四十二、憂鬱の実情
「今どこにいる」
フユが携帯に吹き込んだ第一声。朝凪にはフユの声しか聞こえないが、恐らく電話の向こうでは乱火が何事か言っているに違いない。
「…あぁ当然だろ。つかお前らが迎えに寄越した女、むしろ足手まといなんだけど。…そう。朝凪。…ああ。………ん、どこ?白羽?ふうん。わかった。…行く。要らねぇ。……はあ?………………、知ってるよ馬鹿」
通話はそれで終了したが、足手まといと言われた朝凪は自覚があるだけにコメントのしようがない。
「ホテルにいるらしい。どこに隠れたって大して変わらないとは思うけど…呑気だな、あいつは」
淡々とした調子だが、今のやりとりで戦闘直後の切羽詰まった空気が少し和らいだらしい。教会にいる間中フユを取り巻いていたピリリとした気配がふわりと消えた。
乱火はそれだけ『フユ』に近いところにいるのだ。
『彼岸』ではなく。
「ここから30分くらいだな。オイ蛇は置いていけよ」
「あ、はい!ごめんねみーちゃん。彼岸に帰っててね」
がさがさっと音がして『みーちゃん』が消えた。
結局フユを迎えに来た朝凪がフユに案内される形になって、教会を後にする。
それにしても。
フユの後ろ姿を追いながら朝凪は思う。
乱火と電話するフユは淡白で、口調も荒かったけれど。でも親しい相手に向ける甘さが確かにこもっていた。
(たぶんフユさんは乱火さんを信用してる)
「あいつ、電話切る直前にさ、」
特に振り向くでもなくフユが口を開いた。
「『俺の番号知ってたんだな』って言いやがった。心底ホッとしたみたいに」
小さな笑いを噛殺す声。
「誰がケータイ渡したと思ってんだよ」
朝凪の心臓がどきりと跳ねた。フユは気を許した相手には、こんなに甘い声を出すのだ。
無防備で、優しくからかうような響き。
「あんたも乱火も抜けてる」
聞き逃したくない一心で朝凪は耳をすます。音だけに集中していたせいで視界は油断していた。
突然振り向いたフユの表情に息が止まる。
「そういうのが、イイのに。な」
フユは困ったように笑うのだった。
白羽ホテル。特に立地条件が良い訳ではないし豪華でもないが、そこそこ小綺麗なホテルだ。教会から電車を二本乗り継いで30分強。愛想は悪くない、けれど客に対して適度に無関心なホテルマンをすり抜けて、乱火の指定した部屋を探す。
ルームナンバー307。
アイボリーのドアに控えめなプレートが付いている。
「乱火さん、朝凪です!」
ノックもせずに声を上げる。隣にいるフユは、辿り着いた安堵からか気負いが一気に降りたようで重そうに息を付いた。ガチャリと鍵が外れる音がして乱火と砂都が顔を出す。
朝凪の不安げな様子とフユの沈黙を見て乱火の表情が曇った。
「フユ、大丈夫か?」
乱火の手がフユの額に触れる。
「……スゲー熱だな。病院行くか?」
「触んな平気だ」
「どこがだ」
彼岸の使いには人間界の温度はわからない。朝凪は乱火にフユの温度が分かるのを不思議な気持ちで見ていた。
「もういいから寝てろ。こっち」
「だから平気だって、」
ほとんど引きずられていくようなフユを見て朝凪は複雑な気分になる。
「羨ましいの?仲良し」
小声で砂都が朝凪を茶化す。
「えっ、あっ、そういうわけでは…!!」
弾かれたようにこちらも小声で否定する朝凪。
「そーお?ボクはちょっと羨ましいなぁ」
「え…」
「フユのこと好きだもん」
砂都のくるりとした大きな目が、さも残念そうに伏せられる。
「心配したいじゃん」
大げさに溜め息を付いて朝凪を窺う。可愛らしいドールフェイスの効果か、砂都のオーバーリアクションにさほどの嫌みはない。ぱあっと顔を赤くした朝凪が小声のまま自白する。
「あの、あの…じ、じは私もフユさんのことが好きなんです!!」
バレバレだし。と砂都が思ったことなど朝凪が知る由もなく、彼女は同士を得た事実を単純に喜んでいる。
自分の容姿をフルに生かしたピュアスマイルで砂都は朝凪の手を取った。
「そうだったんだ!頑張ってね!応援するよ!」
「さ…砂都さん!!!!」
感動に瞳を潤ませる朝凪。
「フユと乱火がどんなにラブラブでも負けちゃダメだよ!朝凪は女の子なんだから、きっとフユも最後は朝凪を選んでくれるよ!でもあのプライド高そうなフユが乱火に甘えてる時点でほんとはもう脈ないかもしれないけどね!禁断の恋は燃えるって言うしね!でも頑張ってね!応援するよ!」
ニコニコ捲し立てる砂都の台詞の危機感に、潤んだ瞳も一気に干上がって朝凪は蒼白になる。
おもしろい…。
内心で砂都はそう思っていた。
「フユ、たまには人を頼れよ」
奥の部屋で無理矢理ベッドにフユを座らせた乱火が呟く。
「うるせーよ」
「寝てろ、薬買ってくるから」
離れる乱火の服を、引き止めるようにフユが掴む。
「こんなはずじゃなかったんだ。ごめん乱火」
「…フユ、」
「ごめん。彼岸を壊したいって、俺はずっと言ってたけど」
懺悔に似ていた。教会では言えなかった。教会で言うことじゃなかった。
これは、乱火に言わなきゃいけない—
「俺は間違ってた。間違ってたんだ…」