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神話21世紀  作者: 風月莢
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六十六、乗る船を選ぶ自由

「やけに素直に付いて来たな」

がらんと人気の無い工場に入った華夜が、背後のフユに向けて言った。

その工場は廃墟なのか、もう何年も人の手が触れていないような独特の侘しさがある。その寂びた空気はフユと乱火が出会ったあの教会と似ていた。

「物わかりが良くて有り難いよ」

感謝の気持ちなどこれっぽっちも感じさせない声音で華夜がそう続ける。

「おまえ…彼岸なのか」

フユが訝しげに訪ねる。状況を考えれば目の前の男は彼岸の使いに決まっている。当の男からも「ああ」と素直に肯定する言葉が返って来た。

ー彼岸。

状況と、肯定と。だからこの男は彼岸で間違いないはずだ。

ーだけどだったらどうして。

腑に落ちない。表現出来ない違和感がフユを包む。それを見て華夜が笑った。

「なんだよその顔。ここはまだ乱火の結界内なのになんで敵がいるんだってところか?」

「違う。そうじゃない」

フユと華夜の視線が絡む。華夜の涼しい目がフユを真っすぐに見ていた。その目を見て、フユの違和感がより濃くなる。

「俺は…大人になってから『彼岸』と『人間』を見間違えたことなんてない」

華夜はフユの告白に面白そうに笑みを深めた。

「だから?」

何も言わず殴り掛かろうとしたフユの手を、華夜がぱしっと止める。そして軽そうに拳を払いながら続けた。

「言いたいことがあるなら口で言えよ。じゃれてる時間はない」

フユの中で直感と理性がせめぎあう。 

ー見間違えるはずがない。こいつの持ってる気配はー

ーだけど彼岸だと、こいつも言ったのにー

目の前の男が彼岸なら、一目見た瞬間からフユは疑問なんて持たなかったはずだ。見間違えるはずがない。人間とは違う時を生きる、彼岸の異質な存在感を。

「顔色が悪いぜ。手も冷たい」

華夜のその一言でフユの直感が確信に変わった。

「彼岸の使いには、人間界の温度はわかんねーんだよ」

フユが吐き捨てる。

「ああ」

華夜の目の奥にちらりと火が宿る。

「知ってる」



「またケンカですか。学習しませんね」

ふらりと彼岸の広い廊下に出た里雪を、落ち着いた女の声が呼び止めた。

「音波」

音波はつかつかと里雪に歩み寄り里雪のまだ塞がりきらない傷口に手をかざす。

「全く。あなたはもう少し自分を大切にすべきです」

「音…」

「動かないでください。失敗するかもしれません」

音波がかざした手の平から柔らかな光が発生し、じんわりと里雪の傷を撫でていく。里雪は傷が塞がっていくのを感じた。音波の視線は傷口辺りに固定されたままだ。

「私は戦場には立てません。事務的なこととはいえ、一応上層部に属していますし、何より攻撃に長けてはいないので。でも、里雪さん。私はあなたたちに協力します」

視線を動かさず、落ち着いた声がはっきりと告げた。

「彼岸の過ちの揉み消し。彼岸の戦いの揉み消し。あなたの傷も、私の力は有を無に帰すことができます。だから上層部に必要とされています」

淡々と静かな声の底に、声にならない声が眠っている。

「上層部は消したい物が多いようなので待遇はとても良いですよ。…とても。

この先ハルが死んでチアキが生き返れば、その後の処理は私がすることになるでしょう。そしてナツメが死んで、スバルが生き返る日が訪れるとしたら、きっとその処理も私がすることになるでしょう」

反吐が出ます。そう付け足した音波の声の静かさに、里雪は息を呑んだ。

「私は彼岸の力を無効化できます。大きく動くことは出来ませんが、必ずお役に立てるでしょう」

「俺たちが勝ったら、彼岸は滅びるぞ。彼岸のすべてが機能しなくなる。彼岸の誰も助からない。それでも俺たちに協力するのか」

「ええ。滅びるのなら、いっそその方が良いですよ」

滅亡を賛美するような答え方に驚き、里雪が音波をはっと見る。その気配に音波が一息つき、再び口を開く。

「実のところ今までにも、あなたたちのような存在はいました。実際、私も何件か揉み消しています」

「なんだって…」

「公になっていないだけです。そんなに驚くようなことですか?相対的に考えればそれほどおかしな話でもないでしょう。彼岸の存在に疑問を抱き、上層部に楯突く。確かに行動を起こそうとするのは少数ですが、何も詩月だけが特別という訳ではありません。彼岸の使いでありながら、彼岸に反旗を翻す。彼らは口を揃えて言いました。彼岸は間違ってると」

それは里雪にとって思いも寄らない話だった。恐らく里雪以外の彼岸の使いも、想像すらしたことがないだろう。内部抗争なんて、どこからも聞いたことがない。それは上層部がそれだけ慎重に隠蔽したということなのだろう。つまり。

「戦いはいつも上層部の勝利に終わったってことか」

「ええ。危険と判断された彼岸の使いは残らず抹殺されました。その度に途方もない量の事実の揉み消しです。うんざりですよ。

まあ…、それを間違いと実感しながら、それでも消していく、私が誰より腐ってますけどね」

上層部への絶望なのか、自分自身への絶望なのか分からないまま、仕方ないと、存在したはずの歴史を捨て去っていく。

「どうして今回は俺たちに協力しようと?」

これまで何度も見限って来た歴史なら、なぜ今回に限って音波は手を貸すと言うのだろう。

「どうしてでしょう。今回は勝てると思ったのかもしれません。あなたもいますし、あの乱火まで戻って来ましたしね」

「乱火が?」

久しく聞くことの無かった名前に、里雪は思わず聞き返す。

「はい。どういう風の吹き回しだか、上層部からの通達では椿と戦ったそうです。乱火も、彼岸の敵としてここへ戻って来たんですよ。今頃はきっとボロボロでしょう。これから私が行くので問題有りませんが」

「乱火が戦いを仕掛けたのか?」

里雪が見知っている情報の中で、乱火はそんなに好戦的な性格ではなかったはずだ。単に『上層部で敵だから』という理由で椿と戦ったとは思えない。

「自発的なものか誘い出されたかは分かりませんが、乱火の方から出向いたのは確かですね。それが何か」

「いや。今から乱火のところへ行くんだな?」

「ええ」

「俺も行く」

「ええ。え?」

「乱火に聞きたいことがある。今すぐ。乱火の居場所は分かるんだな?」

「ええ…まあ…。戦った場所からはもう離れたと思いますが、心当たりはあります」

「じゃあ早く、」

既に一緒に行くことが決定事項になっているような、やや乱暴な里雪の取り決めに音波が苦笑した。

「ええ、行きましょう。ふふ」

硬質とも取れる音波の態度が突然和らいだことに里雪がぽかんとする。

「何?」

「いえ、すみません、行きましょう。この廊下のずっと先です」

音波が優しく笑う。そうかと言って先に歩き出した里雪の背中に向かって呟いた。

「里雪さん。私はあなたのその自分勝手なところ、結構好きですよ」

振り返る里雪がなんだって、と聞き返す。

「独り言です」

静かで事務的な、普段通りの音波の声だった。

そして、二人の足音が長い廊下に響く。




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