五十五、再生、それとも幻影
乱火と桜が言葉を交わしていた頃、華夜の跪くその場所には緩やかな風が吹いていた。抜けるような青空の下、途方も無く続く白い地面。まるであらゆる生命体が死んでしまったかのように、何の気配もない彼岸の片隅だ。沈黙する景色の中にただ一人、頑な白を汚すような黒い瞳を伏せて、華夜は屈んでいる。右手には身長を越すほどの剣。
静かな風が華夜の髪をさらさらと揺らす。
華夜が足下のいかにも柔らかそうな地面に剣を突き入れると、切り口からまるで血のように赤い液体が滲んだ。さらにぐっと剣を差し込むと、赤い液体が勢いを増して飛び散り、華夜の頬まで跳ねた。華夜はそれを気に止める様子も無くゆっくりと、切り口を深く広げていく。地面に見えたそれは一つの大きな繭のような塊で、覗き込めば空から差し込む光によって内部が微かに確認できた。
繭から溢れるほどの赤い液体の中に、横たわる人影がある。
華夜は切り口をさらに広げる。光が奥まで入ると、突然の眩しさを避けるように、その影が小さく身じろいだ。
少年だ。
「朝だぜ。チアキ」
華夜が少年に向かって話しかける。
「チアキ」
呼ばれた名前に導かれるようにチアキと言う名の少年が起き上がると、赤い液体の中から白い肌と薄茶色の髪が露になった。
「よお。目覚めはどうだ。チアキ」
「…ぼく、寝てたの?」
「ああ」
「そっか」
そう言って、チアキは一瞬だけ思案するような仕草を見せる。
「全然覚えてないや。なんか変な感じ」
あっさりと回想を諦めたチアキは、自分を取り巻く赤い液体に目を移した。
「なんか。なんだろ、全部変」
一糸纏わぬ自分の姿。ひたりと触れる赤い液体。外界から隔絶された丁度人一人分の空間に、その二つが押し入れられていた。けれどチアキは、心の奥底で感じる違和感を上手く言語化できないでいる。
鮮やかな赤い液体と、そこに放り込まれた一人の人間。華夜がその手に掲げた剣で光の道筋を作らなかったとしたら、恐らくその二つは永遠に窮屈な暗闇に沈められていただろう。
「ほら」
華夜がチアキに向かってごく当たり前のように手を差し出す。
「うん」
華夜を知らない―もしくは覚えていない―チアキは、警戒心もなくその手を握った。華夜の手が、暗闇からチアキを引き上げる。
「…あ」
ふいにチアキが声を上げる。
「なんだ」
「手、あったかいね」
他意なく発せられた一言に華夜は答えない。
「それに良い匂いがする…。甘い」
ふわりと香る甘さと共に引き上げられたチアキは、触れ合うほど近い華夜にさらに近付く。何も言わない華夜は、拒絶するでもなくただ静かにチアキを見ていた。
そこでは、相変わらず緩やかな風だけが吹いていた。