南の仇を討てない絶望。
彼岸の世界より華夜を愛してしまった絶望。
華夜に必要とされない絶望。華夜を止められない絶望。
いずれ華夜を失うであろう未来への絶望。
その痛みをフユは思った。それに似た痛みを知っていると思った。
ー彼岸も人間も大して変わらない。
いつか乱火が口にした、そんな台詞。
何も変わらない。
彼岸の為に心を痛める人間がいて、人間の為に心を痛める彼岸がいる。
その現実が存在する。その意味を教え合う時間があったなら。
けれど、この世界と彼岸の世界はもう解けないくらいに拗れ過ぎてしまったのだということを、フユはよく知っていた。許し合う為には人が死にすぎた。そしてもしかしたら、彼岸の使いも死にすぎているのかもしれなかった。
「なあ。これでいいのか」
フユは華夜に問う。華夜の背を追って、元来た道を戻りながら。
「なにが」
この黒髪の、黒い目の、華夜の読み解けない表情の奥にある何かに向かって。
「人間なんだろ、お前…」
ああ、と華夜が請け負う。肯定というより、そういえばそんな事もあったなという程度の乾いた声だった。フユが続ける。
「彼岸が見える人間て、俺以外にもいたんだな。お前も…」
「もう人間じゃないし、人間に戻る気もないな」
華夜にはフユと傷を舐め合うような飯事を演じるつもりはないらしかった。どうでもいいと言いたげな冷ややかな目がフユを見ている。
「なんで…」
「なんで?お前だって一度は彼岸を壊そうと思っただろ?」
いちいちそんなこと聞くなという顔をして、華夜が答える。実際「なんで」なんて、下らなすぎる質問だった。それはフユにも覚えのある動機で、確認するのも馬鹿らしい回答だった。
人命を侵す彼岸に、抗いを。
人の側からすれば、ある意味正当性がありすぎる理由。当然フユが抱いた理由でもあり、今まさに捨てようとしている理由だった。そしてそこに内在する感情を知っているフユには、どうしても否定することのできない理由。
それが華夜の前で鮮やかすぎるほど、美しく燃えていた。恐らく華夜の生来の性質も相まって、彼は永遠に剣を取る事を選んだのだろう。
たとえその剣が彼岸のものだとしても、それが華夜もろともを破滅させていく呪縛であったとしても、今のフユがその呪縛の外側にいるとしても。
華夜とフユが限りなく似ていて、けれど決定的に違うとしても。
「だけど俺は、もう…」
フユがそんな煮え切らない声を出しても、華夜には動揺もないようだった。
「ああ、だからお前に任せようと思ったんだ」
高低差のない淡々とした態度。
「一緒に死なれちゃ意味ないしな」
「それ、どういう…」
「迎えが来たぜ」
フユがはっと前方を見ると、かなり遠くから砂都が駆け寄ってくる姿が見えた。
「フユ」
華夜が低く呼ぶ。高圧的で、命令的で、それでいて共犯者に向ける危うい親しさを含んだ低さで。
「俺との約束、忘れるなよ」