五十六、ナツメ
「なっ…なっ…なっ……」
朝凪が頬をぱっと赤く染めて、ぱくぱくと「な」を連呼する。
「なっ…!」
朝凪の正面に、魂の戻ったナツメが立っている。
「なっ…!」
繰り返される「な」の字に、ナツメの中で物凄く嫌な予感がよぎる。予感というか確信に近い。
「ナッ…!ナツメくん!!!よくご無事で!!!」
「ぎゃっ!」
朝凪ががばっと熱くナツメを抱きしめた。ナツメの不吉な確信をはるかに超える馬鹿力で。
「ちょっ、待っ、!!ギブ!離……!!!」
まだ身体的に少年のナツメと、おつむはともかく外見は10代後半~20代の朝凪ではそれなりの体格差や力の差がある。だが仮にそのハンディがなかったとしても、この状況は免れなかったかもしれない。朝凪の女子とは思えぬ破壊力。ナツメはせっかく生き返ったが、残念ながらこのままでは圧死する可能性が高い。
「……!!!」
ナツメの本気の抵抗が、力ない無抵抗にすり替わった瞬間、やっと朝凪が涙の抱擁の腕を緩めた。ナツメはもはや真っ青だ。
「あれ?ナツメくん、どうしました!?まだ完全には回復してないんですか!?」
「いや…そうじゃなくて」
ぐったりとしているのは抱擁という名の攻撃のせいだ。
「やっぱり無理に魂を奪うなんてことをするから!許せません!」
「あの、だからそうじゃ…」
「…桜さん、なんて酷いことを……!!」
桜に対する怒りを露わにする朝凪。
「やっぱり絶対許せません!!!」
「…だから違うんだけど…」
「あっ、自己紹介が遅れました!ナツメくん私朝凪と申します。よろしくお願いします。彼岸の使いです」
ナツメの弁解を置き去りにして、朝凪が突然名乗る。
「……知ってる。寝てたときの、聞こえてたから。なんとなく状況はわかるよ」
誤解を解くことは諦めた方が良さそうだ。
「ああ良かったです!!戻ってきてくれて本当に!!」
ナツメの胸中など知る由もない朝凪は、華やかに捲し立てる。
「良かったです!!今ちょっといないですけど、センパイもハルさんもきっと喜びます。私もすっごく嬉しいです!!」
朝凪は花のような笑顔で「嬉しい」と言う。ナツメはそれに戸惑う。ナツメには、知り合いでもない自分が生き返ったことを喜んでくれる相手がいるということが、上手く理解できない。
—嬉しい。嬉しいって言った。このひと。
ナツメには本当に嬉しそうに笑う朝凪の姿が、とても珍しいもののように見えた。その光景は決して不快なものではなく、心をやんわりと暖めていく。
—喜んでくれるんだ。俺が、ここに存在していることを。
「あ……、ありがとう…」
ナツメからぽつりと零れたお礼に、朝凪はきょとんとして首を傾げる。
「あの…、嬉しいって、思ってくれて」
ナツメはそう言いながら、おずおずと視線を逸らした。ぽかんとした表情で自分をマジマジと見つめる朝凪に、気恥ずかしいような居辛さを感じる。
「なっ…なっ…なっ……」
デジャヴ。反射的に身構えたナツメに朝凪が飛びかかった。
「なんですかこのカワイイ生き物はッッ!!!」
「うわあ!!」
朝凪はぎゅうっとミクロの隙間も埋めるようにナツメを抱きしめる。
「嬉しいですよ!当たり前じゃないですか!すごく嬉しいですよ!!ナツメくんラブ!!!」
「ぎゃー!!」
ナツメの悲鳴をスルーして、抱きしめる腕の力は更に強くなる。
暗くなるナツメの意識の片隅で、朝凪は危険人物にカテゴライズされた。