四十、弐分の弐は壱
焼けこげた跡と。廃墟をゆるりと撫でて消えていく煙。
朝凪の視界に映るのは、静かに立ち上がるフユの姿だけ。
数秒前の爆音と白煙が黒服の女を消し去った。
彼岸の使いが、人間に消された—
それは朝凪にとって、あまりに衝撃的だった。
いくら今のフユが乱火の力を持っているとは言え、相手は最上層衛隊、戦闘を主に任務を果たす彼岸屈指の精鋭だった。フユは、それを跡形もなく消したのだ。
フユの戦闘センスの問題か、それとも詩月が頼ろうとした乱火の力がそれ程までに強いのか。
「こ…こっちです」
朝凪はフユと目を合わせるのを避けるように背を向けた。詩月達のところへ行かなければならない。そしてそれ以上に、この息の詰まるような廃墟から一刻も早く抜け出したかった。この闇も光も淘汰した、いにしえの教会から。
一歩踏み出すと、どさりと背後で音がした。
振り向くとフユが蒼白で床に膝を付いている。
「フユさん!!」
「は…、この有り様だ。やってらんねぇ…」
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫な訳あるか。俺は彼岸の使いじゃねーんだ」
「え…」
フユは息を殺すように整えながら、同時に感情も殺すように言う。
「力を使えば跳ね返りがある。薬の副作用みたいなもんだ」
一つのリスクも無く世界が回る訳が無い。
「それ、…乱火さんは…」
「言うなよ」
フユはぴしゃりと朝凪の問いを遮る。
「俺が欲しくて奪った力だ。乱火のせいじゃない」
欲しくて奪った。
「—それって…」
「トロそうなくせに察しはいいな。そうだよ、俺は彼岸と戦うつもりだった」
自分の全部を投げ打って、刺し違えてでも。
「だから彼岸が俺を消そうとするのは、あながち間違いじゃない。むしろ正しいくらいだ。あんたは俺を置いていって良いんだよ」
ふと二人の目が合う。
「きっとそれが一番賢明な方法だ」
彼岸には、今の自分の存在は厄介だろう。刺し違えてでも。いつまたそう思わないとも限らない。フユの思考は朝凪よりも余程冷静だ。朝凪の瞳が少し揺れて、下に逸れる。
「…すみません…。あの…、」
不安げに躊躇う間があって、それでも意を決したように朝凪は口を開いた。
「言っている事が難しくて、ちょっと意味がわかりません」
絶妙の間の悪さだ。
「いや……。もういい」
俺はこんなアホに庇われたのか。
心配そうに自分を窺う朝凪を前にして、フユは切実に思った。
でも彼岸にこんな奴がいるから、怒りじゃない感情も動くのかもしれない。
彼岸に対する相反する感情が内在するのは苦痛だけれど、仕方ない。
乱火のことも、今目の前にいる朝凪のことも、きっと自分は嫌いにはなれないのだろう。
朝凪が上げた目と再び視線がぶつかって、フユは苦笑した。
「と、とにかく急ぎましょう!!」
突然至近距離で零れたフユの笑みに朝凪の頬がかあっと染まる。場を無理矢理繋げようとあたふたとフユを急き立てる。
「あー、そうだな。俺ももうあんま立ってられねぇ…、サイアク」
すでに立っているのがやっとだが、時間が経てば経つほど辛くなる。良い加減腹をくくって朝凪の跡を付いていくべきかもしれない。
重たげに体を起こすフユの前で朝凪がそわそわと聞く。
「あ、あの、手をお貸ししましょうか!?」
手、と言いながらその待機姿勢は明らかにおんぶを想定している。
「…」
「あっ、遠慮なさらなくて良いですよ」
花のように笑う、朝凪。姿勢は前屈み。
遠慮ではない。断じて。
「フユさん、どこからでも」
「…」
「どうぞ!」
「無い。無理。有り得ない。俺歩けるし」