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神話21世紀  作者: 風月莢
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六十五、代償

横断歩道の、向かい。

ごった返す人ごみの中で真っすぐにこちらを見ている視線がある。

黒髪の男。


フユは自分を見据えるその視線をどう扱うべきか悩んでいた。

ーあいつ…

この状況下でこんな風に自分を見るのは彼岸の使い以外に考えられない。

ーそう、彼岸、だよな。

赤だった信号が青へと変わる。お互いが一歩ずつ近づいて行く。

不適な笑みを湛えた黒髪の男が、すれ違い様にフユにだけ聞こえるくらいの音量で呟いた。

「そんな警戒すんなよ。取引しようぜ」

そしてあっさりとフユから離れた。フユが追ってくることを確信しているようで、男は振り返りもしない。

ー罠か。今攻撃されたら確実に殺される。

理性が警報を鳴らしている。不用意について行くのがどれほど危険かなんて、十分に分かっている。

ー冷静になれ。

頭では分かっている。しかしフユは踵を返していた。このまま追うのかと自問する。身を守るすべも無いのに行ってどうするつもりだ。

ーでも、あいつ…

男の思惑通りに動かされる苦々しさを噛み殺して、フユは後を追った。



彼岸では乱火と椿の戦闘が続いていた。

乱火の炎と椿のカマイタチ。煙と塵が舞う。

「百年の眠りなんて信じてるのか!?あんなのは気休めだ!!あるのは死だ!!」

乱火が届かない説得を続ける。

「覚悟の上だ。もとより目覚めることなど望んでいない」

冷ややかに突き放す椿が刀を振り払う。空間さえ切り裂く椿の間合いは広すぎて、攻撃を避けきれない乱火に傷が増えていく。白い世界に鮮烈な赤。それでも乱火は言葉を交わそうとする。

「おまえは戦う為に生きてるのか」

「そうだよ」

何を今さらと椿が冷たく肯定する。

「…戦う為に死ぬのか」

微かな間があった。彼岸の聖水の副作用は目覚めない眠り。それは死だ。

「そうだよ。私はその為に生まれて来たんだ」

感傷を読み取れない静かな返答だった。

「お前もそろそろ死ぬか。もう立ってるのも辛いだろう」

自らの血に染まる乱火を一瞥して椿が息をつく。

「やはり私を殺さず鍵を手に入れる気でいたな」

椿には、乱火と対照的に目立った傷も無い。

乱火の血の赤だけが、この白々とした世界を鮮やかに彩る。その色の美しさが少しだけ惜しく、椿は赤色をじっと見つめた。

「おまえは赤い服がよく似合う。今まで会った中で一番」

滴り落ちる赤。

「自己犠牲の赤か。不思議な色だ」

「虚しく…ないのか。…こんなこと…」

赤の中心で乱火が問う。

「こんなこと?」

「戦うこと…傷つけ合うこと…。自分の命をそんなふうに…つかうこと、全部、悲しくはないのか」

ああそんなことかと、椿がぼやく。

「おまえとは永遠に分かり合えないだろうな。虚しくはないよ、別に。悲しくもない。何とも思わないさ」

がっと椿の腹に乱火が拳を入れた。乱火の傷口から赤の液体が飛び散る。

「どうして…!」

整わない呼吸を抑えて乱火が叫ぶ。飛び散った血が乱火の服を濡らし地面を濡らし、椿の服を汚す。

「どうしてと言われてもな。おまえとは思考回路が違うしな」

予期していなかった乱火の拳でも、椿は取り乱しはしない。

「ー重い一発だ。その出血でよく動ける。

何がそんなに気に入らない。勝っても負けてもどうせ私は死ぬ。お前が全力で来ようが手を抜こうが、私は死ぬ。結果は変わらん。お前がためらう理由が分からんな」

「分かれよ、それくらい。…それは分からなきゃいけないことだ…」

乱火の目に、自分の血で汚れた椿の衣装が映る。どうせ死ぬと言う椿の表情は、まるで人ごとを語っているかのようだ。

「お前はなぜか悲しそうな顔をするな。不思議だよ」

椿は本当にその悲しさを理解していない。

「まあいいさ。何もかも、どうでもいいことだー」

突如、どくっと、椿の体に異変が起こる。椿の手から刀が抜け地面に落ちて、カランと音を立てた。

「何…っ、熱……」

「噂は、一人歩きするんだよ」

乱火が呟く。

「…炎は派手だから…その見た目がそのまま俺のイメージに、なったんだろうけど…本当に俺が操っているのは炎じゃない…。熱だ」

「は、ふざけ…」

地に膝をつく椿。急激な高温になす術もない。

「発火点まで温度を上げる。それで、すべて燃える。直接触れなくてもいい。俺の血が媒体になるから」

乱火は椿が落とした刀を掴み、椿を押し倒して馬乗りになった。切先を椿の喉元に突きつける。

「椿、おまえの負けだ。俺はこれ以上温度を上げるつもりは無い。もうやめよう」

「はは…、お前強いな」

椿の喉に切先が触れる。

「いいよ。殺せ。どの道聖水の効果ももう切れる。あれは半時と持たないらしい」

「どうして…」

掠れる声で乱火が問う。

「まだ言うのか。いい加減お前も飽きただろう」

椿の喉を血が伝っていく。

「乱火。私を否定しないでくれ」

突きつけられた刃に抗うことも無く、椿はもう満足だというように笑った。

「他に生きる方法を知らなかったんだ。戻れなかったんだよ、どこにも。勝つことが全てで、負けることが死だった。それだけだ。他には何もない」

乗り上げていた乱火から、椿の頬にぽたりと何かが落ちた。それが血か、涙かは分からない。

「なんでだよ…」

今はたださっきより低く掠れる乱火の声が、消え入りそうに聞こえるだけだ。

「ああもう良いだろう、そんなことは」

守りたい相手や身を案じてくれる相手。そういった他者の存在が椿には無いのだろう。

椿は死を目前にして、どこか安堵したように笑う。

「最期だから気持ちよく負けさせてくれないか。私はお前と戦えて満足だよ」

生きたいと願うこと。帰りたいと思う場所。何も。

チャリ、と椿が左手を掲げる。

「約束の鍵だ。持って行け。私の負けだ」

椿の手の中に乱火の求めた鍵があった。

「一息で殺してくれ。…頼むよ」

ーどうせ死が訪れるのならば。

「戦いの中で死にたいんだ」


乱火の手が椿の手から鍵を抜き取る。

そうして乱火は反対の手で、刀を降ろしていく。

ーこれが、語り種になる程の男か。想像とは程遠い…

傷付いた顔をしている。そんな顔をする必要はないのに。

ほとんど感覚のない手のひらで、椿は乱火の髪を緩く撫でた。

「優しいな…お前は…」

ーだから、恐れられたのかな。

ぱたりと血溜まりに落ちた椿の手は、もう動かない。


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