七十一、狂気の引き金
「日南の力の弱点は、ずっと一緒にいた私が一番良く知ってる。日南の力で貴様のような単独戦法は無理があるんだ」
木立が苦い顔をして華夜を窘める。
断片的に明らかになる事実にフユは思考を巡らす。華夜は『人間』。そして華夜が日南の力を『奪った』。
華夜という人間が彼岸から力を奪った。フユが乱火から力を奪ったように。つまり華夜も『彼岸が見えていた人間』だった。
かつて華夜も、果てない命の狩りを成す術もなくただ見ていたのだ。
華夜もフユと同じように彼岸の滅亡を願い、日南という彼岸の使いから力を奪った。そして、そのまま彼は何らかの方法で彼岸に入り込んだ。
「もう潮時だよ。早くこの戦いから手を引け、華夜」
木立の訴えでは華夜の心は動かない。
「手を引け?」
華夜は笑う。馬鹿馬鹿しいとでも言うように。
「華夜、いい加減気付いているだろう!私と日南が常に共にいた理由に…!私達は互いに欠落した力を補う事で戦えていた!それなのに日南の力だけで、…あんなに危うい力で…」
「別にいいだろ。戦うのは俺だ。日南じゃない」
華夜の切り返しは、冷淡で取りつく島もない。
たとえその力が脆くとも、傷付くのは華夜であって日南ではない。何が不満だと華夜の視線が木立を射る。
「良くない…日南の力だけで戦うなんて危険だって言ってるんだ」
「木立。お前が俺の事をどうとも思ってないのなら、それだってどうだっていいはずだ。日南の仇って意味じゃ、俺が死ぬのはむしろ喜ばしいくらいだろ」
そう言った、涼しげな華夜の横顔をフユは見る。フユには華夜の黒の髪と黒の瞳が、やけに鮮烈に見えた。
フユと同じ孤独と葛藤を生きた男が、まるで日常の一部とでも言わんばかりの軽さで死という言葉を使う。それが何よりも華夜の心を物語っているようだった。華夜は彼岸の世界に馴染んで感情を鈍化させることもなく、彼岸を敵と見做したままその覚悟を濁らせる事もなかったのだろう。
華夜は単身彼岸に乗り込んで、今人ならざる人となっても彼岸の敵であり続ける事を願った。
その意志の強さが眩しい。
フユが乱火に情を持ったようには、華夜の心は揺れなかった。
ー彼岸の力の譲渡には、渡す側の自発的な意志が必要だ。
乱火の力を受け取り、そして返したフユは、それを身をもって知っている。
ーつまり華夜が日南をたらし込んで力の譲渡が成立したってことだ。
華夜は日南の恋心を利用した。華夜と木立の話の流れからして、その辺りが妥当なところだろうとフユは思う。日南は華夜が人間だと知っていて、そして華夜が彼岸と戦える力を欲していると理解した上で差し出した。彼岸の使いとはいえ乱火がフユの最初の理解者だったように、日南も、ある意味華夜の理解者だったに違いない。それでも華夜は当初の目的を折らなかった。
「華夜、私は貴様の死を嬉しくは思わない」
木立が呻くように言う。
「パートナーの力を奪った奴が憎くないなんて薄情だな。だったら何しに来たんだよ?」
華夜は淡々と返す。その言い方は疑問を口にしたというより、既に分かっている答えをただ促しただけのようだった。
「華夜…」
悔しそうに顔を歪めた木立が好きなんだと言った。
「華夜が好きだ…。だから心配だから戦うなって、言いに来たんだ」
この場に一番似合わない言葉が木立の唇から漏れて、それを受けた華夜は驚く素振りもなくふふと笑った。
「へぇ。おまえ、俺が好きで心配だって?じゃあ、」
黒の冷徹な目が木立を真っすぐに見据えて、迷いのない華夜の左手が、木立の髪を優しくといた。
少し屈んだ華夜がまるで愛を囁くように言う。
「俺を助けて、木立」