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神話21世紀  作者: 風月莢
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五十九、幻影

「ねえ、あの人大丈夫かな」

ナツメが朝凪に向かってぽつりと呟く。

「え?」

「フユ」

「そうですね…。心配です」

朝凪は少し俯いて答える。

「というか…、それも心配なんですが、ナツメ君は大丈夫なんですか?」

「何が?」

「ご両親とか心配なさってるんじゃ」

「ああ、それは平気。さっき電話したから。友達のところにいるって。俺、…」

ナツメは一瞬そこで言葉を切る。

—俺じゃなくてスバルが。

「信用されてるから大丈夫」

「そうですか。それなら良いんですが…」

怪訝そうな朝凪を見て、ナツメはぱっと立ち上がる。

「やっぱちょっと見て来る!乱火って人に伝言頼まれてるし」

朝凪の前をすり抜けながら、ナツメは思う。心配だから。それは嘘じゃない。けれどそれが全てでもない。

自分の置かれた環境のことを考えたくないからというのも、理由の一つだ。他のことを気にしていれば、その間は考えずにいられる。自分の名前を呼んでくれない母親のこと。仕方ないと理解することと、それを受け入れることは全然違う。居場所の無いこんな世界でもう一度目を覚ましたって、悲しいだけだということ。

もちろん母親だけがナツメの世界の全てではないけれど、そう割り切るにはまだナツメは幼過ぎる。スバルという、もうこの世にはいない兄の名が、いつもナツメの心に影を落とす。母親がスバルと口にする度に、存在を望まれたのは兄で、消去されたのが自分だと思い知る。始めの頃こそ自分はナツメだと否定していたが、錯乱する母親を何度も見て、だんだんと主張するのが怖くなった。いつか母親が本当に狂ってしまうのではないか。これ以上自分の存在を否定されたら、自分も、壊れてしまうのではないか。

怖くて、そうやっていつしか諦めて、それならせめて願いを叶えてあげようとスバルのフリをするようになった。

自分がスバルでいさえすれば、平和なのだ。スバルのフリをして振舞う。それだけ。けれどそのうちにナツメはスバルの記憶を思い出せなくなっていった。もうどんな顔だったかさえ分からない。

母親があんなに溺愛するくらいだから、きっと優等生で、優しくて…。そんな風に思い出の上に理想が積もって、ねじ曲がっていって、そんな想像上のスバルをナツメは演じるようになった。スバルという架空の人物は、物わかりが良くて、大人びて、本物の大人に手を焼かせない子供だった。

そうしているうちにナツメ自身はどこか物事を達観したように見るようになった。同年代の子供と遊ぶには、冷静すぎるほど。同じクラスの仲間から、ある種の憧れや期待や嫉妬の目を向けられることはあっても、対等に話すのはナツメの方が疲弊した。クラスには友人もいるし、彼等を好きだと言えるけれど、あまり長時間一緒にいると、言葉に出来ないズレを感じた。遊んでいても、心に何かが引っかかる。友人が本当に楽しそうにしている横でナツメも笑っていたけれど、どんなに笑っても、必ずどこかが冷めていた。

ナツメが目覚めたくないと思った、そういう本質的な物事は解決された訳ではない。だから今は、許されるなら他のことを考えていたかった。フユを心配することを言い訳にするつもりはないけれど、フユを気遣うことで、ナツメは自分を守ろうとしているのかもしれない。考えたくない。

朝凪はナツメが目を覚ましたことを嬉しいと言った。今はそれで充分。眠っていた間、詩月やハルが労るように守ってくれていたこともナツメは知っている。乱火がこの世界へ引き戻してくれたことも、乱火に「ナツメを助けてやれ」と言ったのがフユだということも。誰もが碌に話をしたことも無いナツメを気にかけていたと、知っている。だから今はそれで充分。今はこの瞬間の幸せの中に留まって、他のことは考えないでいたい。

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