六十七、鍵
「私もフユを追いかける。ハルとナツメと朝凪はここにいて」
当然のように、詩月は出て行こうとする。
「あの、」
ハルが離れる詩月の手を取る。
「気をつけて」
詩月は少し驚いた顔をして、複雑な笑みを浮かべた。
そしてハルが取った手を振り払うでも無く、握り返すこともなく、ありがとうと一言だけ告げて部屋を出て行った。
閉じられたドアを見つめてハルは思う。
詩月さん。あなただって、一人じゃないのに…
そこは、音波が過去に揉み消した過去の戦いで使われた部屋だ。
部屋ごと抹消されたように、誰もそこには寄り付かない。薄暗がりの中、柱に全身を預けるように腰を降ろした乱火が途切れ途切れの息を吐く。
「乱火」
名を呼ぶ男の声が聞こえて、乱火の霞む視界に何物かの足下が映った。里雪と、音波だ。
「……久しぶり…」
ボロボロの乱火の口から漏れた挨拶に音波がため息をつく。
「瀕死の割に悠長ですね。相変わらずです」
「…悪いな、いつも迷惑かけて…」
「全くです」
音波が乱火の前に屈み込む。乱火に手をかざし、そこに光が現れる。
「以前はあなたの罪を反故にしようと手を尽くしたのに、それを他でもないあなたに否定されましたね」
「…ごめん」
「まあ良いです。少しじっとしてください」
光が乱火を包んでいくのを見ていた里雪が音波に声をかける。
「音波、おまえの力の限界は?」
光が僅かに揺らいだ。
「無限じゃないだろ?一度に何人救える」
揺らいだのは一瞬で、音波の光は乱火の傷を癒していく。
「今の乱火のダメージレベルだと、私自身が万全の状態で3人。それが限度です」
「そうか」
「はい」
光の中で乱火は今の音波の言葉と、記憶の中の桜の言葉を反芻する。傷を追っても助けられるのは3人まで。桜はこう言った。
最低でも4人犠牲になる。
4人。
「完了です。もう立っても大丈夫ですよ」
音波が乱火に告げる。傷口は綺麗に塞がっていた。
「ありがとう」
「乱火、どうして椿と戦った?」
早々に里雪が質問する。チャリ、という音とともに乱火が鍵を掲げた。
「ああ、これ。神の地図の保管室の鍵だ」
「神の地図…」
里雪が瞳をすっと細める。
「ああ。鍵は4つ必要だそうだ。1つがこれ。椿が持ってた。1つは桜。あとの2つは分からない。鍵は4つ同時に開かなければならないらしい」
「確かに上層部と正面から戦うより、神の地図を狙うのが良策だとは思うが…」
それは彼岸に取って禁忌だ。乱火がそれを真剣に選択肢に入れていて、里雪も濁しながらも否定しない。
音波はそれを見て、もう既に彼岸は滅んでいるのではないかと思った。
「情報源は?」
里雪が乱火に問う。
「桜。信用出来ないか?」
少し考える間を置いて里雪が口を開く。
「信用は出来ない。この期に及んで桜が情報を無償提供するとは思えない。仮にそれがすべて真実だとしても、その情報を俺たちに流すことで桜に何らかの利益があるんだろう。俺たちを制圧すべき立場にいる桜が、わざわざ戦いを煽るような情報を流す理由が何か」
乱火も里雪の考えに異論はない。どう思う、と音波を伺う。
音波がポケットから小さな手帳を取り出しページをめくる。そこには上層部だけが共有している情報が書かれている。
「情報そのものは信じて良いです。確かに鍵は4つ。同時に開く必要があります。
さらに言うなら、残りの鍵を持つ者もある程度は絞ることが出来ます。ハル達の抹殺命令が出てから上層部では何度か特別招集がかかっています。上層部全員ではなく、限られた者だけの集まり。もちろん桜と椿も含まれています。
参加者のリストです」
音波が事も無げに手帳の1ページを破り、里雪と乱火に見せる。
「この中に鍵を持っている奴がいるのか」
里雪がそう言いながらリストの名前に目を通す。
「桜と椿を除いて18人か。ここからどうやって絞れば…」
「リストにある者をしらみ潰しに当たるというのは?」
思案する里雪に音波が聞くと、里雪は音波を見もせずに思いのほか強い調子で駄目だと即答した。
「けれど里雪さんと乱火さんの2人なら不可能では…」
まるで問題外だというように、もう一度里雪は駄目だと答える。だが、実際のところそれが一番現実的で有効な方法だ。それは音波にはもちろん、乱火も、拒絶した里雪にも分かっている。
「なぜです」
音波が食い下がる。
「内通者がいるとばれる。音波が危険だから駄目だ。その方法は絶対に取らない」
ぴしゃりと里雪が言い切った。それに関して音波や乱火の意見を取り入れるつもりは毛頭ないらしい。音波が消えそうな声ではい、と言い、乱火としてもどちらかというと里雪の判断には賛成だった。
「まず確証を得る。戦闘は最小限でいい」
有無を言わせぬ口調で里雪が言う。そして思い出したように付け足す。
「それに、しらみ潰しにと言ってもな、そもそも無理だ。名前見ただけじゃ正直全然わからない。上層部の奴らの名前なんていちいち覚えてないからな」
「あ、…ええ、言われてみればそうですね。あなたが興味もない相手の名前覚えてる訳ないですね」
事の成り行きを見守っていた乱火は、この2人をある意味大物だと思った。