五十七、彼女は滅びの神
彼岸は人間によって滅びる。その名は、ハル、ナツメ、フユ。
―世界の終りを告げる先見の書。いっそ捨ててしまえたら、未来を悔やまずに済むのかもしれない。
ドーム状の小さなその部屋で風姫に出来るのは、さらさらと羽ペンが記す青い文字を静かに眺めること。
「風姫、どうにかならないのかな、他に未来は…、ねぇ」
『終焉』や『滅び』以外の言葉を期待して、砂都が訴える。
そしてハルの心許ない視線を受けても、風姫は微笑するだけだ。
どうしようもない。そう答えるのと同じ。
詩月が口を開く。
「風姫、彼岸のさだめが変えられないのなら、私は彼岸の世界を―」
風姫の穏やかな目とぶつかって、詩月は言いかけた言葉を飲み込んだ。
それでいいと言うように風姫は無言を通す。
「詩月さん?どうかしましたか?」
ハルが詩月を気遣うように声をかける。
良くない考えに思い至ったかのように詩月は堅い表情で風姫を見ている。
「風姫…、私たちは……」
彼岸は人間によって滅びる。その名は、ハル、ナツメ、フユ。
詩月の中で今までの状況がフラッシュバックする。
ハルの命の取り違いがあった。ナツメは無理矢理に魂を抜かれた。フユは何も出来ずに、彼岸の狩りを見続けていた。
人間の命を管理しているという自負のあった彼岸にとって想定外のそれらは、世界のルールの狂いを意味していた。彼岸上層部は、その綻びをお粗末な辻褄合わせで繕うという。
初めの予定通りハルを死なせてチアキを生き返らせる。詩月は任を受けていないから正式なところは分からないが、桜の行動を見る限りではナツメにも兄スバルとの取り違いが発生しているのだろう。それも入れ替える。フユに取り違いはないが、彼は彼岸に取っての不安因子だ。先見の書の言葉に後押しされて、抹消を決めたのだろう。そうしてそれが完了すれば一件落着。元通り。
ふざけている。詩月は心の中に吐き捨てる。
綻びは全て彼岸が招いたものだ。どれも発端はハルやナツメやフユが自発的に動いたものではない。そもそも彼らには、不確かな優しさや、罪の意識や、ささやかな願いがあったに過ぎない。それを。
過ちも辻褄が合えば許されるというのか。
彼岸自身が犯した過ちに動揺していたところへ、先見の書のあの言葉。彼岸はあの言葉を盾にして、暴挙に出た。予言を掲げて自分たちを正当化している。彼岸の存続に必要な犠牲だと。必要悪が正義。それも一つの真理かもしれないが、受け入れるのは不快過ぎる。
受け入れられない。だから戦う。
「詩月さん?」
戦う。それが。
ああそうだった。最初から知っていた。こうして、戦うことこそが。そうだ。
「大丈夫よ、ハル。覚悟決めなきゃって思っただけ」
それが彼岸の終焉を呼び込むのだとしても。
詩月の思考の中で突然腑に落ちた彼岸の終焉。
先見の書は彼岸の終焉を告げている。
詩月が負けるのなら、彼岸の終焉は訪れない。彼岸を滅ぼそうとしているのは詩月。上層部は曲がりなりにも守ろうとしている。それなのに予告された終焉。
つまりこの戦いの先には、大多数が思い描く結末とは別の未来が用意されている。
終りは訪れる。きっと。
「風姫。あなたは分かってるのね。これから私が何をするかを」
「ええ」
「それでもあなたは私を止めないのね」
「ええ」
彼岸は変えられない。だったら壊すしかない。
「ありがと風姫。私は、進むわ」